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12月8日 歯ブラシの交換日(京都でのお部屋探しは京都賃貸.com)

2010年12月 8日(水) 08時24分25秒 スタッフブログ

歯ブラシの取り替え時期は1ヶ月に1回が目安といいます。
 毛先が広がらず、まだたまだ使えそうに見えても、1ヵ月ほどの使用でブラシの弾力は弱くなっていて、十分な歯磨きが出来ないそうです。
 そこで毎月8日を歯の日と歯ブラシ交換の日として、1997(平成9)年にサンスターが制定しました。
 日本人の習慣として、年明けに新しい歯ブラシを交換しようと、12月は古い歯ブラシをそのまま使う人が多いようで、特に12月の交換は重要視されています。

他の記念日

対米英開戦記念日(太平洋戦争開戦記念日)
 1941(昭和16)年12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6ヶ月に及ぶ大東亜戦争対米英戦(太平洋戦争)が勃発しました。

「12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」
という意味の暗号電報
「ニイタカヤマノボレ1208」が船橋海軍無線電信所から送信され、戦艦アリゾナ等戦艦11隻を撃沈、400機近くの航空機を破壊して、攻撃の成功を告げる「トラトラトラ」という暗号文が打電されました。
 元々は、ワシントンで交渉していた野村・来栖両大使がアメリカ側に最後通牒を手渡してから攻撃を開始することになっていましたが、最後通牒の文書の作成に時間がかかったため、事実上奇襲攻撃となってしまいました。
 アメリカ軍は「リメンバー・パールハーバー」を戦争遂行の合言葉としました。

レノンズデー
 1980(昭和55)年、ビートルズの中心メンバーだったジョン・レノンがニューヨークの自宅アパート前で熱狂的なファン、マーク・チャプマンにピストルで撃たれて死亡しました。

 

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高齢者買い物支援のキャンペーンを実施/東急セキュリティ(京都でのお部屋探しは京都賃貸.com)

2010年12月 7日(火) 08時22分30秒 スタッフブログ

東急セキュリティ(株)は12月31日まで、高齢者の買い物支援キャンペーンを展開している。

 高齢者が日常的な買い物に不便を感じる「買い物難民」の問題を踏まえ、東急バス(株)、(株)東急ストアと連携して行なうもの。東急セキュリティは、高齢者見守りサービス「シニアセキュリティ」において、東急ストアの「当日お届けサービス」を無料で提供している。同サービスにより、自宅からバスに乗って買い物に出向き、「当日お届けサービス」を利用することにより、重たい荷物を持つことなく安全に帰宅、自宅では「見守りサービス」によって安心な生活を送ることができる。キャンペーン期間中、同サービスについて、東急バスの車内ポスターや東急ストア店内設置のパンフレットで告知アピールしていくもの。

 

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12月7日 クリスマスツリーの日(京都でのお部屋探しは京都賃貸.com)

2010年12月 7日(火) 08時18分42秒 スタッフブログ

1886(明治19)年のこの日、横浜で外国人船員のために日本初のクリスマスツリーが飾られました。
 また、日本で初めてクリスマスのお祝いが行われたのは、1875(明治8)年頃、原胤昭(はらたねあき)が設立した原女学校だと言われています。

 

クリスマスが出てくる昔話
ある農家の娘が、楽しいことを空想しながら、牛からしぼったばかりのミルクの入った桶(おけ)を、頭に乗せて運んでいました。
「このミルクを売ったお金で、少なくとも300個の卵が買えるわ。
 そして、どんなに悪くても、卵からは200羽のヒナが生まれるわ。
 そして、そのうちの50羽は、親鳥に成長するわ。
 そう、ちょうどその頃はクリスマス前で、トリ肉が一番高く売れる時期だわ。
 高く売れると、そのお金で新しいドレスが買えるわね。
 真っ赤なドレス、とってもすてきな真っ赤なドレスよ。
 当然、クツもおそろいでね。
 そして、そのドレスを着てクリスマスパーティーに出かけるのよ。
 すてきなドレスを着た美人のあたしが登場すれば、若い殿方は、みんな、あたしにプロポーズしてくるわ。
 でも、すぐに受けてはダメ。
 こういうのは、じらすのがコツよ。
 あたしは、つれなく頭をツンともたげて、ていねいに、みんなの申し出を断るのよ。
 でも、みんなはあきらめず、あたしのまわりからはなれない。
 そこであたしは、・・・あっ!」
 娘が夢中になって頭をゆらしたとたん、ミルクの入った桶は地面に落ちてしまいました。
 そして、彼女のそうだいな計画は、終わってしまいました。

