公家や武家での習慣が一般化したのが七五三です。
男女児3歳「髪置(かみおき)」=これを機に髪を伸ばし結い直す。 男児は「袴着(はかまぎ)」=初めて紋付きの袴をはく。 女児7歳「帯解(おびとき)」=つけ紐をとり、大人と同じように腰紐で帯を結び始める。 このように定められています。 きものの日 全国蒲鉾水産加工業協同組合連合会が1983(昭和58)年に制定。 七五三の日に子供達に昆布を食べて丈夫になってもらおうと、日本昆布協会が1982(昭和57)年に制定。 りそな銀行が2006(平成18)年11月に制定。 京都 賃貸よりおススメでした。
文徳(もんとく)天皇の第一皇子惟喬(これたか)親王が京都・嵐山の法輪寺に参篭し、虚空蔵菩薩からうるしの製法、漆器の製造法を伝授されたのがこの日であるとされていることから、1985(昭和60)年に日本漆工協会が制定しました。
日本の伝統文化であるうるしの美しさを今一度見直して日本の心を呼び戻すことを目的にしています。 うるしに関する昔話 むかしむかし、宇都宮(うつのみや)に、うるし商人の武太夫(たけだゆう)という男がいました。 武太夫は大金持ちでしたが、それにはわけがありました。 数年前のある日、山奥の谷川のふちの底に、大量のうるしを見つけたのです。 うるしは、うるしの木の皮から取れる汁で、おわんなどのぬり物につかわれます。 そのうるしが長いあいだ水に運ばれて、ふちの底にたまったのです。 うるしは高価な物で、無断で取ることを禁じられていましたが、武太夫はこの谷川の底のうるしを少しずつ売り、大金持ちになったのです。 武太夫は秘密のうるしを、いつまでも自分だけのものにしておきたいと思いました。 それで腕の良い細工師(さいくし)に、恐ろしい竜の細工をつくらせて、人が怖がってよりつかないように、うるしのあるふちの底に沈めたのでした。 しばらくすると竜の細工は、上流から流れてくるうるしや水あかなどがついて、本物の竜のようになっていました。 ある時、武太夫は十四歳になる一人息子の武助(たけすけ)を連れて、山奥のふちへいきました。 そして、うるしの秘密を話すと、 「このうるしは、わしらだけのものじゃ。わざわざ木を切りつけて汁を取らなくても、いくらでもここへたまっておる。いいか、わしがするのをよく見て、うるし取りの練習をするんだぞ」 武太夫は息子にいいきかせて、親子でふちへ入っていきました。 すると竜の細工が、とつぜん頭を動かしたのです。 「おとう! 竜が! 竜が動いた!」 「何を馬鹿な。水の動きで、そう見えるだけだ」 と、 武太夫は言ったものの、見てみると、竜が大きな口を開けて、息子に襲いかかったのです。 細工の竜は水の中にいるうちに魂が入って、いつしか本物の竜になっていたのです。 あわてた武太夫は息子を助けようとしましたが、竜が相手ではどうにもなりません。 「武助ー!」 「おとうー!」 やがてふちの水の上に、二つの死体が浮かびあがって下流へ流れていきました。 二人の死体は二日目になって、村に近い川原で引き上げられました。 取り調べの結果、武太夫はうるしの盗み取りをしていたことがわかりました。 そして罰(ばつ)として、新しく建てたばかりの家や財産は、全て取り上げられてしまったのです。 あとに残された武太夫の父親と奥さんは、とても貧しい生活を送ったという事です。 いいひざの日 茨城県が1968(昭和43)年に制定。 京都 賃貸よりおススメでした。
1872(明治5)年のこの日、「礼服には洋服を採用す」という太政官布告が出されました。
