2010年3月 1日(月) 08時30分52秒 |
スタッフブログ |
1972(昭和47)年にアメリカのエレン・スタンリーとメアリー・リン・レイブ姉妹が、最も利口で役に立つ家畜のひとつである豚への感謝を込めて制定したとされています。 この日、アメリカでは各地で豚の品評会が開催されます
ブタに関する昔話
むかしむかし、あるところに、三匹の子ブタがいました。 みんなの名まえは、一番のお兄さんが「大ブタちゃん」、二番目のお兄さんが「中ブタちゃん」、三番目の弟が「ちいブタちゃん」です。 さて、三匹の子ブタは、それぞれ自分のお家をつくることになりました。 大ブタちゃんは、ワラのお家をつくることにしました。 ワラをなわでしばって、ギュッ、ギュッ、ギュッ、はい、すぐにできあがりました。 中ブタちゃんは、木のお家をつくることにしました。 まず柱を立てて、まわりにならべた木にクギをうって、トントントンと、はい、できあがりました。 ちいブタちゃんは、 「ぼくのお家はワラでも木でもない、かたくてじょうぶなレンガでつくろう」 レンガを運んで、レンガをつんで、ヨイショ、ヨイショ、ヨイショ、時間はかかりましたが、ようやくできあがりました。 「ワーイ、できた、できた」 自分たちのお家ができて、三匹の子ブタはとてもごきげんです。 すると、山にすんでいるわるいオオカミが、ワラのお家にやってきました。 「大ブタくん、大ブタくん、ここをあけておくれ。ぼくをお家に入れとくれよ」 大ブタちゃんは、ビックリして答えました。 「とんでもない! ぜったいにいやだよう!」 するとオオカミは、恐ろしい声でどなりました。 「よーし、そんなら、こんな家なんか、おれさまの自慢(じまん)の息(いき)で、ふき飛ばしてやるぞ!」 オオカミがほっペをふくらませて、フーッと息をふいたら、ワラのお家はバラバラにふき飛んでしまいました。 そこでオオカミは、大ブタちゃんをつかまえて、ペロリと食べてしまいました。 さて、それからオオカミは、木のお家にやってきました。 「中ブタくん、中ブタくん、ここをあけておくれ。ぼくをお家へ入れとくれよ」 中ブタちゃんはビックリして、戸を押さえていいました。 「とんでもない! ぜったいにいやだよう!」 するとオオカミは、恐ろしい声でどなりました。 「よーし、そんなら、こんな家なんか、おれさまの自慢のいきで、ふき飛ばしてやるぞ!」 オオカミがフーッと息をふきましたが、木の家はなかなかこわれません。 「よし、こうなったら体当たりだ!」 オオカミは勢いをつけると、木の家に体当たりをしました。 ドシーン! 木のお家は、バラバラにこわれてしまいました。 そこでオオカミは、中ブタちゃんをペロリと食べてしまいました。 さて、それからオオカミは、レンガのお家へやってきました。 「ちいブタくん、ちいブタくん、ここをあけておくれ。ぼくをお家に入れとくれよ」 ちいブタちゃんもビックリして、 「とんでもない! ぜったいにいやだよう!」 するとオオカミは、恐ろしい声でどなりました。 「よーし、そんなら、こんな家なんか、おれさまの自慢のいきで、ふき飛ばしてやるぞ!」 オオカミが、フーッと息をふきましたが、レンガの家はビクともしません。 「よし、こうなったら、体当たりだ!」 オオカミは勢いをつけると、レンガの家に体当たりをしました。 ドシーン! でも、レンガの家はビクともしません。 オオカミは、うなりました。 「おぼえてろ。こうなったら煙突(えんとつ)からおりてって、ちいブタのやつを食べてやるぞ!」 それを聞いたちいブタちゃんは、大急ぎで大きなナベにお湯をわかしました。 火をドンドン燃やしたので、お湯がグラグラとわきました。 煙突からおりてきたオオカミは、そのお湯の中にボチャーン! と落ちました。 「あつい、あついよー! 助けてくれー!」 泣きさけぶオオカミに、ちいブタちゃんがいいました。 「じゃあ、もう悪いことはしないか?」 「しない、しない」 「じゃあ、食べたお兄さんたちをかえすか?」 「かえす、かえす。だから助けてくれー!」 「よし、約束だぞ」 ちいブタちゃんがオオカミをナベから出してやると、オオカミは食べた大ブタちゃんと中ブタちゃんをはき出して、泣きながら山に逃げていきました。 助かった大ブタちゃんと中ブタちゃんは、ちいブタちゃんのレンガの家で、なかよくくらしました。
2010年2月28日(日) 08時27分40秒 |
スタッフブログ |
1953(昭和28)年、時の首相・吉田茂が衆議院予算委員会で、西村栄一議員の質問に対し興奮のあまり、「バカヤロー」と発言しました。 これがもとで内閣不信任案が提出・可決され、この年の3月14日に衆議院が解散しました。 いわゆる「バカヤロー解散」です。
2010年2月27日(土) 08時17分05秒 |
スタッフブログ |
1862(文久2)年のこの日、京都で江戸幕府が武芸にすぐれた浪士をあつめてつくった武力組織、新撰組の前身「壬生(みぶ)組」が結成されました。 初め20人前後だった隊員数は、65年(慶応元)ごろの最盛期には約200人にふくらんでいます。 1864年(元治元)の池田屋事件での活躍が有名で、尊攘派に大きな打撃をあたえました。 ところで、隊員の1ヶ月の手当は、局長50両、副長40両、助勤30両、平隊士10両ほどでしたが、当時は1両2分あれば、親子5人が楽に暮らせたといいます。 かなりの高給ですね。
刀に関する昔話 殿さまが、新しい刀を手に入れました。 まい日、まい日、ながめていましたが、ある日、けらいに、いいました。 「この刀で、一度ためしぎり( →詳細 )をしてみたいものだが、まさか、ふくめんをして、つじぎり(刀の切れ味を確かめるため、街頭で人を切ること)をするわけにはいかないし、何かよい方法はないものだろうか」 すると、けらいが、 「それなら、まんじゅうを十個かさねて、おきりなさいませ。かさねて下まできれておれば、ちょうど、人間の胴体をきったのと、同じだともうします」 「そうか、それではさっそく、ためしてみることにいたそう」 「へい」 けらいは、さっそく、まんじゅうを用意しますと、ざしきのまん中に、十個つみかさねました。 「では、おためしください」 「よし、・・・」 殿さまが、『えいっ』と気あいをかけて、刀をふりおろしますと、みごとに、たたみまできれております。 「おみごと! これは、あっぱれな名刀ですな。それでは、きりすてたこの死がいは、わたくしめが、とむらってやりましょう」 と、けらいは、まんまと、まんじゅうを手に入れました。
2010年2月26日(金) 08時31分36秒 |
スタッフブログ |
1860(万延元)年、江戸幕府が派遣した使節団が咸臨丸(かんりんまる)で太平洋を横断してサンフランシスコに到着した日です。 咸臨丸は、日米修好通商条約批准のため遺米使節団を乗せた日本初の本格的な洋式軍艦で、勝海舟や福沢諭吉らが乗船していました。
2010年2月25日(木) 08時22分42秒 |
スタッフブログ |
1969(昭和44)年、日本初の駅売りタブロイド判夕刊紙「夕刊フジ」が発刊されたのがこの日です。 ちなみに日本で新聞の夕刊が登場したのは1915(大正4)年の10月10日で、「大阪朝日新聞」と「大阪毎日新聞」が同時に発行を開始しました。
|