1985(昭和60)年のこの日、日本シリーズで阪神タイガースが西部ライオンズを破り、2リーグ分裂後、初の日本一になりました。
タイガース後援会などが中心になり、この日を制定。当時は吉田監督以下、掛布、バースなどの猛打者が活躍しました。 トラに関する昔話
むかしむかし、あるところに、トラ狩りの上手なおじいさんがいました。 このおじいさんに鉄砲(てっぽう)をむけられたら、どんなにつよいトラもたちまちうちころされてしまいます。 ですからトラ山のトラたちは、おじいさんのすがたを見ると、あわててにげ帰ってしまいました。 「やあ、きょうはあぶないところだった。もう少しであのじいさんにみつかるところだった」 と、トラのお父さんはひやあせをふきながら、子どもにはなしました。 おじいさんの腕まえは、トラたちのあいだでは、だれ一人知らないものはありません。 けれどもおじいさんは、もう年をとっていました。 それで鉄砲のうちかたを、息子におしえたいと思いました。 ところがこの息子はたいへんななまけもので、まったく鉄砲をならおうとはしないのです。 「そんなものおぼえたってしようがない。山じゅうのトラは、おやじがみんなたいじしちまうだろうから」 と、かってなことをいっては、毎日毎日遊んでいました。 おじいさんはどうしようもなく、一人で山へいっては、トラをうちとっていました。 けれども息子のお嫁さんはとてもしっかりしており、おじいさんはこのお嫁さんだけをたよりにしていました。 ある日、おじいさんがポックリと死んでしまいました。 こんどは息子が働かなければ、くらしてはいけません。 そこで息子は、しかたなしに山へ木をきりにでかけました。 あるとき息子が山で木をきっていると、木のかげから大きなトラがあらわれました。 息子はビックリして、腰がぬけてしまいました。 「ト、ト、トラさま。ど、どうか、お、お助けを・・・」 トラは舌なめずりをしていいました。 「だめだ。わしの家族はみんな、おまえのじいさんに殺されてしまった。こんどはこっちがおまえを殺す番だ」 「ト、トラさま。まってください。めしあがるなら、あしたの朝までまってください。このたきぎをうちへおいてきますから。そうしないと、うちのものがこまるんです」 「・・・ふむ。それなら、あしたの朝はやくこい」 トラは、ゆっくり立ちさりました。 息子は青い顔で家にたどりつくと、お嫁さんに山でなにがあったかをはなしました。 「それで、どうするつもりなの?」 と、お嫁さんはたずねました。 息子は、 「どうするって、夜があけたら、約束通り殺されにいくしかないだろう」 と、いって、なきだしました。 すると、お嫁さんはニッコリしていいました。 「そうね。ではいってらっしゃいな。お父さんがトラ退治を教えてくださるといってたのに、なまけていたあなたがわるんいですもの」 あくる朝、息子はションボリとうなだれて、山へのぼっていきました。 お父さんに鉄砲のうちかたぐらい教わっておけばよかったと思っても、もうどうにもなりません。 おまけにお嫁さんまで、ニッコリわらっておくりだしてくれたのです。 これではもう、死ぬよりほかはありません。 息子はお昼近くに、やっときのうの場所ヘつきました。 「やい、おそいぞ!」 トラがキバをむいてどなりました。 「は、はい、その、あの・・・」 と、息子がモグモグいっていると、とつぜんうしろの木のあいだから、 「せがれ、おまえの前にあるのはたきぎか? それともトラか?」 と、いう声がしました。 ハッとふりむくと、木のあいだからトラ狩り名人のおじいさんが、鉄砲をこちらにむけて立っているではありませんか。 ビックリしたのは、トラのほうです。 あわてて首をすくめると、息子に小声でいいました。 「たきぎです。と、いえ」 息子は、いわれたとおり、 「たきぎです」 と、大きな声でへんじをしました。 「それなら、なぜさっさとたばにしてしばらないんだ」 と、おじいさんがたずねました。 するとトラが、 「一人じゃ、しばれません。あとでやります。といえ」 「一人じゃ、しばれません。あとで・・・」 息子がいいかけると、おじいさんは、 「一人でできないのなら、わしがてつだってやる」 と、いいました。 トラはおどろいて、 「じいさんをよぶな。おまえ一人でしばれ。そのかわりあとでほどいてくれよ。おまえをくうのは、やめにしてやるからな」 そこで息子は、ふるえながらトラをしばりはじめました。 するとおじいさんは、 「グルグルまきに、しばったか?」 と、たずねました。 「いいえ、一回きりです」 「たきぎなら、グルグルまきにしろ」 「うん。五回しばったよ」 「まだだ、もっと、しばれ」 息子はいわれるままに、トラのからだをグルグルまきにしばりました。 「どうだ」 「十五回、しばったよ」 「よかろう」 おじいさんは鉄砲を持ちかえると、木のあいだからでてきました。 そして近よってきて、息子の顔を見てニッコリ。 「・・・? あっ、あれっ、おまえかあ」 現れたのは、おじいさんのすがたをした、自分のお嫁さんだったのです。 しっかりもののお嫁さんのおかげで、だんなさんはトラを生けどりにしたのです。 他の記念日 キッチン・バスの日(家庭文化の日) 11月1日の万聖節が「諸聖人の記念日」なのに対し、万霊節は「諸死者の記念日」と呼ばれます。 京都 賃貸よりオススメでした。