これは、公家・武家、いわゆる裃(かみしも)や束帯(そくたい)などの和式の礼服を廃止し、洋服の使用を促進するというもの。 全日本洋服共同組合連合会が1972(昭和47)年に制定。 洋服に関する昔話 むかしむかし、三人のサギ師がいました。 いつもいつも、じょうずに、うそをついては、人の物をとっていたのです。 あるとき、三人のサギ師は、王さまのところへいって、いいました。 「王さま。わたくしたちは、とてもふしぎな布を、おることができます」 「ほう、どのような布じゃ?」 「ほんとうのむすこには見えますが、にせもののむすこには見えないという、ふしぎな布でございます」 王さまは、びっくりしました。 「ほんとうに、そのような布がおれるのか?」 「はい。ほんとうに、おれます」 王さまは、すっかり感心しました。 そのころ、この国では、おとうさんが死ぬと、そのあとをついで、家や、土地や、お金をもらえるのは、ほんとうのむすこだけ、ということになっていました。 「そういう便利な布があれば、だれがほんとうのむすこか、はっきりわかるわけだ。そして、ずるいにせものを、かんたんに見つけることもできるぞ」 そこで王さまは、三人のサギ師に、金や、銀や、絹をたくさんやって、そのふしぎな布をおらせることにしました。 サギ師たちは、お城の中の一へやに入って、布をおりはじめました。 四、五日たつと、三人はいいました。 「王さま。世界一めずらしい布がだんだん、できてまいりました。一度、ごらんになってください」 (わしは、まちがいなく、まえの王さまの、ほんとうのむすこだ) と、王さまは思っていました。 でも、なんとなく、心配です。 そこで、さきに、いちばんえらい家来を見にやりました。 いちばんえらい家来は、もどってくると、こういいました。 「それはそれはきれいな布が、できかかっておりました」 王さまは、もうひとりの家来を見にやりました。 その家来も、同じようにいいました。 「いままでに見たこともない美しい布が、できかかっております」 「家来たちに見えるのなら、わしにも見えるだろう」 こう思った王さまは、やっと自分で見にいきました。 三人のサギ師は、ねっしんにはたらいているふりをしました。 サギ師たちは、なにもない台の上をゆびさしながら、いいました。 「王さま。まことに美しい色でございましょう」 「・・・?」 王さまには、なにも見えません。 目をこすってみても、やっぱり見えません。 さあ、たいへんです。 このことが人に知れたら、王さまは、前の王さまのほんとうのむすこではないと言われて、王さまをやめなければなりません。 それではこまりますので、王さまは、わざとむねをはって言いました。 「うむ、なかなかに見事じゃ。できあがりをたのしみにしておるぞ」 それから、三日たちました。 王さまは、こんどは、正直者の裁判長に、布を見てくるように、いいつけました。 裁判長が仕事場にはいっていくと、三人のサギ師は、またまたいっしょうけんめい働いているふりをしました。 そして、美しい色や、すばらしいもようを、しきりに説明しました。 けれども、裁判長には、なんにも見えません。 裁判長は青くなりました。 だって、もしも、まえの裁判長のほんとうのむすこでないとすれば、裁判長という、りっぱな役目を、やめさせられてしまいますから。 そこで、王さまの前へもどってきて、 「あれは、わたくしが、いままでに見たなかで、いちばん美しい布でございます」 と、見えない布をほめました。 王さまは、おどろきました。 自分に見えないものが、ほかの人たちには、ちゃんと見えるのです。 王さまは、また、べつの役人に布を見てくるように、いいつけました。 この役人も、 「たしかに、世界でいちばん美しい布でございます。」 こうなっては、王さまもますます、見えるようなふりをしていなければなりません。 「みなの者。もうすぐ、世界でいちばん美しい布が、できあがるぞ」 とうとう、見えない布が、できあがりました。 王さまは、そのふしぎな布で、新しい着物をつくらせました。 そして、お祭りの日に、そのすばらしい着物をきて、町じゅうをまわることにしました。 いよいよ、お祭りの日になりました。 