京都の賃貸に詳しい「京都賃貸.com」のスタッフブログです!
京都の賃貸のアレコレやお得情報をご紹介いたします ! ぜひご覧下さい !

オススメ物件 スタッフブログ

12月10日 世界人権デー

2009年12月10日(木) 08時24分28秒 スタッフブログ

「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」で始まる「世界人権宣言」が、1948(昭和23)年のこの日、パリで行われた第3回国連総会で採択されました。
 それを記念して1950(昭和25)年の国連総会で記念日になりました。

パリ→フランスに関する昔話

あるところに、商人が三人のむすめとくらしていました。
 三人のうちでも、末むすめのベルは、とても美しく、心がやさしいのでひょうばんです。
 ある時、おとうさんが仕事で近くの町ヘ出かけることになると、一ばん上の姉さんがいいました。
「お月さまの色をした服を買ってきて」
 すると、二ばんめの姉さんも、
「お日さまの色をした服を買ってきて」
と、ねだりました。
 でも、ベルは何もいわないので、かわいそうに思ったおとうさんが、何度も聞くと、
「・・・バラの花が、一本ほしいわ」
と、答えました。
 仕事を終えたおとうさんは、姉さんたちの服を買いました。
 でも、バラの花はどこにもありません。
 おまけに帰るとちゅう、道にまよってしまったのです。
 こまっていると、遠くにあかりが見えました。
 近づいてみると、とてもりっぱなお城です。
 けれど、いくらよんでも、お城からは、だれも出てきません。
 ふと見ると、庭にきれいなバラの花が咲いています。
「みごとなバラだ。これを、ベルのおみやげにしよう」
 おとうさんはベルのために、赤いバラをひとえだおりました。
「こらー!」
 そのとたんに、目のまえに、おそろしい野獣の顔をした男があらわれました。
「だいじなバラをぬすんだな、ゆるさんぞ! いいか、おまえのむすめをひとり、ここへつれてこい。さもないと、いのちはないと思え!」
と、いって、野獣の男は、パッとすがたをけしました。
 おとうさんはふるえながら道をさがし、やっとのことで家にたどりつきました。
 おとうさんが、まっさおな顔で野獣の話をすると、ベルはいいました。
「おとうさん、ごめんなさい。わたしがバラをねだったせいです。野獣のところへは、わたしがまいります」
「しかし・・・」
「いいえ、わたしがまいります」
 ベルがいいはるので、おとうさんはなくなく、ベルをお城へつれていきました。
 すると、たちまち野獣が出てきて、
「このむすめはあずかっておく。おまえは帰れ!」
と、おとうさんをおい返しました。
 ベルはこわくて、こわくて、ブルブルと、ふるえていました。
 でも、野獣はやさしい声で、ベルにいいました。
「こわがらなくてもいいよ。この城はあなたの城。食べ物も着る物も、ほしいものはみんな、ひとりでに出てくる。どうぞ、楽しくおくらしなさい」
 野獣は、時どき食事をしにくるだけでした。
 でも、見かけとちがって、いつもやさしい野獣に、ベルはうれしくなりました。
 ある日、野獣は遠くの物を見ることが出来る、ふしぎな鏡をベルにくれました。
 ベルがその鏡で、自分の家の様子を見てみますと、なんと、病気でねているおとうさんのすがたがうつっていたのです。
 おとうさんは、ベルのことがしんぱいで、病気になってしまったのでした。
「おねがい、おとうさんのおみまいに、いかせてください」
「いいよ。・・・でも、かならず帰ってきておくれ」
 ベルが家に帰ると、おとうさんは大よろこびで、すぐに病気がなおってしまいました。
 けれど、姉さんたちにひきとめられて、ベルはなかなかお城へもどれません。
 そんなある晩、今にも死にそうな野獣のゆめをみました。
「たいヘんだわ。はやく帰らなければ」
 夢中で道を走り、やっとお城ヘついた時、野獣はグッタリして、もう、口もきけません。
「ごめんなさい、ごめんなさい。わたしが帰らなかったせいなのね。ほんとうに、ごめんなさい」
 ベルはポロポロと涙をこぼしました。
 そして、その涙が野獣のかおにおちたとたん、野獣のすがたは、りっぱな王子さまにかわったのです。
「ありがとう、ベル。おかげで、魔法がとけました。やさしい人が、ぼくのためにないてくれなければ、魔法はとけなかったのです。・・・ベル、どうか、ぼくと結婚してください」
「はい」
 やがてふたりは結婚して、幸せにくらしました。

