1889(明治22)年、イタリアで大流行していたピザを当時の王女マルゲリータが所望しました。
そのときピザは、白(モッツアレラチーズ)・緑(バジル)・赤(トマトソース)でイタリア国旗をデザインにしていました。 11月20日は王女マルゲリータの誕生日にあたり、凸版印刷が1995(平成7)年に制定しました。 毛皮の日 1890(明治23)年、帝国ホテルが開業しました。 1871(明治4)年11月20日(旧暦)、甲府県が山梨県に改称されました。 行政相談委員の日 アフリカ工業化の日 世界のこどもの日 京都 賃貸よりおススメでした。
1959(昭和34)年、通学する児童を交通事故から守るため、学童擁護員(緑のおばさん)の制度がスタート。
この日、東京都に初めての緑のおばさんが登場しました。 当初は、東京都労働局が失業対策に採用していましたが、今は町内会などで分担されているようです。 世界トイレの日(World Toilet Day) 全国農業協同組合中央会(JA全中)が制定。 ペレの日 京都 賃貸よりおススメでした。
江戸幕府8代将軍徳川吉宗が、この日を「御城将棋の日」とし、年に1回の御前対局を制度化しました。
これを記念日として日本将棋連盟が1975(昭和50)年に制定しました。 吉宗は1716(享保元)年から1745(延享2)年までの30年間在位しており、「享保の改革」で有名。 将棋に関する昔話 横町のいんきょと、表通りのいんきょが、二人で将棋をさしています。 どうやら横町のいんきょのほうが、二回続けて負けて、この三回めも負けそうです。 「待った、待った」 横町のいんきょが待ったをすると、 「いや、待てぬ。これで二回も待ったをしたのだ、もう、だめだ」 と、表通りのいんきょは、冷たくいいます。 「もう、一度だけだ、たのむ」 「いいや、だめだ」 「そこを何とか、たのむ」 「だめだったら、だめだ」 しまいには、 「なにをー!」 「なにぃー!」 と、いって、将棋盤(しょうぎばん)をひっくりかえすしまつ。 「もうおまえとは、一生、将棋はささんぞ」 おこって、別れてしまいました。 ところが、ふたりとも、その日の夕方にもなりますと、なんとなくそわそわ。 「あのとき、待ったをしてやりゃあよかった」 「あのとき、すなおに負けを認めていれば、いまごろは、酒をくみかわして・・・」 と、しきりに、けんかをしたことがくやまれてなりません。 そこで、横町のいんきょは、何とか、なかなおりの方法はないものかと、表通りまでやってきますと、表通りのいんきょも、そわそわ、そわそわと、門を出たり入ったりしております。 二人は、ばったりと目があうと、つい、 「さっきのは、おまえがわるいんだぞ!」 もういっぽうも負けずに、 「いいや、おまえがわるいんだ!」 「では、どっちがわるいか、将棋できめよう」 「おお、将棋で決着をつけるぞ!」 と、いってあがりこみ、さっそく将棋盤をかこんで、さし始めました。 将棋好きの人は、だいたいがこんなものです。 ドラフト記念日 蓮根の日 京都 賃貸よりおススメでした。
公家や武家での習慣が一般化したのが七五三です。
男女児3歳「髪置(かみおき)」=これを機に髪を伸ばし結い直す。 男児は「袴着(はかまぎ)」=初めて紋付きの袴をはく。 女児7歳「帯解(おびとき)」=つけ紐をとり、大人と同じように腰紐で帯を結び始める。 このように定められています。 きものの日 全国蒲鉾水産加工業協同組合連合会が1983(昭和58)年に制定。 七五三の日に子供達に昆布を食べて丈夫になってもらおうと、日本昆布協会が1982(昭和57)年に制定。 りそな銀行が2006(平成18)年11月に制定。 京都 賃貸よりおススメでした。
文徳(もんとく)天皇の第一皇子惟喬(これたか)親王が京都・嵐山の法輪寺に参篭し、虚空蔵菩薩からうるしの製法、漆器の製造法を伝授されたのがこの日であるとされていることから、1985(昭和60)年に日本漆工協会が制定しました。
日本の伝統文化であるうるしの美しさを今一度見直して日本の心を呼び戻すことを目的にしています。 うるしに関する昔話 むかしむかし、宇都宮(うつのみや)に、うるし商人の武太夫(たけだゆう)という男がいました。 武太夫は大金持ちでしたが、それにはわけがありました。 数年前のある日、山奥の谷川のふちの底に、大量のうるしを見つけたのです。 うるしは、うるしの木の皮から取れる汁で、おわんなどのぬり物につかわれます。 そのうるしが長いあいだ水に運ばれて、ふちの底にたまったのです。 うるしは高価な物で、無断で取ることを禁じられていましたが、武太夫はこの谷川の底のうるしを少しずつ売り、大金持ちになったのです。 武太夫は秘密のうるしを、いつまでも自分だけのものにしておきたいと思いました。 それで腕の良い細工師(さいくし)に、恐ろしい竜の細工をつくらせて、人が怖がってよりつかないように、うるしのあるふちの底に沈めたのでした。 しばらくすると竜の細工は、上流から流れてくるうるしや水あかなどがついて、本物の竜のようになっていました。 ある時、武太夫は十四歳になる一人息子の武助(たけすけ)を連れて、山奥のふちへいきました。 そして、うるしの秘密を話すと、 「このうるしは、わしらだけのものじゃ。わざわざ木を切りつけて汁を取らなくても、いくらでもここへたまっておる。いいか、わしがするのをよく見て、うるし取りの練習をするんだぞ」 武太夫は息子にいいきかせて、親子でふちへ入っていきました。 すると竜の細工が、とつぜん頭を動かしたのです。 「おとう! 竜が! 竜が動いた!」 「何を馬鹿な。水の動きで、そう見えるだけだ」 と、 武太夫は言ったものの、見てみると、竜が大きな口を開けて、息子に襲いかかったのです。 細工の竜は水の中にいるうちに魂が入って、いつしか本物の竜になっていたのです。 あわてた武太夫は息子を助けようとしましたが、竜が相手ではどうにもなりません。 「武助ー!」 「おとうー!」 やがてふちの水の上に、二つの死体が浮かびあがって下流へ流れていきました。 二人の死体は二日目になって、村に近い川原で引き上げられました。 取り調べの結果、武太夫はうるしの盗み取りをしていたことがわかりました。 そして罰(ばつ)として、新しく建てたばかりの家や財産は、全て取り上げられてしまったのです。 あとに残された武太夫の父親と奥さんは、とても貧しい生活を送ったという事です。 いいひざの日 茨城県が1968(昭和43)年に制定。 京都 賃貸よりおススメでした。 |
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