 この娘のように、まだ手に入れていない事なのに、手に入れたつもりであれこれ空想することを、日本語で、「取らぬ狸の皮算用」と、いいます。

 

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12月6日 音の日(京都でのお部屋探しは京都賃貸.com)

2010年12月 6日(月) 08時52分15秒 スタッフブログ

発明家エジソンの「3大発明」の一つが蓄音機です。
 1877(明治10)年のこの日、エジソンは蓄音機による録音と再生に成功したことから、日本オーディオ協会が1994(平成6)年に記念日として制定しました。
 エジソンは自ら「メリーさんの羊・・・」と吹き込み、再生したそうです。

音に関する昔話
むかしむかし、下関(しものせき→山口県)に、阿弥陀寺(あみだじ→真言宗の寺)というお寺がありました。
 その寺に、芳一(ほういち)という、びわひきがいました。
 芳一は、おさないころから目が不自由だったために、びわのひき語りをしこまれて、まだほんの若者ながら、その芸は師匠の和尚(おしょう)さんをしのぐほどになっていました。
 阿弥陀寺の和尚さんは、そんな芳一の才能(さいのう)を見こんで、寺にひきとったのでした。
 芳一は、源平(げんぺい)の物語を語るのが得意で、とりわけ壇ノ浦(だんのうら)の合戦のくだりのところでは、その真にせまった語り口に、だれ一人、涙をさそわれない者はいなかったそうです。
 そのむかし、壇ノ浦で源氏と平家の長い争いの、最後の決戦がおこなわれ、戦いにやぶれた平家一門は、女や子どもにいたるまで、安徳天皇(あんとくてんのう)として知られている幼帝(ようてい)もろとも、ことごとく海の底にしずんでしまいました。
 この悲しい平家の最後の戦いを語ったものが、壇ノ浦の合戦のくだりなのです。
 ある、むしあつい夏の夜のことです。
 和尚さんが法事で出かけてしまったので、芳一は、一人でお寺にのこってびわのけいこをしていました。
 そのとき、庭の草がサワサワと波のようにゆれて、縁側(えんがわ)にすわっている芳一の前でとまりました。
 そして、声がしました。
「芳一! 芳一!」
「はっ、はい。どなたさまでしょうか。わたしは目が見えませんもので」
 すると、声の主は答えます。
「わしは、この近くにお住まいの、さる身分の高いお方の使いの者じゃ。殿が、そなたのびわと語りを聞いてみたいとお望みじゃ」
「えっ、わたしのびわを?」
「さよう、やかたへ案内するから、わしのあとについてまいれ」
 芳一は、身分の高いお方が、自分のびわを聞きたいと望んでおられると聞いて、すっかりうれしくなって、その使いの者についていきました。
 歩くたびに、ガシャッ、ガシャッと、音がして、使いの者は、よろいで身をかためている武者だとわかります。
 門をくぐり、広い庭を通ると、大きなやかたの中に通されました。
 そこは大広間で、大勢の人が集まっているらしく、サラサラときぬずれの音や、よろいのふれあう音が聞こえていました。
 一人の女官(じょかん→宮中に仕える女性)がいいました。
「芳一や、さっそく、そなたのびわにあわせて、平家の物語を語ってくだされ」
「はい。長い物語ゆえ、いずれのくだりをお聞かせしたらよろしいのでしょうか?」
「・・・壇ノ浦のくだりを」
「かしこまりました」
 芳一は、びわを鳴らして語りはじめました。
 ろをあやつる音。
 ふねにあたってくだける波。
 弓鳴りの音。
 兵士たちのおたけびの声。
 息たえた武者が、海に落ちる音。
 これらのようすを、しずかに、もの悲しく語りつづけます。
 大広間は、たちまちのうちに壇ノ浦の合戦場になってしまったかのようです。
 やがて平家の悲しい最後のくだりになると、広間のあちこちから、むせび泣きがおこり、芳一のびわが終わっても、しばらくはだれも口をきかず、シーンと、静まりかえっていました。
 やがて、さっきの女官がいいました。
「殿もたいそう喜んでおられます。よいものをお礼に下さるそうじゃ。されど、今夜より六日間、毎夜そなたのびわを聞きたいとおっしゃいます。明日の夜も、このやかたにまいられるように。それから寺へもどっても、このことはだれにも話してはならぬ、よろしいな」
