これは岩屋寺にあります。岩屋寺と言えば大石内蔵助が赤穂城明け渡しから討ち入り前まで隠棲し策を練っていたところで、自刃した内蔵助の遺髪を寺坂吉右衛門がここに持参し、祀ったといわれています。この遺髪塚以外にも大石内蔵助の遺品や邸宅跡、四十七士にまつわる物が多数あるそうです。
外務省と国際協力事業団(JICA)が1987(昭和62)年に制定しました。
協力に関する昔話 むかしむかし、カキの種を拾ったサルが、おいしそうなおにぎりを持ったカニに、ばったり出会いました。 「いたい、いたい、サルさんずるい」
1938(昭和13)年のこの日、詩人高村光太郎の妻、智恵子が亡くなりました。
(他の記念日) 時刻表記念日 折り紙供養の日 達磨忌
この塚は別名「胴塚」と言われ光秀の胴体が埋められた所とされており、小栗栖街道の脇を入った所に寂しくあります。明智光秀は信長から備中高松城の毛利攻めの援軍を命じられたが、反旗をひるがえし、京都・本能寺の信長を急襲しました。信長は明智光秀の一万余の軍勢に敗れ、寺に火を放ち自刃し、それを知った羽柴秀吉(豊臣秀吉)は光秀の討伐に向かい、京都山崎街道で合戦となります(山崎の合戦)。羽柴勢に大敗した光秀は近江に敗走する途上、この山科の小栗栖村の竹やぶで、落ち武者狩り農民の竹槍に刺されて深手を負い、自刃したと言われています。
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