 ディズニーで有名な「美女と野獣」の元のお話しです。





12月9日 漱石忌

2009年12月 9日(水) 08時21分46秒 スタッフブログ

東京・神楽坂近くにある「漱石山房」が漱石終焉の地です。
 小さな公園になっており、猫塚なるものもあります。
 1916(大正5)年12月9日、夏目漱石は49歳で永遠の眠りにつきました。

ねこに関する昔話

むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがくらしていました。
 ある日のこと、おじいさんが山の畑で草とりをしていると、草むらに一ぴきの子ねこを見つけました。
「おおっ、かわいそうに。はらをすかせとるようじゃな。どれ、いっしょにうちに帰ろうな」
 山でひろった子ねこを、おじいさんとおばあさんは、まるで自分の子どものように、だいじにだいじにかわいがりました。
 ある日のこと、納屋(なや→ものおき)の中で、なにやらへんな音がするのに気がついたねこが、納屋へはいっていきました。
♪それやれ、みがけやみがけ、ねずみのおたから。
♪つゆのしっけをふきとばせ。
♪それやれ、みがけやみがけ、ねずみのおたから。
♪みがいてみがいて、ピッカピカ。
 納屋のゆかにある小さなあなから、ねずみたちの歌う声が聞こえてきます。
 つぎの日も、ねこは納屋にはいってみました。
 すると、キョロキョロまわりを見まわしているねずみを見つけました。
 ねずみは、ふくろからこぼれた豆をひろおうとしています。
 そのとたん、ねこはねずみにとびかかっていきました。
「ひゃ?っ!」
 おどろいたねずみは、いまにもなきそうな声でいいました。
「おねがいです。どうかわたしを見のがしてください。わたしたちねずみは、ねずみのおたからをみがかなくてはなりません。これはたいへんなしごとなんです。つかれがたまったのか、お母さんが病気でたおれてしまったのです。それで、お母さんにえいようをつけさせようと、豆をさがしに出てきたところです。お母さんが元気になったら、わたしはあなたに食べられに出てきます。それまでどうか待ってください」
「・・・・・・」
 ねこはねずみをはなしてやりました。
「ありがとうございます。やくそくはかならず守りますから」
 子ねずみがあなの中へ帰ってしばらくすると、ねずみたちの前に、豆がバラバラとおちてきました。
 おどろいて顔をあげてみると、なんと、ねこが、一つぶ一つぶ、豆をあなから落としているのです。
子ねずみは、豆をお母さんにわたすと、ねこの前に出ていいました。
「ねこさん、ありがとう。これでお母さんも元気になることでしょう。さあ、やくそくどおり、わたしを食べてください」
 しかしねこは、もっていたのこりの豆を子ねずみの前におくと、そのまま納屋から出ていってしまいました。
「ありがとう。ねこさん」
 ねずみの目から、なみだがポロリとこぼれました。
 それから何日かたった、ある日のこと。
 納屋のほうから、チャリン、チャリンという音がします。
 納屋の戸を開けたおじいさんとおばあさんは、目をまるくしました。
「これは、どうしたことじゃ」
 ゆかのあなの中から、ドンドン、ドンドンと小判が出てくるのです。
 そして、小判のあとから子ねずみ、母ねずみ、そしてほかのねずみたちも出てきました。
 子ねずみが、小さなあたまをペコリと下げると、いいました。
「おかげさまで、お母さんの病気もすっかりよくなりました。ほんとうにありがとうございました。それと、ねずみのおたからを、ぶじにみがき終えることができました。おれいに、すこしではございますが、この小判をお受けとりください」
と、山のようにつみあげた小判を指さしました。
「なんと、このおたからをわしらにくれるんじゃと」
 それは、おじいさんとおばあさんが二人でくらしていくには、じゅうぶんすぎるほどのおたからでした。
 こうして、おじいさんとおばあさんは、いつまでもなに不自由なく、元気にくらすことができました。
 もちろん、ねこといっしょに、ねずみたちもとてもかわいがったそうです。





