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3月6日 スポーツ新聞の日(京都でのお部屋探しは京都賃貸.com)

2010年3月 6日(土) 08時40分08秒 スタッフブログ
1946(昭和21)年のこの日、日本初のスポーツ新聞「日刊スポーツ」が創刊されました。
 タブロイド判4ページ、1部50銭でした。第1面を飾ったのは、野球の投手を中心にしたスポーツ選手のイラストでした。



3月5日 珊瑚の日(京都でのお部屋探しは京都賃貸.com)

2010年3月 5日(金) 08時19分07秒 スタッフブログ

「さん(3)ご(5)」の語呂合わせから、世界自然保護基金(WWF)が1996(平成8)年に制定しました。
 同基金は、この年から石垣島・白保に珊瑚礁保護研究センターを建設する運動を開始し、2000(平成12)年4月に「しらほサンゴ村」をオープン。
 海の大切さを広く知らせる活動に取り組んでいます。

海に関する昔話

むかしむかし、ある村に、心のやさしい浦島太郎(うらしまたろう)という若者がいました。
 浦島(うらしま)さんが海辺を通りかかると、子どもたちが大きなカメをつかまえていました。
 そばによって見てみると、子どもたちがみんなでカメをいじめています。
「おやおや、かわいそうに、はなしておやりよ」
「いやだよ。おらたちが、やっとつかまえたんだもの。どうしようと、おらたちの勝手だろ」
 見るとカメは涙をハラハラとこぼしながら、浦島さんを見つめています。
 浦島さんはお金を取り出すと、子どもたちに差し出して言いました。
「それでは、このお金をあげるから、おじさんにカメを売っておくれ」
「うん、それならいいよ」
 浦島さんは、子どもたちからカメを受け取ると、
「大丈夫かい? もう、つかまるんじゃないよ」
と、カメをそっと、海の中へ逃がしてやりました。
 さて、それから二、三日たったある日、浦島さんが海に出かけて魚をつっていると、
「・・・浦島さん、・・・浦島さん」
と、だれかが呼ぶ声がします。
「おや? だれが呼んでいるのだろう?」
「わたしですよ」
 すると海の上に、ひょっこりとカメが頭を出して言いました。
「このあいだは、ありがとうございました」
「ああ、あのときのカメさんかい」
「はい、おかげで命が助かりました。ところで浦島さんは、竜宮(りゅうぐう)へ行ったことがありますか?」
「竜宮? さあ? 竜宮って、どこにあるんだい?」
「海の底です」
「えっ? 海の底へなんか、行けるのかい?」
「はい。わたしがお連れしましょう。さあ、背中へ乗ってください」
 カメは浦島さんを背中に乗せて、海の中をずんずんともぐっていきました。
 海の中には、まっ青な光が差し込み、コンブがユラユラとゆれ、赤やピンクのサンゴの林がどこまでも続いています。
「わあ、きれいだな」
 浦島さんがウットリしていると、やがて立派なご殿(てん)へ着きました。
「着きましたよ。このご殿が竜宮です。さあ、こちらへ」
 カメに案内されるまま進んでいくと、この竜宮の主人の美しい乙姫(おとひめ)さまが、色とりどりの魚たちと一緒に浦島さんを出迎えてくれました。
「ようこそ、浦島さん。わたしは、この竜宮の主人の乙姫です。このあいだはカメを助けてくださって、ありがとうございます。お礼に、竜宮をご案内します。どうぞ、ゆっくりしていってくださいね」
 浦島さんは、竜宮の広間ヘ案内されました。
 浦島さんが用意された席に座ると、魚たちが次から次へと、ごちそうを運んできます。
 ふんわりと気持ちのよい音楽が流れて、タイやヒラメやクラゲたちの、それは見事な踊りが続きます。
 ここはまるで、天国のようです。
 そして、
「もう一日いてください。もう一日いてください」
と、乙姫さまにいわれるまま竜宮ですごすうちに、三年の月日がたってしまいました。
 ある時、浦島さんは、はっと思い出しました。
(家族や友だちは、どうしているだろう?)
 そこで浦島さんは、乙姫さまに言いました。
「乙姫さま、いままでありがとうございます。ですが、もうそろそろ家へ帰らせていただきます」
「帰られるのですか? よろしければ、このままここで暮しては」
「いいえ、わたしの帰りを待つ者もおりますので」
 すると乙姫さまは、さびしそうに言いました。
「・・・そうですか。それはおなごりおしいです。では、おみやげに玉手箱(たまてばこ)を差し上げましょう」
「玉手箱?」
「はい。この中には、浦島さんが竜宮で過ごされた『時』が入っております。これを開けずに持っている限り、浦島さんは年を取りません。ずーっと、今の若い姿のままでいられます。ですが開けてしまうと、今までの『時』がもどってしまいますので、決して開けてはなりませんよ」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
 乙姫さまと別れた浦島さんは、またカメに送られて地上へ帰りました。
 地上にもどった浦島さんは、まわりを見回してびっくり。
「おや? わずか三年で、ずいぶんと様子がかわったな」
 たしかにここは、浦島さんがつりをしていた場所なのですが、なんだか様子がちがいます。
 浦島さんの家は、どこにも見あたりませんし、出会う人も知らない人ばかりです。
「わたしの家は、どうなったのだろう? みんなはどこかへ、引っ越したのだろうか? ・・・あの、すみません。浦島の家を知りませんか?」
 浦島さんが一人の老人にたずねてみると、老人は少し首をかしげて言いました。
「浦島? ・・・ああ、たしか浦島という人なら、七百年ほど前に海へ出たきりで、帰らないそうですよ」
「えっ!?」
 老人の話しを聞いて、浦島さんはびっくり。
 竜宮の三年は、この世の七百年にあたるのでしょうか?
「家族も友だちも、みんな死んでしまったのか・・・」
 がっくりと肩を落とした浦島さんは、ふと、持っていた玉手箱を見つめました。
「そういえば、乙姫さまは言っていたな。この玉手箱を開けると、『時』がもどってしまうと。・・・もしかしてこれを開けると、自分が暮らしていた時に戻るのでは」
 そう思った浦島さんは、開けてはいけないと言われていた玉手箱を開けてしまいました。
 モクモクモク・・・。
 すると中から、まっ白のけむりが出てきました。
「おおっ、これは」
 けむりの中に、竜宮や美しい乙姫さまの姿がうつりました。
 そして楽しかった竜宮での三年が、次から次へとうつし出されます。
「ああ、わたしは、竜宮へ戻ってきたんだ」
 浦島さんは喜びました。
 でも、玉手箱から出てきたけむりは次第に薄れていき、その場に残ったのは、髪の毛もひげもまっ白の、ヨポヨポのおじいさんになった浦島さんだったのです。





