2010年7月 9日(金) 08時25分17秒 |
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毎月9日は鯨(くじら)の日です。 1993(平成5)年、日本捕鯨協会が京都で国際捕鯨委員会(IWC)を開催しました。 それを記念して、同協会を始め、大日本水産会などの25団体が制定しました。 「く(9)じら」の語呂合わせです。
くじらの昔話
むかし、アメリカのインディアンに、タバコがすきで、歌のじょうずな、クロスカップという英雄がいました。 ある日、このクロスカップは、用があって、海をわたることになりました。 でも、クロスカップは、あまり泳ぎがじょうずではありません。 そこで、 ♪ほうい ほうい。 ♪海をわたりたいが わたしはあまり泳げない ♪お礼はするから だれかわたしをのせてくれ ♪ほうい ほうい 海岸にたって歌うと、クジラがやってきました。 「海のむこうまで、のせていってくれないか?」 「おやすいご用だ」 クジラは、ぜんそく力でおよぎ出しました。 「しっかりつかまっていてくださいよ」 「だいじょうぶ。おまえのせなかは、ひろいから」 クロスカップはクジラの背中で、きざみタバコをパイプにつめると、ぷかり、ぷかりと、ふかしました。 やがてむこうに、めざす島が見えはじめた時、きゅうに、クジラのスピードがおちました。 「どうしたんだい」 「このまますすめば、おなかが海のそこに、つかえてしまいますよ」 心配そうに、クジラがいいました。 「なあに、だいじょうぶさ」 クロスカップが、わらっていうので、クジラは、またすすみました。 でも、やっと島についた時、やっぱり、あさせにのりあげてしまいました。 「ほら、あなたのせいですよ。もう、海にもどれなくなってしまった。どうしよう・・・」 クジラは、なき出してしまいました。 「心配するな、わたしが海に返してやるから」 と、いうと、クロスカップは、せなかからすベりおりて、クジラの頭をかかえると、すごい力で、 「えい、えいっ!」 と、おしました。 すると、 「ずずっ、ずずずっ」 クジラはすべり出して、海にぷっかりと、うかびました。 「さて、のせてくれたお礼に、何をあげよう。」 クロスカップが聞くと、くじらは、ちょっと考えていいました。 「パイプとタバコをください」 「よかろう。」 クジラは、パイプをくわえて、よろこんで帰っていきました。 みなさんは、クジラがしおをふくと思っているでしょうが、本当は、あれは、パイプをふかしているのですよ。
2010年7月 8日(木) 08時28分56秒 |
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毎月8日は屋根の日です。 漢字の「八」が屋根の形に似ていることから、全国陶器瓦工業組合連合会によって制定されました。 もとは8月8日だけでした。 また、同連合会は、日本経済新聞社との共催で毎年「甍(いらか)賞」コンテストを実施しています。
2010年7月 7日(水) 08時36分42秒 |
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七夕(たなばた)とは、もともと旧暦7月7日に行う星祭りで、現在は新暦の7月7日や月遅れの8月7日におこなう所があります。 わし座の牽牛(けんぎゅう)星と、こと座の織女星が旧暦の7月7日の夜(七夕)に出会う伝説は中国で生まれたものです。 一般的に織女星はベガとよばれ、牽牛星はアルタイルとよばれています。 もとの七夕物語は中国のお話しですが、しかし日本には、それよりも前に、棚機つ女(たなばたつめ)の乙棚機(おとたなばた)の信仰があり、それが牽牛と織女の伝説と習合しました。
姉妹サイトの福娘童話集には、六つの七夕物語を掲載していますが、今回は香川県に伝わる「七夕の始まり」をご紹介します。
七夕にまつわる昔話
むかしむかし、あるところに、ほうろく売りがいました。 ほうろくというのは、土でつくったフライパンみたいなものです。 ある年の七月、ほうろく売りが山道を通りかかると、娘さんたちが湖で水あびをしていました。 ふと見ると、目の前に美しい着物がおいてあります。 (ああっ、何てきれいな着物なんだろう) ほうろく売りはその着物がほしくなり、その中の一枚をすばやくカゴに入れて、何くわぬ顔で通りすぎていきました。 ところがタ方、仕事を終えたほうろく売りがそこへもどってくると、一人の美しい娘さんがシクシクとないているのです。 (ははん。さては、わしに着物をとられた娘だな) ほうろく売りは娘さんに自分の着物を着せて、家につれて帰りました。 この娘さん、見れば見るほど美人です。 ほうろく売りはこの娘さんが気に入り、自分のお嫁さんにしました。 やがて子どもが生まれて、親子三人は、なかよくくらしていました。 ある日の事です。 ほうろく売りが仕事に出かけた後、お嫁さんが子どもをねかせていて、ふと天井を見てみると、何やらあぶら紙(→防水を目的とする、物を保存するための和紙)につつんだものがあります。 (あら、何のつつみかしら?) お嫁さんがつつみを開いてみると、中にはぬすまれた着物が入っていました。 「あっ! これはわたしの着物! きっと、あの人がぬすんだにちがいない。ゆるさない!」 お嫁さんはその着物をすばやく着ると、子どもをかかえて空へのぼろうとしました。 そこへ、ほうろく売りがもどってきたのです。 一目で全てをさとったほうろく売りは、お嫁さんに手をついてあやまりました。 「ま、待ってくれ! わたしが悪かった。だから待ってくれ!」 「いいえ! わたしは天の国へもどります! あなたに着物をとられて、しかたなくお嫁さんになりましたが、わたしはもともと天女(てんにょ)です」 「すまない! あやまる! いままでに何度も返そうと思ったが、お前がどこかへ行ってしまうのではないかと心配で、返すに返せなかったんだ」 「いいわけは聞きません。さようなら」 「たのむ! なんでもする。どんなつぐないでもする。だから、わたしをおいていかないでくれ!」 必死にあやまる男の姿に、心をうたれたお嫁さんは、 「・・・では、もし本当にわたしが大切なら、本当にわたしに会いたいのなら、わらじを千足つくって、天にのぼってきなさい。そうすれば親子三人、今までどおり暮らす事ができるでしょう」 と、言うと、お嫁さんは子どもとともに、天高くのぼっていってしまいました。 ほうろく売りはお嫁さんに会いたくて、さっそくわらじをつくりはじめました。 毎日、朝から晩までごはんも食べずに、わらじをつくりました。 何日もかかって、やっと、九百九十九足のわらじができました。 (よし、あと一足だ。あと一足で、あいつと子どもに会えるんだ) そう思うと、ほうろく売りはがまんできなくなり、一足たりないまま外へとびだし、天に向かって、 「おうい、はやくむかえにきてくれー!」 と、さけびました。 すると、天から雲がおりてきました。 ほうろく売りはその雲にのり、上へ上へとのぼっていきました。 ところがわらじが一足たりないため、あと少しの所で天の国へ着くというのに、それっきり雲が動かなくなりました。 「あっ、あなた、本当にきてくれたのね」 天女は、いっしょうけんめい手をふっているほうろく売りを見つけると、はたおりの棒を下へのばしました。 ほうろく売りはその棒につかまり、何とか雲の上に出ることが出来ました。 天女の家にはおじいさんとおばあさんがいて、赤ちゃんのおもりをしています。 「この人が、この子のお父さんです」 天女はほうろく売りを、二人の前につれていきました。 でも、二人はこわい顔でほうろく売りをにらみました。 何とかして、ほうろく売りを追いかえそうと考えていたのです。 そこでほうろく売りにザルをわたして、それで水をくんでくるように言いました。 穴のたくさん開いたザルでは、水をくんでくることができません。 ほうろく売りがこまっていると、お嫁さんはザルにあぶら紙をしいてくれました。 ほうろく売りはそれに水をくんで、二人のところへ持っていきました。 「うむ、人間にしてはなかなかちえがある。ほうびに、このウリをやろう。よこに切って食べろ」 そう言って、おじいさんはほうろく売りに大きなウリをくれました。 天の国では、ウリをたてに切って食べます。 もし横に切ったら、水がどんどん出て、止まらなくなるのです。 そんな事とは知らないほうろく売りが、ウリを横に切ったからたいへんです。 切り口から水がふきだして止まらなくなり、ほうろく売りは天の川に流されて、だんだん遠くなっていきます。 それを見て、お嫁さんがさけびました。 「あなたーっ、父母を説得して、月に一度、水の流れを止めてもらいます。毎月の七日に会いに来てください」 ところがほうろく売りは、水の流れの音のために聞きちがえて、 「よし、わかった。毎年の七月七日だな」 と、言って、そのまま流されていきました。 だから二人は、年に一回、七月七日にしか会えなくなったという事です。
2010年7月 6日(火) 08時18分45秒 |
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零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦の試作器による試験飛行が始まったのが1939(昭和14)年のこの日です。 ゼロ戦は「小回りが利き、飛行距離の長い戦闘機を」という海軍の要求で堀越二郎が設計しました。
2010年7月 4日(日) 08時28分42秒 |
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「な(7)し(4)」の語呂合わせから、記念日とされている日です。 梨は数少ない国産の果物で、詳しいルーツはわかっていませんが、「日本書紀」には梨の栽培技術が書かれています。 豊水や幸水などみずみずしい品種に人気があります。
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