2010年6月18日(金) 08時21分03秒 |
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1908(明治41)年、ブラジル第1回移民として158家族781人が笠戸丸でブラジルのサントス港に到着したのがこの日です。 それを記念日として、総理府(内閣府)が1966(昭和41)年に制定、国際協力事業団移住事業部が実施を開始しました。
移住に関する昔話
むかしむかし、ある森にリスが住んでいました。 夏が終わりに近づいたころ、リスはせっせとドングリを集めて、カシの木のすみかにはこんでいました。 「やあ、リス君。何をしてるんだい?」 さっきからようすを見ていた小鳥が、声をかけました。 「こんにちは、小鳥さん。冬ごもりの支度(したく)をしているのさ。冬は食べ物がないからね」 いそがしそうに答えるリスに、小鳥はわらいました。 「アハハハハ。そんなことしなくても、冬が来る前に、南の国へわたればいいのに。何もこんな雪にうもれる森で、ふるえてすごすことはないよ。南の国は木の実も果物もどっさりあって、お日さまはあついぐらいてらしてくれるんだよ」 「へえ! その南の国って、どこにあるんだい?」 リスは集めたドングリをバラバラと落として、目をかがやかせました。 「南の国はね、あの山のむこうだよ。まあ、二週間もあれば大丈夫」 「あの山のむこうかあ。それでさ」 リスがもっといろいろ聞こうとすると、小鳥はめんどうくさくなったのか、バタバタと飛んで行ってしまいました。 リスはボンヤリと、遠い山をながめました。 「寒い冬をあったかくすごせたらいいだろうなあ。木の実も果物も、どっさりだって。・・・いいなあ」 リスは、自分も南の国へ行きたくなりました。 やがて秋が来て、色づいた木の葉もちり、風がピューピューと冷たくふきながら、森をかけまわる冬がやって来ました。 リスはドングリを集めるのも、あたたかい寝床(ねどこ)を作るのもやめて、毎日、南の国でくらすことばかり夢見ていました。 そうして、カシの木がすっかり葉っぱを落としてしまうと、 「さあ、行こう。あたたかい南の国へ」 と、ほんとうに南へと出発(しゅっぱつ)したのです。 リスは走って森をぬけ、沼地(ぬまち)では何度も足をとられそうになり、木ぎれにつかまってわたりました。 走り続けて、やっと山のふもとにたどりついたのは、もう夕方でした。 足はクタクタにくたびれて、パンパンにはれあがっています。 「今夜中に山のてっぺんにのぼって、南の国に『おはよう』のあいさつをするんだ!」 リスは何度もそう言って自分をはげまし、一歩ずつのぼって行きました。 けれども、足が痛い上におなかもペコペコです。 風はリスをふるわせて、夜空の星もこおりそうな寒さです。 「ああ、もう、だめだ・・・」 リスは大きな石を見つけて、そのかげで丸くなりました。 そしてため息をついたとたん、気がつきました。 「そうか、小鳥たちは空を飛んでわたるから、くたびれないで南の国へ行けるんだ。・・・ああっ!」 そのときです。 リスはいきなり、背中をナイフでさされたような痛みをおぼえました。 そのとたん、体がうきあがり、あっという間に空高くつれさられたのです。 リスをつかまえて飛んだのは、恐ろしいトンビでした。 リスはこわくてたまりませんでしたが、もう、あばれる力もありません。 もっとも、本当にあばれたら、地面に落とされて死んでしまうでしょう。 「どっちにしても、ぼくは死んじゃうんだ」 と、そのとき、ビュー! と風がふいてきたかと思うと、一羽のするどいくちばしをもった別のトンビが来てどなりました。 「やい、そのエサをこっちへよこしな! 言うとおりにしないと、お前の背中を血だらけにするぜ!」 「じょ、冗談じゃねえ!」 リスをつかまえたトンビは逃げましたが、リスが重くて思うように飛べません。 たちまち、トンビとトンビが夜空でたたかいを始めました。 一羽が逃げるともう一羽が追いかけて、ツメで傷つけ、くちばしでつつきます。 リスは暗い夜空をツメでつかまれたまま、あっちへ飛びこっちへ飛びとふりまわされ、痛さとこわさで何度も気絶(きぜつ)しそうになりました。 そのうちに、リスをつかまえていたトンビが背中をやられて、思わずツメをゆるめたのです。 「うわぁー!」 リスはまっさかさまに、落ちて行きました。 「もう、だめだ!」 リスは、一瞬(いっしゅん)、気をうしないましたが、何かにぶつかって、ハッと目を開けました。 運がいいことに、リスは森の木の枝にひっかかったのです。 リスは最後の力をふりしぼって、枝につかまりながら、用心(ようじん)して木をおりました。 やっと地面におりて、リスが木を見あげてみると、 「ああっ、ここは!」 そこは今まで住んでいた森で、落ちた木はリスの家のカシの木だったのです。 リスは大喜びで、作りかけの寝床(ねどこ)に丸くなりました。 「ああ、なんていい気持ち! 冬は寒くても、やっぱり自分の家が一番!」 リスは心から安心して、グッスリと眠りました。
おしまい
2010年6月17日(木) 08時42分46秒 |
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子どものなりたい職業の上位に入る「お巡りさん(警察官)」は、1874(明治7)年のこの日、日本で初めて巡査制度と共に誕生しました。 同じ年に東京では交番制度も生まれましたが、当時は交番の建物がなく、雨の日や風の日は大変だったといいます。
2010年6月16日(水) 08時23分59秒 |
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郵政省(総務省)とケーブルテレビ(CATV)事業者などが、1991(平成3)年に制定した日です。 1972(昭和47)年、「有線テレビジョン放送法」が設立したことを記念しています。 同法は、全国へのサービス提供や外資規制の緩和など、CATV普及に向けたさまざまな内容が盛り込まれています。
2010年6月15日(火) 08時51分39秒 |
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1950(昭和25)年、暑中見舞いはがきが初めて発売されました。 暑中見舞い(残暑見舞い)は、季節の挨拶状のひとつです。 40億枚以上発行される年賀状に比べると発行枚数はかなり少ないですが、それでも2008年度の総発行枚数は2億1,300万枚あります。
暑中見舞いを送るタイミングは一般的に梅雨明け後から立秋頃で、立秋を過ぎてからは残暑見舞となります。
特に決まった形式はありませんが、一般には 1. 季節の挨拶 「暑中お見舞い申し上げます」「残暑お見舞い申し上げます」などの決まり文句
2. 先方の安否をたずねる言葉/自身の近況を伝える言葉/先方の無事を祈る言葉
3. 最後に日付を書きます。 日付は「○○年○月」のみでもかまいませんし、「○○年 盛夏」なども多いです。
「拝啓」などの頭語や、「敬具」などの結語は不要です。
あるアンケートでは、「暑中見舞をもらうのは年賀状をもらうよりも新鮮でうれしい」とあります。 普段は暑中見舞いを出さない人も、今年はチャレンジしてみては?
2010年6月14日(月) 08時20分52秒 |
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1942(昭和17)年のこの日、ユダヤ人の少女アンネ・フランクが日記を書き始めました。 これがあの有名な「アンネの日記」の始まりです。 この日記帳は彼女がアムステルダムの隠れ家に入る少し前、13歳の誕生日に父から贈られたものでした。
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