三人のサギ師は、ありもしない着物を、王さまに着せるふりをしました。 それを見て、家来たちは口ぐちにほめました。 「よくお似合いでございます」 「色も、もようも、ほんとに、きれいでございます」 「この様にうつくしい着物は、今まで見たことがありません。さあ、王さま、町の人たちにも見せてやってください」 王さまは、町の人たちの前に出ました。 町の人たちは、王さまを見てビックリ。 どう見ても、パンツ一つしか、はいていないのです。 でも、王さまの着物が見えないといえば、おとうさんのほんとうのこどもでないと思われます。 それで、みんなだまっていました。 そのとき、ひとりのどれいが、王さまの前に進み出て、いいました。 「王さま。わたしは、だれのこどもでもかまいません。わたしの目にうつる、ほんとうのことをいいます。王さまは、はだかで、馬にのっていらっしゃるんです」 「だまれ、だまれ、ばか者!」 と、王さまは、カンカンにおこって、どなりつけました。 しかし、どれいのことばを聞くと、 「王さまは、はだかだ。王さまは、はだかだ」 と、みんながいいはじめました。 王さまも、ようやく三人のサギ師にだまされたことに、気がつきました。 すぐに、家来をやって、三人をつかまえさせようとしました。 ところが、そのときにはもう、三人のサギ師は、金や、銀や、絹を、たくさんもって、にげてしまっていました。 皮膚の日 日本臨床皮膚科医学会が1995(平成7)年に制定。 「いい(11)ひふ(12)」の語呂合せ。 各地で無料相談会や講演会等が行われます。 京都 賃貸よりおススメでした。
「11(いい)10(ト)イレ」ということで、日本トイレ協会が1986(昭和61)年に制定しました。
同協会はこの日に「トイレシンポジウム」を開催し、公衆トイレを対象とした「グッドトイレ10賞」や「トイレレポートコンクール」の表彰などを行っています。 トイレ関する昔話 むかし、むかし、上野は、しのばずの池の弁天(べんてん)さまが、ひさしぶりのお開帳(かいちょう→ふだんは見せない物を公開すること)ということになりました。 さあ、ゆうめいな弁天さまのこと。 お堂のある小さな島は、朝早くから日のくれまで、たいへんなにぎわい。 あめ屋に、だんご屋、おもちゃ屋など、小さな出店の客をよぶ声に、チンチンチンと器用に子どもの名前をほりあげる、まい子の札売りまで、そして、ひときわさわがしいのは、四六のガマの油売りに、古着屋のたたき売りに、松井源水(まついげんすい→有名な、こま回し師)のこま回し。 出店から少しはなれたところには、茶屋も、ずらりとならんでいます。 ところが、この島は弁天さまの島ですので、やたらに小便ができません。 これがまことに不便(ふべん)で、とりわけ女の人は、こまりはててしもうた。 これを見て、頭のいい男が、茶店のうらをかりて、貸し便所をつくった。 ひとりがつかうたんびに、五文(百五十円ほど)ずつとるので、たいへんなもうけです。 太郎作(たろうさく)は、客のたえない便所を見て、 「なるほど。こいつあ、うまい思いつきだ」 すっかり感心して、 「よし。おれも便所をつくって、ひともうけしよう」 と、さっそく家に帰って、女房にそうだんすると、 「一けんできたあとだもの。いまさらたてたところで、はやりっこないよ」 と、はんたいします。 「なあに、そんなことがあるもんか」 と、太郎作は、女房をむりやりときふせて、いまある便所のすぐとなりに、新しいやつをたてました。 ところが、太郎作の便所は、たてたそのときから、大はんじょう。 お客がずらりとならんで、じゅんばんを待たねばならないというありさま。 それにくらべて、はじめからあるとなりの便所ヘは、入るものがひとりもいません。 夕方になると、太郎作夫婦は、おもい銭箱(ぜにばこ)をかついで、家に帰ってきた。 「どうだい、女房。