「はい」
 次の日も、芳一はむかえにきた武者について、やかたにむかいました。
 しかし、昨日とおなじようにびわをひいて寺にもどってきたところを、和尚さんに見つかってしまいました。
「芳一、いまごろまで、どこでなにをしていたんだね?」
「・・・・・・」
「芳一」
「・・・・・・」
 和尚さんがいくらたずねても、芳一は約束を守って、ひとことも話しませんでした。
 和尚さんは、芳一がなにもいわないのは、なにか深いわけがあるにちがいないと思いました。
 そこで寺男(てらおとこ→寺の雑用係)たちに、芳一が出かけるようなことがあったら、そっとあとをつけるようにいっておいたのです。
 そして、また夜になりました。
 雨がはげしくふっています。
 それでも芳一は、寺を出ていきます。
 寺男たちは、そっと芳一のあとを追いかけました。
 ところが、目が見えないはずの芳一の足は意外にはやく、やみ夜にかき消されるように、姿が見えなくなってしまったのです。
「どこへいったんだ?」
と、あちこちさがしまわった寺男たちは、墓地へやってきました。
 ビカッ!
 いなびかりで、雨にぬれた墓石がうかびあがります。
「あっ、あそこに!」
 寺男たちは、おどろきのあまり立ちすくみました。
 雨でずぶぬれになった芳一が、安徳天皇の墓の前でびわをひいているのです。
 その芳一のまわりを、無数の鬼火がとりかこんでいます。
 寺男たちは、芳一が亡霊(ぼうれい)にとりつかれているにちがいないと、力まかせに寺へつれもどしました。
 その出来事を聞いた和尚さんは、芳一を亡霊から守るために、魔除けのまじないをすることにしました。
 その魔除けとは、芳一の体中に経文(きょうもん)をかきつけるのです。
「芳一、おまえの人なみはずれた芸が、亡霊をよぶことになってしまったようじゃ。無念の涙をのんで海にしずんでいった平家一族のな。よく聞け。今夜はだれ かがよびにきても、けっして口をきいてはならんぞ。亡霊にしたがった者は命をとられる。しっかり座禅(ざぜん)を組んで、身じろぎひとつせぬことじゃ。も し返事をしたり声をだせば、おまえはこんどこそ、殺されてしまうじゃろう。わかったな」
 和尚さんはそういって、村のお通夜に出かけてしまいました。
 さて、芳一が座禅をしていると、いつものように亡霊の声がよびかけます。
「芳一、芳一、むかえにまいったぞ」
 でも、芳一の声も姿もありません。
 亡霊は、寺の中へ入ってきました。
「ふむ。・・・びわはあるが、ひき手はおらんな」
 あたりを見まわした亡霊は、空中に浮いている二つの耳を見つけました。
「なるほど、和尚のしわざだな。さすがのわしでも、これでは手が出せぬ。しかたない、せめてこの耳を持ち帰って、芳一をよびにいったあかしとせねばなるまい」
 亡霊は芳一の耳に、冷たい手をかけると、
 バリッ!
 その耳をもぎとって、帰っていきました。
 そのあいだ、芳一はジッと座禅を組んだままでした。
 寺にもどった和尚さんは、芳一のようすを見ようと、大いそぎで芳一のいる座敷へかけこみました。
「芳一! 無事だったか!」
 じっと座禅を組んだままの芳一でしたが、その両の耳はなく、耳のあったところからは血が流れています。
「お、おまえ、その耳は・・・」
 和尚さんには、すべてのことがわかりました。
「そうであったか。耳に経文を書きわすれたとは、気がつかなかった。なんと、かわいそうなことをしたものよ。よしよし、よい医者をたのんで、すぐにもきずの手当てをしてもらうとしよう」
 芳一は両耳をとられてしまいましたが、それからはもう、亡霊につきまとわれることもなく、医者の手当てのおかげで、きずもなおっていきました。
 やがて、この話は口から口へとつたわり、芳一のびわはますます評判になっていきました。
 びわ法師の芳一は、いつしか『耳なし芳一』とよばれるようになり、その名を知らない人はいないほど、有名になったということです。

 

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