2010年1月12日(火) 08時27分17秒 |
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スポーツ用品のメーカー、ミズノの直営店・エスポートミズノが1994(平成6)年に制定しました。 1911(明治44)年のこの日、オーストリアのレルヒ少佐が、新潟県の高田陸軍歩兵連隊の青年将校にスキーの指導をとりました。 これが、日本人初のスキーとなりました。
雪に関する昔話
さむいさむい北の国に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。 「おじいさん、たった、ふたりきりですと、さびしいですねえ」 「そうだね。せめて、子どもでもいれば・・・」 おじいさんとおばあさんには、子どもがひとりもいなかったのです。 「ほら、外を見てごらん。子どもたちが雪遊びをしているよ」 窓から外を見ると、外はまっ白。 雪が一面につもっていて、子どもたちが、大きな雪だるまをつくっていました。 「おばあさん。わたしたちも雪だるまをつくろう」 「そうですねえ。でも、おじいさん。それならば、帽子をかぶって、手ぶくろをはめて、長ぐつも、ちゃ一んとはいている、かわいい女の子をつくってみましょうよ」 「うん、そうしよう」 おじいさんとおばあさんは、うれしそうに外へ出ると、庭のまん中に雪を集めて、それはかわいい、本物そっくりの雪の女の子をつくりました。 「さあ、この子になんていう名まえをつけようか?」 「そうですねえ」 おばあさんがいったときです。 「わたしは、カーチャ」 突然、その雪の女の子が口をきいて、手をあげると、おじいさんとおばあさんに飛びついてきたのです。 白いほっペたは、みるみる桜色になり、炭でつくった黒髪と大きな黒い目は、本当の黒髪と目になりました。 おじいさんとおばあさんは大喜びです。 さっそく、女の子を家に連れてくると、 「カーチャ、おまえは、うちの子だよ」 そういって、洋服をつくってやったり、リボンを結んでやったり、新しい長ぐつを買ってきて、はかせたりして、それはそれは、大事に育てることにしたのです。 ところが、どういうわけでしょうか。 冬が終わって、春がきて、雪がすっかりとけてしまうころになると、女の子は、なんだか元気がなくなって、家の中でジーッとすわっているのです。 やがて、北の国にも夏がやってきました。 「カーチャ、森へ遊びにいきましょう」 近所の友だちが、女の子を呼びにきました。 「いやよ。外は暑いんですもの」 「まあ、カーチャ、森へいけば涼しいわ。小川の水は冷たくて、いい気持ちよ」 みんなが、いいました。 「そうだよ、カーチャ。たまには外で遊んでおいで」 おじいさんもおばあさんも、いいました。 そこで女の子は、しぶしぶ、みんなと森へ出かけていきました。 でも、ほかの子は、お日さまの下で花をつんだり、走ったりしているのに、女の子は、たったひとり、一日じゅう小川で足をひやしていました。 「カーチャったら、おかしな子ね」 タ方になって、森の向こうにお日さまが沈みました。 「さあ、今度はたき火をして、みんなでたき火の飛びこえっこをしましょう」 と、だれかが、いいました。 「わたしが一番よ、ほら」 「わたしが二番よ、ほら」 三番めが飛んで、四番めが飛んで、 「あら、カーチャがまだね」 とうとう女の子の番になりました。 「どうしたの、カーチャ、飛ばないの? 飛ベないの? こわいの?」 女の子が、いつまでたっても、ジーッと、たき火の火を見ているので、みんながいいました。 「わかったわ。カ一チャは、たき火がこわいのよ。弱虫なのよ」 「そうよ、そうよ。カーチャは弱虫よ」 女の子は悲しそうに、みんなを見ました。 「・・・弱虫じゃないわ」 女の子は、とうとう決心をして、火の上を飛び越えました。 ピョーン。 「ごらんなさい、飛んだでしょ。弱虫じゃないわ」 ところが、女の子は、たき火を飛び越したかと思うと、みるみる桜色のほっペたが白くなって、うすくなって、やがて手も足もからだも消えてしまいました。 寒い冬の雪から生まれた女の子は、ちょうど、雪がとけるように、消えてしまったのです。
2010年1月11日(月) 08時14分31秒 |
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お正月、年神様にそなえた鏡餅を、一家円満を願いながらお雑煮やお汁粉にして食べる日です。 鏡餅を刃物で切るのは切腹を連想されるために敬遠され、手や木づちで割ったり、砕いたりします。
(他の記念日)
蔵開き 商売をする家で、新年初めて蔵を開き、商売繁盛を祈ります。
塩の日 1569(永禄11)年の、武田信玄と交戦中の上杉謙信が、武田方の領民が今川氏によって塩を絶たれていることを知り、この日、越後の塩を送ったとされています。この話が、「敵に塩を送る」という言葉のもととなりました。
厚生省発足記念日 1938(昭和13)年、戦局拡大で国民の体力向上を図る為に厚生省(現在の厚生労働省)が発足しました。2001(平成13)年の中央省庁再編によって労働省と合併し、厚生労働省となりました。
2010年1月10日(日) 08時23分39秒 |
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福岡の食品会社ふくやが制定しました。 1949(昭和24)年のこの日、前年に創業したふくやは、研究を重ねてきていた「味の明太子」を初めて店頭に並べました。 ここに福岡名産の一つが誕生したわけです。
2010年1月 9日(土) 08時30分58秒 |
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1795(寛政7)年のこの日、相撲興隆の祖といわれる近代無比の名横綱・谷風(谷風梶之助)が感染のため死去したことから風邪の日と言われています。 まだ45歳で現役だった谷風は、4年間不敗の快記録を樹立、1782年まで63連勝するという無敵ぶりを誇っていました。
2010年1月 8日(金) 08時24分41秒 |
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「一(イチ)か八(バチ)か」を「1と8」にかけて、勝負の記念日とされています。 「一」と「八」はそれぞれ「丁」と「半」の上部をとったもので、「丁か半か」と同じ意味です。 丁はサイコロの合わせ目が偶数、半は同じく奇数の場合に使われる言葉です。
勝負に関する昔話
カメの足がおそいのを、ウサギがバカにして笑いました。 「あなたは足がはやくても、わたしのほうが勝ちますよ」と、カメがいいました。 するとウサギは、 「そんなこといったって□先だけだ。では競争しよう。そうすればわかる」といい、 「だれが場所をきめて、勝ったものにほうびを出すのですか」と、カメはいいました。 「キツネが公平でりこうだから、あれにたのもう」と、ウサギはいいました。 そこで、キツネが競争をはじめる合図をしました。 たちまち、あしのはやいウサギがカメをひきはなしました。 しかし、カメはあきらめずに、休まずあるきつづけました。 ウサギは足がはやいと思って安心しているものですから、とちゅうで大きな木を見つけると、そのこかげでひと休みしました。 それからしばらくして、ウサギはおきあがりました。 「あれ、すこしねむってしまったか。まあいい、どうせカメはまだ後ろにいるはず」 ウサギはおおきくのびをすると、そのままゴールにむかいました。 「よし、もうすぐゴールだ。・・・あれ」 自分がかったと思っていたのに、なんとカメが先にゴールしていたのです。
さいのうはあっても、いいかげんにやっていてだめになる人はたくさんいます。 また、さいのうはなくても、まじめでしんぼう強い人は、さいのうがある人に勝つこともあるのです。
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