やっぱり、おれのいったとおりだろう」 と、太郎作は、鼻たかだかです。 女房は、いかにもふしぎそうに、 「それにしても、どうしてまあ、うちのほうばっかりに、人がくるんでしょうねえ?」 と、たずねれば、太郎作は、すました顔で、 「じつはな。ちっと、頭をつかった」 「あれ、おまえさんがかい?」 「そんなに、ふしぎがることはない。なに、となりの便所には、おれが一日中、入っていたんだ」 エレベーターの日 ユースキン製薬が2000(平成12)年に制定。 日本肢体不自由児協会の主唱で1953(昭和28)年から実施。 労働省(現在の厚生労働省)が1971(昭和46)年に制定。 京都 賃貸よりおススメでした。
食品メーカー・ヤマキが制定。
この日が立冬になることが多いことから。 雪に関する昔話 むかし、冬がきて寒くなると、雪のかわりに空から、お砂糖や小麦粉の降ってくる村が中国にありました。 その村では、初めの日に小麦粉が降ってくると、そのつぎの日は、お砂糖がたくさん降ってくるのです。 お砂糖と小麦粉が、かわりばんこに空から降ってくる、そんな日が、十日も十五日も続くのです。 「やあ、今年も降ってきたぞ、白い粉が」 小麦粉の白い粉が降りだすと、村の人たちは、おけや水がめや、そのほか、いろんな入れ物を持ち出して、せっせと粉を集めます。 そしてそれを袋に入れて、大きな蔵に、いっぱい粉の入った袋をつめこみます。 「やあ、きょうは、甘い砂糖だぞ」 お砂糖も、小麦粉と同じで、砂や土がまじらないように、きれいに集めておきます。 こうして、一年分のお砂糖と小麦粉をたくわえてしまうと、村の人たちは、遊んで暮らせばいいのです。 「やあ、けっこう、けっこう。今年も働かなくていいわけだ」 「ほんとうにありがたいねえ。毎日、寝ころがっていればいいんだから」 村の人たちは、ほかの村の様に、畑を耕して麦や豆をつくろうとしません。 おなかがすいたら、おだんごや、砂糖菓子をつくって食ベればいいわけですから。 しあわせなことに、毎年毎年、冬になると、お砂糖も小麦粉も、じゅうぶんに空から降ってきました。 ところが、前の年の小麦粉やお砂糖が、蔵にたくさん残っているうえに、今年の分が集まるものですから、入れる所がなくて、はみ出してしまいます。 そうなると、村の人たちの心の中に、ありがたいという気持ちなどは、すっかりなくなって、小麦粉やお砂糖を、そまつにするようになりました。 子どもたちまで、小麦粉をおだんごにして、石のように投げてみたり、池にお砂糖を流して遊んだりしました。 やがて、今年も冬がやってきました。 けれども、村の人たちは、空からの贈り物を待ってはいません。 もう、あり余るほど、前の年の分が残っていたからです。 そのうちに、また、白い粉が降ってきました。 みるみるうちに、あたり一面、まっ白に積もりました。 そのとき、外で遊んでいた子どもたちが、奇妙な叫び声をあげました。 「あれー! 砂糖じゃないぞー!」 「小麦粉でもないぞー!」 「冷たい、冷たい、冷たい!」 「口の中へ入れたら、とけてなくなるよー!」 驚いて、おとなたちも外へ飛び出してきました。 「ほんとうだ。冷たくて、口に入れると、とけてしまうぞ!」 空から降ってきた白い粉、それは、お砂糖でもない、小麦粉でもない、ふつうの雪だったのです。 そして、そのつぎの年も、またつぎの年も、もうお砂糖や小麦粉は、けっして降ってきませんでした。 たくわえてあったお砂糖や小麦粉もついになくなり、すっかりなまけ者になってしまった人たちは、たいへん困ったということです。 知恵の日 一年を24に分けて季節を表す二十四節気の一つが立冬です。 ロシア革命記念日 (ソビエト連邦) 京都 賃貸よりオススメでした。 |
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