3月4日 ミシンの日(京都でのお部屋探しは京都賃貸.com)

2010年3月 4日(木) 08時26分44秒 スタッフブログ
「ミ(3)シン(4)」の語呂合わせから、日本家庭用ミシン工業会が1990(平成2)年にミシン発明200周年を記念して制定しました。
 ミシンの原型は1589年の機械式の毛糸編み機で、日本初のミシンは1869(明治2)年に日本人の手によって作られました。



3月3日 ひなまつり(京都でのお部屋探しは京都賃貸.com)

2010年3月 3日(水) 08時24分58秒 スタッフブログ
ひな祭りとは、平安時代の京都の風習だった子供の無病息災を願う上巳の節句(じょうみのせっく)と、ままごとの遊びが江戸時代初期に融合し、女の子のお祭りになったといわれています。
 ひな祭りという呼び名は、小さな人形で「ままごと遊び」することを「ひいな遊び」と呼んでいたのが語源です。
 はじめは京都の上流階級の家だけの行事でしたが、しだいに民間の行事となり、やがては地方へとひろまっていきます。
 ひな祭りは江戸時代中期にかけて年々盛んになり、人形やひな壇もどんどん派手になっていきました。
 当時は等身大の人形をかざったひな壇もあったといいます。
 ですが、1721年(享保6)に、ぜいたくな生活を規制する当時の江戸幕府によって、ひな人形の大きさは24cm以下とさだめられました。

 ひな祭りのことを別名で「モモの節句」といいますが、それは当時の旧暦の3月3日は、現在の4月上旬にあたり、ちょうどモモの花も開くころだったからです。
 また江戸時代、ひな祭りの日には、銭湯でモモの葉をお風呂に入れた「桃の湯」に入るのが流行していました。
 昔話の桃太郎が鬼を退治するように、植物のモモには災いをおいはらう効能があると信じられていたからです。

 みなさんも、ひな祭りにはモモの入浴剤で「桃の湯」を楽しんではいかがでしょうか。



3月2日 遠山の金さんの日(京都でのお部屋探しは京都賃貸.com)

2010年3月 2日(火) 08時29分34秒 スタッフブログ

1840(天保11)年のこの日、遠山の金さんこと遠山左衛門尉景元が北町奉行に任命されました。
 1843(天保14)年2月24日まで在職しています。
 江戸には北町奉行所と南町奉行所があり、1ヶ月ごとに、交替で勤務にあたっていました。