12月8日 歯ブラシの交換日

2009年12月 8日(火) 08時20分33秒 スタッフブログ

歯ブラシの取り替え時期は1ヶ月に1回が目安といいます。
 毛先が広がらず、まだたまだ使えそうに見えても、1ヵ月ほどの使用でブラシの弾力は弱くなっていて、十分な歯磨きが出来ないそうです。
 そこで毎月8日を歯の日と歯ブラシ交換の日として、1997(平成9)年にサンスターが制定しました。
 日本人の習慣として、年明けに新しい歯ブラシを交換しようと、12月は古い歯ブラシをそのまま使う人が多いようで、特に12月の交換は重要視されています。

(他の記念日)

対米英開戦記念日(太平洋戦争開戦記念日)
 1941(昭和16)年12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6ヶ月に及ぶ大東亜戦争対米英戦(太平洋戦争)が勃発しました。

「12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」
という意味の暗号電報
「ニイタカヤマノボレ1208」が船橋海軍無線電信所から送信され、戦艦アリゾナ等戦艦11隻を撃沈、400機近くの航空機を破壊して、攻撃の成功を告げる「トラトラトラ」という暗号文が打電されました。
 元々は、ワシントンで交渉していた野村・来栖両大使がアメリカ側に最後通牒を手渡してから攻撃を開始することになっていましたが、最後通牒の文書の作成に時間がかかったため、事実上奇襲攻撃となってしまいました。
 アメリカ軍は「リメンバー・パールハーバー」を戦争遂行の合言葉としました。

レノンズデー
 1980(昭和55)年、ビートルズの中心メンバーだったジョン・レノンがニューヨークの自宅アパート前で熱狂的なファン、マーク・チャプマンにピストルで撃たれて死亡しました。





12月7日 クリスマスツリーの日

2009年12月 7日(月) 08時15分03秒 スタッフブログ

1886(明治19)年のこの日、横浜で外国人船員のために日本初のクリスマスツリーが飾られました。
 また、日本で初めてクリスマスのお祝いが行われたのは、1875(明治8)年頃、原胤昭(はらたねあき)が設立した原女学校だと言われています

クリスマスが出てくる昔話

ある農家の娘が、楽しいことを空想しながら、牛からしぼったばかりのミルクの入った桶(おけ)を、頭に乗せて運んでいました。
「このミルクを売ったお金で、少なくとも300個の卵が買えるわ。
 そして、どんなに悪くても、卵からは200羽のヒナが生まれるわ。
 そして、そのうちの50羽は、親鳥に成長するわ。
 そう、ちょうどその頃はクリスマス前で、トリ肉が一番高く売れる時期だわ。
 高く売れると、そのお金で新しいドレスが買えるわね。
 真っ赤なドレス、とってもすてきな真っ赤なドレスよ。
 当然、クツもおそろいでね。
 そして、そのドレスを着てクリスマスパーティーに出かけるのよ。
 すてきなドレスを着た美人のあたしが登場すれば、若い殿方は、みんな、あたしにプロポーズしてくるわ。
 でも、すぐに受けてはダメ。
 こういうのは、じらすのがコツよ。
 あたしは、つれなく頭をツンともたげて、ていねいに、みんなの申し出を断るのよ。
 でも、みんなはあきらめず、あたしのまわりからはなれない。
 そこであたしは、・・・あっ!」
 娘が夢中になって頭をゆらしたとたん、ミルクの入った桶は地面に落ちてしまいました。
 そして、彼女のそうだいな計画は、終わってしまいました。

 この娘のように、まだ手に入れていない事なのに、手に入れたつもりであれこれ空想することを、日本語で、「取らぬ狸の皮算用」と、いいます。





12月6日 音の日

2009年12月 6日(日) 08時31分15秒 スタッフブログ

発明家エジソンの「3大発明」の一つが蓄音機です。
 1877(明治10)年のこの日、エジソンは蓄音機による録音と再生に成功したことから、日本オーディオ協会が1994(平成6)年に記念日として制定しました。
 エジソンは自ら「メリーさんの羊・・・」と吹き込み、再生したそうです。

