東京・神楽坂近くにある「漱石山房」が漱石終焉の地です。
小さな公園になっており、猫塚なるものもあります。 1916(大正5)年12月9日、夏目漱石は49歳で永遠の眠りにつきました ねこに関する昔話 むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがくらしていました。 ある日のこと、おじいさんが山の畑で草とりをしていると、草むらに一ぴきの子ねこを見つけました。 「おおっ、かわいそうに。はらをすかせとるようじゃな。どれ、いっしょにうちに帰ろうな」 山でひろった子ねこを、おじいさんとおばあさんは、まるで自分の子どものように、だいじにだいじにかわいがりました。 ある日のこと、納屋(なや→ものおき)の中で、なにやらへんな音がするのに気がついたねこが、納屋へはいっていきました。 ♪それやれ、みがけやみがけ、ねずみのおたから。 ♪つゆのしっけをふきとばせ。 ♪それやれ、みがけやみがけ、ねずみのおたから。 ♪みがいてみがいて、ピッカピカ。 納屋のゆかにある小さなあなから、ねずみたちの歌う声が聞こえてきます。 つぎの日も、ねこは納屋にはいってみました。 すると、キョロキョロまわりを見まわしているねずみを見つけました。 ねずみは、ふくろからこぼれた豆をひろおうとしています。 そのとたん、ねこはねずみにとびかかっていきました。 「ひゃ?っ!」 おどろいたねずみは、いまにもなきそうな声でいいました。 「おねがいです。どうかわたしを見のがしてください。わたしたちねずみは、ねずみのおたからをみがかなくてはなりません。これはたいへんなしごとなんです。つかれがたまったのか、お母さんが病気でたおれてしまったのです。それで、お母さんにえいようをつけさせようと、豆をさがしに出てきたところです。お母さんが元気になったら、わたしはあなたに食べられに出てきます。それまでどうか待ってください」 「・・・・・・」 ねこはねずみをはなしてやりました。 「ありがとうございます。やくそくはかならず守りますから」 子ねずみがあなの中へ帰ってしばらくすると、ねずみたちの前に、豆がバラバラとおちてきました。 おどろいて顔をあげてみると、なんと、ねこが、一つぶ一つぶ、豆をあなから落としているのです。 子ねずみは、豆をお母さんにわたすと、ねこの前に出ていいました。 「ねこさん、ありがとう。これでお母さんも元気になることでしょう。さあ、やくそくどおり、わたしを食べてください」 しかしねこは、もっていたのこりの豆を子ねずみの前におくと、そのまま納屋から出ていってしまいました。 「ありがとう。ねこさん」 ねずみの目から、なみだがポロリとこぼれました。 それから何日かたった、ある日のこと。 納屋のほうから、チャリン、チャリンという音がします。 納屋の戸を開けたおじいさんとおばあさんは、目をまるくしました。 「これは、どうしたことじゃ」 ゆかのあなの中から、ドンドン、ドンドンと小判が出てくるのです。 そして、小判のあとから子ねずみ、母ねずみ、そしてほかのねずみたちも出てきました。 子ねずみが、小さなあたまをペコリと下げると、いいました。 「おかげさまで、お母さんの病気もすっかりよくなりました。ほんとうにありがとうございました。それと、ねずみのおたからを、ぶじにみがき終えることができました。おれいに、すこしではございますが、この小判をお受けとりください」 と、山のようにつみあげた小判を指さしました。 「なんと、このおたからをわしらにくれるんじゃと」 それは、おじいさんとおばあさんが二人でくらしていくには、じゅうぶんすぎるほどのおたからでした。 こうして、おじいさんとおばあさんは、いつまでもなに不自由なく、元気にくらすことができました。 もちろん、ねこといっしょに、ねずみたちもとてもかわいがったそうです。 障害者の日 国際障害者年の1981(昭和56)年のこの日に開催された総理府(現在の内閣府)主催の中心記念事業「広がる希望の集い」で制定。厚生省(現在の厚生労働省)が実施。 1975(昭和50)年、国連総会で「障害者の権利宣言」が採択されました。 国際腐敗防止デー(The International Day against Corruption) 2003(平成15)年のこの日、「国連腐敗防止条約」が調印されました。 公務員等による贈収賄・横領などの汚職・腐敗行為の防止の為の日です 京都 賃貸よりオススメでした。
1886(明治19)年のこの日、横浜で外国人船員のために日本初のクリスマスツリーが飾られました。
また、日本で初めてクリスマスのお祝いが行われたのは、1875(明治8)年頃、原胤昭(はらたねあき)が設立した原女学校だと言われています。 神戸開港記念日 1992(平成4)年の国際民間航空機関(ICAO)の総会で制定し、1994年から実施。国際デーの一つ。 京都 賃貸よりオススメでした。
「よーく見てください。1(ワン)2(ツー)3(スリー)、はい消えました!」