ロシア漂流記でおなじみの大黒屋光太夫が1791(寛政3)年11月1日の帰国の際、女帝エカテリーナ2世から紅茶を贈られました。
それにちなんで日本紅茶協会が1983(昭和58)年に制定しました。 なお、紅茶の初輸入は1880年代のことです。 他の記念日 計量記念日 海上保安庁が1949(昭和24)年に制定。 1966(昭和41)年に制定。 生命保険協会が制定。 野沢温泉観光協会が制定。 1987(昭和62)年9月、九州で開かれた本格焼酎業者の会議の場で制定。日本酒造組合中央会が実施。 沖縄県酒造組合連合会が1989(平成元)年に制定。 全国穀類工業協同組合が制定。 三重県多気町の川魚を扱う会社「うおすけ」が制定。 点字記念日 京都 賃貸よりオススメでした。
ハロウィンについて
ハロウィンとは、キリスト教の聖人の祝日「万聖節」の前夜祭の事です。 元々は2000年以上前から行われている古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教的行事で、秋の収穫を祝い、亡くなった人たちをしのぶ収穫感謝祭がキリスト教に取り入れられ、現在のハロウィンになったと言われています。 ハロウィンお化けについて ケルト族の1年の終わりは、12月31日ではなく10月31日です。 この1年最後の夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出て来ると信じられていました。 そしてこれらから身を守る為に魔除けのたき火をしたり、自分たちが生身の人間である事がばれない様にと、お化けや動物の仮面をかぶるようになったのです。 ここから、ハロウィンの夜にはお化けの仮装をする様になったのです。 「カボチャお化け」と「トリック・オア・トリート」 ハロウィンと言えば、『カボチャお化け』と『トリック・オア・トリート』が有名です。 カボチャお化け ハロウィンの夜は、窓辺や玄関などにカボチャお化け(Jack-o'-Lantern)と呼ばれるカボチャをお化けの顔にくり抜いてつくったちょうちんを飾ります。 これは、天国と地獄を行き来する「うそつきジャック」が持っているカブちょうちんが由来となっています。 元々はカボチャではなくカブでしたが、アメリカではカブになじみがなく、ちょうどハロウィンの時期がカボチャの収穫時期であったためにカボチャで代用するようになり、今では世界的にカボチャが一般的となりました。 トリック・オア・トリート ハロウィンの夜、子どもたちはお化けの仮装をして近所の家の玄関を叩いては 「トリック・オア・トリート(Trick or Treat)」と言い、その家の人は 「ハッピー・ハロウィン(Happy Halloween)」と言って、用意していたお菓子を子どもたちにあげるます。 トリック・オア・トリートとは、日本語的に言えば「何かくれ。でなきゃイタズラをするぞ」と言う意味です。 核家族化や他人に食べ物をもらう事の抵抗感から、日本ではほとんど普及していませんが、アメリカなどでは日本の節分の様に一般的な行事です。 他の記念日 日本茶の日 ガス記念日 日本ガス協会が1972(昭和47)年に制定。 京都 賃貸よりオススメでした。
石川県七尾市が制定しました。
1992(平成4)年、七尾市で第7回国民文化祭「世界の香りフェアIN能登」が開催されたことにちなんでいます。 七尾市のシンボルにもなっている丁子は、香辛料や薬として利用されているクロープのことです。 香りに関する昔話
むかし、ある小さな寺に、おしょうさまとこぞうが住んでいました。 春のある日、おしょうさまが日なたぼっこをしていたら、あんまり気持ちがいいもので、 「かめの中に、この気持ちいい、春の香りの空気をいれておいて、冬になったら吸おう」 と、大きなかめの中に、春の香りの空気をいっぱいいれて、ふたしました。 ところが、何も知らないこぞうは、秋のごみそうじのときに、かめをふいていて、うっかりふたをあけてしまいました。 すると、『春の空気』と、かかれた紙きれといっしょに、スーッと、春の香りの空気が出てきました。 「あっ、しまった。おしょうさまの大切な物を、あけてしまった。どうしよう」 こぞうはいろいろ考えたあげく、春の空気は全部出して、そのかわりに、かめのなかにおならを入れました。 やがて冬になって、おしょうさまが、かめのふたを取ってみると、プーンと、なんとも臭いにおいがします。 おしょうさまは思わず鼻をつまんで、 「しまった。春の空気は、夏のうちにくさってしもうた」 他の記念日 初恋の日 ニュースパニックデー(宇宙戦争の日) 京都 賃貸よりオススメでした。
ホームビデオ愛好家グループが制定しました。
1969(昭和44)年のこの日、ソニーと松下電器が同時に家庭用VTR(ビデオテープレコーダー)を発表しました。 当時は、ソニーがベータマックス方式、松下がVHS方式という規格で対立しましたが、やがてVHSが主流となりました。 それから現在ではDVD、ブルーレイ、ハードディスクと、各記録メディアが次の主流をねらっています。 他の記念日 おしぼりの日 全国おしぼり協同組合連合会が2004(平成16)年に制定。 10月は「て(ten)」の語呂合せと10本の指から、29日は「ふ(2)く(9)」(拭く)の語呂合せで、「手を拭く」の意味。 とらふぐの日 「と(10)らふ(2)ぐ(9)」の語呂合せ。 京都 賃貸よりオススメでした。
|
|