2010年6月28日(月) 08時47分45秒 |
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「に(2)わ(8)とり」の語呂合わせから、日本養鶏協会などが1978(昭和53)年6月に制定しました。 鶏卵・鶏肉の消費拡大が目的です。 ところで、人間とニワトリの関わりはすでに5000年以上にもなります。 古くは時を告げる鳥として、「時告げどり」と呼ばれていました。
2010年6月27日(日) 08時25分02秒 |
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1972(昭和47)年、最高裁判所で日照権は法的に保護するのに値するという判決が下されたのがこの日です。 これ以来、日照権が確立し、法的な保護が与えられるようになりました。 昭和40年代に中高層マンションが増加したことが裁判の原因でした。
太陽に関する昔話
北風と太陽が、どちらが強いかでいいあらそっていました。 議論ばかりしていてもきまらないので、それでは力だめしをして、旅人の着ものをぬがせたほうが勝ちときめよう、ということになりました。 北風がはじめにやりました。 北風は思いきり強く、 「ビューッ!」と、吹きつけました。 旅人はふるえあがって、着ものをしっかり押さえました。 そこで北風は、いちだんと力を入れて、 「ビュビューッ!」と、吹きつけました。 すると旅人は、 「うーっ、さむい。これはたまらん。もう1まい着よう」 と、いままで着ていた着ものの上に、もう1まいかさねて着てしまいました。 北風はがっかりして、 「きみにまかせるよ」と、太陽にいいました。 太陽はまずはじめに、ぽかぽかとあたたかくてらしました。 そして、旅人がさっき1まいよけいに着たうわ着をぬぐのを見ると、こんどはもっと暑い、強い日ざしをおくりました。 じりじりと照りつける暑さに、旅人はたまらなくなって、着ものをぜんぶぬぎすてると、近くの川へ水あびにいきました。
この話は、人に何かをさせるには、力ずくでやるよりも、あいてがその気になるようによく説明するほうが、ききめがあることがおおい、ということをおしえています。
2010年6月25日(金) 08時40分16秒 |
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全国建設労働組合総連合が1978(昭和53)年に制定しました。 1852(嘉永5)年のこの日、スペインの建築家、アントニオ・ガウディが誕生したことを記念しています。 街の大工や左官屋など職人の腕と信用を再確認する日です。
2010年6月23日(水) 08時24分15秒 |
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毎月23日は、「ふ(2)み(3)きり」の語呂合わせから踏切の日です。 特に梅雨で雨が多いために事故が発生しやすい6月は、重要視されています。 踏切には第1種から第4種がありますが、遮断機と警報機のついた安全性の高い第1種甲が原則になっています。 それでも最近の鉄道関連の死亡事故は、そのほとんどが踏みきりで起きています。
鉄道に関する昔話
むかし、まだ汽車(きしゃ)がめずらしかったころのことです。 いなかの村にも、汽車がはしるようになりました。 あるばん、きかんしゅがシュッポシュッポと、汽車をはしらせていくと、むこうから、くるはずのない汽車がはしってきます。 「あっ、あぶない!」 急ブレーキをかけてとまると、ふしぎなことに、あいての汽車はかげもかたちもありません。 こんなことが何度もあったので、きかんしゅはカンカンです。 あるばん、きかんしゅは、にせものの汽車があらわれると、ブレーキをかけるどころか、反対にスピードをあげました。 ドカーン! ぶつかりましたが、そのとたん、にせものの汽車はパッときえて、かげもかたちもありません。 そのばんおそく、薬屋の戸をたたくものがありました。 みせのひとがでてみると、お寺の小僧さんです。 「和尚(おしょう→詳細)さんがやけどしました。やけどのくすりをわけてください」 「それはおきのどく。どうぞ、おだいじに」 薬屋はつぎの日、和尚さんをおみまいにいきました。 すると、和尚さんはピンピンしています。 「なに、わしがやけどをした? それに、うちの寺にはいま、小僧をひとりもおいていない。これはひょっとすると、うらのやぶにすんでいるタヌキかもしれん」 和尚さんは薬屋と、やぶへまわって、タヌキのあなぐらをのぞきこみました。 すると、タヌキはやけどをした頭に、せっせとくすりをぬりこんでいます。 「いったい、どうしたんじゃ?」 和尚さんがきくと、タヌキは、 「汽車がとおるようになって、やぶがけずられて、うるさくてひるねもできません。それで、汽車にばけておどかしていたのですが、ゆうべは汽車のかまどに頭をぶつけて、ごらんのありさまです」 「そうか。にせものの汽車は、おまえだったのか。まあ、やけどくらいですんでよかった。はやくなおして、げんきにおなり」 和尚さんはそういって、タヌキをなぐさめました。
2010年6月22日(火) 08時28分49秒 |
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日本ボウリング場協会が1972(昭和47)年に制定しました。 1861(文久元)年6月22日付の英字新聞「ザ・ナガサキ・ショッピングリスト・アンド・アドバタイザー」に日本初のボウリング場オープンの広告が掲載されたことを記念しています。
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