音に関する昔話

むかしむかし、下関(しものせき→山口県)に、阿弥陀寺(あみだじ→真言宗の寺)というお寺がありました。
 その寺に、芳一(ほういち)という、びわひきがいました。
 芳一は、おさないころから目が不自由だったために、びわのひき語りをしこまれて、まだほんの若者ながら、その芸は師匠の和尚(おしょう)さんをしのぐほどになっていました。
 阿弥陀寺の和尚さんは、そんな芳一の才能(さいのう)を見こんで、寺にひきとったのでした。
 芳一は、源平(げんぺい)の物語を語るのが得意で、とりわけ壇ノ浦(だんのうら)の合戦のくだりのところでは、その真にせまった語り口に、だれ一人、涙をさそわれない者はいなかったそうです。
 そのむかし、壇ノ浦で源氏と平家の長い争いの、最後の決戦がおこなわれ、戦いにやぶれた平家一門は、女や子どもにいたるまで、安徳天皇(あんとくてんのう)として知られている幼帝(ようてい)もろとも、ことごとく海の底にしずんでしまいました。
 この悲しい平家の最後の戦いを語ったものが、壇ノ浦の合戦のくだりなのです。
 ある、むしあつい夏の夜のことです。
 和尚さんが法事で出かけてしまったので、芳一は、一人でお寺にのこってびわのけいこをしていました。
 そのとき、庭の草がサワサワと波のようにゆれて、縁側(えんがわ)にすわっている芳一の前でとまりました。
 そして、声がしました。
「芳一! 芳一!」
「はっ、はい。どなたさまでしょうか。わたしは目が見えませんもので」
 すると、声の主は答えます。
「わしは、この近くにお住まいの、さる身分の高いお方の使いの者じゃ。殿が、そなたのびわと語りを聞いてみたいとお望みじゃ」
「えっ、わたしのびわを?」
「さよう、やかたへ案内するから、わしのあとについてまいれ」
 芳一は、身分の高いお方が、自分のびわを聞きたいと望んでおられると聞いて、すっかりうれしくなって、その使いの者についていきました。
 歩くたびに、ガシャッ、ガシャッと、音がして、使いの者は、よろいで身をかためている武者だとわかります。
 門をくぐり、広い庭を通ると、大きなやかたの中に通されました。
 そこは大広間で、大勢の人が集まっているらしく、サラサラときぬずれの音や、よろいのふれあう音が聞こえていました。
 一人の女官(じょかん→宮中に仕える女性)がいいました。
「芳一や、さっそく、そなたのびわにあわせて、平家の物語を語ってくだされ」
「はい。長い物語ゆえ、いずれのくだりをお聞かせしたらよろしいのでしょうか?」
「・・・壇ノ浦のくだりを」
「かしこまりました」
 芳一は、びわを鳴らして語りはじめました。
 ろをあやつる音。
 ふねにあたってくだける波。
 弓鳴りの音。
 兵士たちのおたけびの声。
 息たえた武者が、海に落ちる音。
 これらのようすを、しずかに、もの悲しく語りつづけます。
 大広間は、たちまちのうちに壇ノ浦の合戦場になってしまったかのようです。
 やがて平家の悲しい最後のくだりになると、広間のあちこちから、むせび泣きがおこり、芳一のびわが終わっても、しばらくはだれも口をきかず、シーンと、静まりかえっていました。
 やがて、さっきの女官がいいました。
「殿もたいそう喜んでおられます。よいものをお礼に下さるそうじゃ。されど、今夜より六日間、毎夜そなたのびわを聞きたいとおっしゃいます。明日の夜も、このやかたにまいられるように。それから寺へもどっても、このことはだれにも話してはならぬ、よろしいな」
「はい」
 次の日も、芳一はむかえにきた武者について、やかたにむかいました。
 しかし、昨日とおなじようにびわをひいて寺にもどってきたところを、和尚さんに見つかってしまいました。
「芳一、いまごろまで、どこでなにをしていたんだね?」
「・・・・・・」
「芳一」
「・・・・・・」
 和尚さんがいくらたずねても、芳一は約束を守って、ひとことも話しませんでした。
 和尚さんは、芳一がなにもいわないのは、なにか深いわけがあるにちがいないと思いました。