名裁きに関する昔話

むかし、江戸の下町(したまち)に、おしずと、たいちという親子がすんでいました。
 たいちは、今年、十才になるかわいい男の子です。
 おしずは、たいちをとてもかわいがって育てていたのです。
 ところが、ある日、突然、おこまという女の人がやってきて、
「おしずさん、たいちはわたしの息子。むかし、あなたにあずけたわたしの息子です。かえしてください」
と、言うのです。
 おしずはおどろいて、
「何を言うのです。あなたからあずかった子は、もう十年も前に亡くなったではありませんか。この事は、おこまさんだって知っているでしょう」
「いいえ、うそをいってもだめです。お前さんは自分の子が死んだのに、わたしの子が死んだと言ってごまかして、わたしの息子をとりあげてしまったんじゃありませんか。わたしはだまされませんよ。さあ、すぐにかえしてください!」
 おこまは、こわい顔でそう言いはるのです。
 おしずが、いくら違うといっても聞きません。
 毎日、毎日、おこまはやってきては、同じ事をわめきたてていくのです。
 そしてしまいには、顔にきずのある、おそろしい目つきの男をつれてきて、
「さあ、はやくかえしてくれないと、どんな目にあうかわからないよ!」
と、おどかすのです。
 おしずは困りはてて、町奉行(まちぶぎょう)の大岡越前守(おおおかえちぜんのかみ)にうったえました。
 越前守は話を聞くと、おこま、おしず、たいちの三人をよびました。
「これ、おこま。お前は、そこにいるたいちを自分の息子だと言っているそうだが、何か証拠はあるのか?」
「はい。実はこの子が生まれましたとき、わたしはおちちが出なかったので、おしずさんにあずけたのです。この事は、近所の人がみんな知っています。だれにでもお聞きになってください」
 おこまは、自信たっぷりに答えました。
「では、おしずにたずねる。お前は、おこまの子どもをあずかった覚えがあるのか?」
「はい。ございます」
 おしずは、たいちの手をしっかりとにぎりしめて言いました。
「この子が生まれた時、わたしはおちちがたくさん出ました。それで、おこまさんの子どものひこいちをあずかったのです。でも、その子はまもなく病気で死んでしまいましたので、すぐにおこまさんに知らせたのでございます」
 おしずの言葉を聞くと、おこまはおそろしい目で、おしずをキッと、にらんでさけびました。
「このうそつき! お奉行(ぶぎょう)さま、おしずは大うそつきです。死んだのはおしずの子です。わたしの子どもをかえしてください!」
「いいえ、死んだのは、たしかにひこいちだったんです。お奉行さま、まちがいありません。おこまの子は死んだのです」
「まだそんな事を言って! 人の子をぬすんだくせに!」
「たいちはわたしの子だよ。だれにもわたしゃしない。わたしの大事な子なんだ!」
 二人は、お奉行さまの前であることもわすれて、言いあらそいました。
 その二人の様子をジッとみつめていた越前守は、やがて、
「二人とも、しずまれっ!」
と、大声でしかりました。
 おこまとおしずは、あわててはずかしそうに、すわりなおしました。
「おこま。その息子がお前の子どもである、たしかな証拠はないか? たとえば、ほくろがあるとか、きずあとがあるとか。そういう、めじるしになるようなものがあったら言うがいい」
 おこまは、くやしそうに首をよこにふりました。
「・・・いいえ。それが、何もありません」
「では、おしず。そちはどうじゃ?」
 おしずも残念そうに、首をふりました。
「・・・いいえ。何もございません」
「そうか」
 越前守はうなずいて、
「では、わしが決めてやろう。おしずはたいちの右手をにぎれ。おこまはたいちの左手をにぎるのじゃ。そして引っぱりっこをして、勝った方を、本当の母親に決めよう。よいな」
「はい」
「はい」
 二人の母親は、たいちの手を片方ずつにぎりました。
「よし、引っぱれ!」
 越前守の合図で、二人はたいちの手を力いっぱい引っぱりました。
「いたい! いたい!」
 小さいたいちは、両方からグイグイ引っぱられて、悲鳴をあげて泣き出しました。
 その時、ハッと手をはなしたのは、おしずでした。
 おこまはグイッと、たいちをひきよせて、
「勝った! 勝った!」
と、大喜びです。
 それを見て、おしずはワーッと、泣き出してしまいました。
 それまで、だまって様子を見ていた越前守は、
「おしず。お前は負けるとわかっていて、なぜ、手をはなしたのじゃ?」
と、たずねました。
「・・・はい」
 おしずは、泣きながら答えました。
「たいちが、あんなに痛がって泣いているのを見ては、かわいそうで、手をはなさないではいられませんでした。・・・お奉行さま。どうぞ、おこまさんに、たいちをいつまでもかわいがって、幸せにしてやるように、おっしゃってくださいまし」
「うむ、そうか」
 越前守は、やさしい目でうなずいてから、しずかな声でおこまに言いました。
「おこま、いまのおしずの言葉を聞いたか?」
「はいはい、聞きました。もちろん、この子はわたしの子なのですから、おしずさんに言われるまでもありません。うんとかわいがってやりますとも。それにわたしは、人の息子をとりあげて、自分の子だなんていう、大うそつきとはちがいますからね。だいたい、おしずさんは」
「だまれ! おこま!」
 越前守は、とつぜんきびしい声で言いました。
「お前には、痛がって泣いている、たいちの声が聞こえなかったのか! ただ勝てばいいと思って、子どもの事などかまわずに手を引っぱったお前が、本当の親であるはずがない! かわいそうで手をはなしたおしずこそ、たいちの本当の親じゃ。どうだ、おこま!」
 越前守の言葉に、おこまはまっ青になって、ガックリと手をつきました。
「申し訳ございません!」
 おこまは、自分がたいちをよこどりしようとしたことを白状しました。
「お母さん!」
「たいち!」
 たいちは、おしずの胸に飛び込みました。
「お奉行さま、ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
 おしずは、越前守をおがむようにして、お礼を言いました。
「うむ、これにて、一件落着!」





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