という奇術の定番のかけ声から、日本奇術協会が1990(平成2)年に12月3日を記念日としました。 「ワン・ツー・スリー」という機関誌も発行しています。 プレイステーションの日 ベビー総合専門店「ベビーザらス」の国内第1号店、新浦安店の開店日が12月3日であることと、12月3日を「いいにんぷさん」と読む語呂合わせから、「プレママの日」を制定したのは、日本トイザらス株式会社。 岩手県生めん協同組合が制定。 全国団扇扇子カレンダー協議会が1987(昭和62)年に制定。 凸版印刷が1995(平成7)年に制定。 全国果実生産出荷安定協議会と農林水産省が制定。 自動車電話の日,コードレス電話の日 京都 賃貸よりオススメでした。
1977(昭和52)年のこの日にカメラメーカー小西六写真工業(コニカ)が世界初の自動焦点(オートフォーカス)カメラを販売したことからカメラの日といわれています。
そのカメラは「コニカC35AF」で愛称は「ジャスピンコニカ」です。 2年間で100万台を生産したほどのヒット商品でした。 本みりんの日 「いい(11)ミラー(30)」の語呂合せ。 シルバーラブの日 京都 賃貸よりオススメでした。
「いい(11)ふく(29)」の語呂合わせから記念日とされています。
この日とは別に、2月9日が全国服飾学校協会・日本ファッション教育振興協会などが制定した「服の日」と11月12日が全日本洋服協同組合連合会が制定した「洋服記念日」となっています。 おしゃれに関する昔話 あるところに、カーレンという、かわいらしい女の子がいました。 カーレンは、おかあさんとふたりですんでいましたが、ある時、おかあさんが病気でなくなってしまいました。 お葬式の日、ひとりぼっちになったカーレンがないていると、お金持ちのおばあさんが、馬車で通りかかりました。 おばあさんはカーレンをかわいそうに思って、牧師(ぼくし→プロテスタント教会の聖職者で、教会の責任者)さんにいいました。 「どうか、わたしに、その子の世話をさせてくださいませんか」 こうしてカーレンは、おばあさんの家でくらすことになりました。 それからカーレンは、勉強をしたり、おさいほうをならったりしながら、楽しくくらしました。 むかしの貧乏なくらしが、まるでうそのような、すてきな毎日でした。 ある日、女王様がお姫様をつれて、町へおいでになりました。 カーレンは家のまえに出て、その行列を見ました。 お姫様は、きれいな服を着て、目のさめるような、美しいまっ赤な靴をはいていました。 カーレンは、その真っ赤な靴の美しさを、わすれることができませんでした。 それから、何年かたちました。 カーレンも、そろそろ、おとなの仲間入りをする年です。 ある時カーレンは、靴屋の店先で、お姫様の靴と、そっくりな赤い靴を見つけました。 (いいなあ、あの靴がほしいなあ) カーレンが、その靴をほしがっていることがわかったので、おばあさんは、その靴をカーレンに買ってやりました。 「まあ、すてきな靴をありがとう。これをはいて、教会へいってみたいわ」 それを聞いたおばあさんは、カーレンに注意しました。 「教会は黒い靴をはいていくものです。赤い靴をはいていってはいけませんよ」 「・・・はい」 けれどカーレンは、そのいいつけをききませんでした。 おばあさんが重い病気にかかって、ねこんでしまうと、いつもいつも、赤い靴をはいて教会へいきました。 教会では、おおぜいの人たちが、うらやましそうに自分の靴を見ているように思えて、とてもうれしくなりました。 (みんなわたしの靴を見ている。うふふふふふっ) ある日、カーレンは、ダンスパーティーにまねかれました。 パーティーにいきたいカーレンは、苦しそうにねているおばあさんのかんびょうもしないで、おしゃれに夢中になりました。 そして、赤い靴をはいて、パーティーに出かけようとしました。 ところが、歩き出したとたん、たいへんなことがおこりました。 足がひとりでに動き出して、ダンスをおどり出したのです。 「わあ、とまらない、とまらないわ!」 やめようと思っても、自分ではどうにもなりません。 まるで靴のいうなりになってしまったように、外へおどり出したのです。 カーレンは、おどりながら町を出て、とうとう、暗い森の中へ入っていきました。 すると木かげに、赤いひげをはやした気味の悪い魔法使いのおじいさんがたっていて、 「ほほう、なんときれいなダンス靴だ」 と、いうと、カーレンのおどりは、いよいよはげしくなりました。 そしてそれから、カーレンは夜も昼も、晴れた日も雨の日も、森や野原をおどりつづけました。 何日すぎたでしょうか。 もうフラフラになって、もといた家のそばまでおどりながらきた時、カーレンは、おばあさんのお葬式にであいました。 カーレンは、むねがはりさけそうになって、なき出しました。 あのやさしかったおばあさんが死んでしまったのは、自分のせいだと思ったからです。 「ああ、おばあさん、ごめんなさい。・・・神様、どうか、どうかこのおろかなわたしを、おゆるしください」 カーレンの心は、おばあさんへのおわびの気持ちでいっぱいになりました。 その時、あたりに、サーッと、まばゆい光がさしてきました。 そして、光の中にまっ白い服をきた天使がたっていて、カーレンにほほえみました。 すると、あの赤い靴がカーレンの足からぬげて、カーレンのおどりがようやく終わりました。 いい肉の日 1892(明治23)年、前年の大日本帝国憲法発布を受けて初の帝国議会が開かれました 京都 賃貸よりオススメでした。 |
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