 そこで寺男(てらおとこ→寺の雑用係)たちに、芳一が出かけるようなことがあったら、そっとあとをつけるようにいっておいたのです。
 そして、また夜になりました。
 雨がはげしくふっています。
 それでも芳一は、寺を出ていきます。
 寺男たちは、そっと芳一のあとを追いかけました。
 ところが、目が見えないはずの芳一の足は意外にはやく、やみ夜にかき消されるように、姿が見えなくなってしまったのです。
「どこへいったんだ?」
と、あちこちさがしまわった寺男たちは、墓地へやってきました。
 ビカッ!
 いなびかりで、雨にぬれた墓石がうかびあがります。
「あっ、あそこに!」
 寺男たちは、おどろきのあまり立ちすくみました。
 雨でずぶぬれになった芳一が、安徳天皇の墓の前でびわをひいているのです。
 その芳一のまわりを、無数の鬼火がとりかこんでいます。
 寺男たちは、芳一が亡霊(ぼうれい)にとりつかれているにちがいないと、力まかせに寺へつれもどしました。
 その出来事を聞いた和尚さんは、芳一を亡霊から守るために、魔除けのまじないをすることにしました。
 その魔除けとは、芳一の体中に経文(きょうもん)をかきつけるのです。
「芳一、おまえの人なみはずれた芸が、亡霊をよぶことになってしまったようじゃ。無念の涙をのんで海にしずんでいった平家一族のな。よく聞け。今夜はだれ かがよびにきても、けっして口をきいてはならんぞ。亡霊にしたがった者は命をとられる。しっかり座禅(ざぜん)を組んで、身じろぎひとつせぬことじゃ。も し返事をしたり声をだせば、おまえはこんどこそ、殺されてしまうじゃろう。わかったな」
 和尚さんはそういって、村のお通夜に出かけてしまいました。
 さて、芳一が座禅をしていると、いつものように亡霊の声がよびかけます。
「芳一、芳一、むかえにまいったぞ」
 でも、芳一の声も姿もありません。
 亡霊は、寺の中へ入ってきました。
「ふむ。・・・びわはあるが、ひき手はおらんな」
 あたりを見まわした亡霊は、空中に浮いている二つの耳を見つけました。
「なるほど、和尚のしわざだな。さすがのわしでも、これでは手が出せぬ。しかたない、せめてこの耳を持ち帰って、芳一をよびにいったあかしとせねばなるまい」
 亡霊は芳一の耳に、冷たい手をかけると、
 バリッ!
 その耳をもぎとって、帰っていきました。
 そのあいだ、芳一はジッと座禅を組んだままでした。
 寺にもどった和尚さんは、芳一のようすを見ようと、大いそぎで芳一のいる座敷へかけこみました。
「芳一! 無事だったか!」
 じっと座禅を組んだままの芳一でしたが、その両の耳はなく、耳のあったところからは血が流れています。
「お、おまえ、その耳は・・・」
 和尚さんには、すべてのことがわかりました。
「そうであったか。耳に経文を書きわすれたとは、気がつかなかった。なんと、かわいそうなことをしたものよ。よしよし、よい医者をたのんで、すぐにもきずの手当てをしてもらうとしよう」
 芳一は両耳をとられてしまいましたが、それからはもう、亡霊につきまとわれることもなく、医者の手当てのおかげで、きずもなおっていきました。
 やがて、この話は口から口へとつたわり、芳一のびわはますます評判になっていきました。
 びわ法師の芳一は、いつしか『耳なし芳一』とよばれるようになり、その名を知らない人はいないほど、有名になったということです。





265  266  267  268  269  270  271  272  273  274  275
京都賃貸ショップ ルームズ

京都賃貸ショップ ルームズ

  • 〒607-8080
  • 京都市山科区竹鼻竹ノ街道町92
    ラクトC棟1F (中信東隣)
  • TEL 075-582-6060
  • FAX 075-582-6071
京都賃貸.com
ROOM's
携帯サイトはこちら QRコード
京都賃貸.com  京都賃貸ショップ ルームズ