2011年3月 4日(金) 08時17分36秒 |
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「ミ(3)シン(4)」の語呂合わせから、日本家庭用ミシン工業会(現在は日本縫製機械工業会)が1990(平成2)年にミシン発明200周年を記念して制定しました。 ミシンの原型は1589年の機械式の毛糸編み機で、日本初のミシンは1869(明治2)年に日本人の手によって作られました。 「ミシン」という名前は、 sawing machine(裁縫機械)のmachineがなまったものです。 京都賃貸よりオススメでした。
2011年3月 3日(木) 08時20分22秒 |
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ひな祭りとは、平安時代の京都の風習だった子供の無病息災を願う上巳の節句(じょうみのせっく)と、ままごとの遊びが江戸時代初期に融合し、女の子のお祭りになったといわれています。 ひな祭りという呼び名は、小さな人形で「ままごと遊び」することを「ひいな遊び」と呼んでいたのが語源です。 はじめは京都の上流階級の家だけの行事でしたが、しだいに民間の行事となり、やがては地方へとひろまっていきます。 ひな祭りは江戸時代中期にかけて年々盛んになり、人形やひな壇もどんどん派手になっていきました。 当時は等身大の人形をかざったひな壇もあったといいます。 ですが、1721年(享保6)に、ぜいたくな生活を規制する当時の江戸幕府によって、ひな人形の大きさは24cm以下とさだめられました。
ひな祭りのことを別名で「モモの節句」といいますが、それは当時の旧暦の3月3日は、現在の4月上旬にあたり、ちょうどモモの花も開くころだったからです。 また江戸時代、ひな祭りの日には、銭湯でモモの葉をお風呂に入れた「桃の湯」に入るのが流行していました。 昔話の桃太郎が鬼を退治するように、植物のモモには災いをおいはらう効能があると信じられていたからです。
みなさんも、ひな祭りにはモモの入浴剤で「桃の湯」を楽しんではいかがでしょうか。
京都 賃貸よりオススメでした。
2011年3月 1日(火) 08時22分14秒 |
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1972(昭和47)年にアメリカのエレン・スタンリーとメアリー・リン・レイブ姉妹が、最も利口で役に立つ家畜のひとつである豚への感謝を込めて制定したとされています。 この日、アメリカでは各地で豚の品評会が開催されます。
ブタに関する昔話 むかしむかし、あるところに、三匹の子ブタがいました。 みんなの名まえは、一番のお兄さんが「大ブタちゃん」、二番目のお兄さんが「中ブタちゃん」、三番目の弟が「ちいブタちゃん」です。 さて、三匹の子ブタは、それぞれ自分のお家をつくることになりました。 大ブタちゃんは、ワラのお家をつくることにしました。 ワラをなわでしばって、ギュッ、ギュッ、ギュッ、はい、すぐにできあがりました。 中ブタちゃんは、木のお家をつくることにしました。 まず柱を立てて、まわりにならべた木にクギをうって、トントントンと、はい、できあがりました。 ちいブタちゃんは、 「ぼくのお家はワラでも木でもない、かたくてじょうぶなレンガでつくろう」 レンガを運んで、レンガをつんで、ヨイショ、ヨイショ、ヨイショ、時間はかかりましたが、ようやくできあがりました。 「ワーイ、できた、できた」 自分たちのお家ができて、三匹の子ブタはとてもごきげんです。 すると、山にすんでいるわるいオオカミが、ワラのお家にやってきました。 「大ブタくん、大ブタくん、ここをあけておくれ。ぼくをお家に入れとくれよ」 大ブタちゃんは、ビックリして答えました。 「とんでもない! ぜったいにいやだよう!」 するとオオカミは、恐ろしい声でどなりました。 「よーし、そんなら、こんな家なんか、おれさまの自慢(じまん)の息(いき)で、ふき飛ばしてやるぞ!」 オオカミがほっペをふくらませて、フーッと息をふいたら、ワラのお家はバラバラにふき飛んでしまいました。 そこでオオカミは、大ブタちゃんをつかまえて、ペロリと食べてしまいました。 さて、それからオオカミは、木のお家にやってきました。 「中ブタくん、中ブタくん、ここをあけておくれ。ぼくをお家へ入れとくれよ」 中ブタちゃんはビックリして、戸を押さえていいました。 「とんでもない! ぜったいにいやだよう!」 するとオオカミは、恐ろしい声でどなりました。 「よーし、そんなら、こんな家なんか、おれさまの自慢のいきで、ふき飛ばしてやるぞ!」 オオカミがフーッと息をふきましたが、木の家はなかなかこわれません。 「よし、こうなったら体当たりだ!」 オオカミは勢いをつけると、木の家に体当たりをしました。 ドシーン! 木のお家は、バラバラにこわれてしまいました。 そこでオオカミは、中ブタちゃんをペロリと食べてしまいました。 さて、それからオオカミは、レンガのお家へやってきました。 「ちいブタくん、ちいブタくん、ここをあけておくれ。ぼくをお家に入れとくれよ」 ちいブタちゃんもビックリして、 「とんでもない! ぜったいにいやだよう!」 するとオオカミは、恐ろしい声でどなりました。 「よーし、そんなら、こんな家なんか、おれさまの自慢のいきで、ふき飛ばしてやるぞ!」 オオカミが、フーッと息をふきましたが、レンガの家はビクともしません。 「よし、こうなったら、体当たりだ!」 オオカミは勢いをつけると、レンガの家に体当たりをしました。 ドシーン! でも、レンガの家はビクともしません。 オオカミは、うなりました。 「おぼえてろ。こうなったら煙突(えんとつ)からおりてって、ちいブタのやつを食べてやるぞ!」 それを聞いたちいブタちゃんは、大急ぎで大きなナベにお湯をわかしました。 火をドンドン燃やしたので、お湯がグラグラとわきました。 煙突からおりてきたオオカミは、そのお湯の中にボチャーン! と落ちました。 「あつい、あついよー! 助けてくれー!」 泣きさけぶオオカミに、ちいブタちゃんがいいました。 「じゃあ、もう悪いことはしないか?」 「しない、しない」 「じゃあ、食べたお兄さんたちをかえすか?」 「かえす、かえす。だから助けてくれー!」 「よし、約束だぞ」 ちいブタちゃんがオオカミをナベから出してやると、オオカミは食べた大ブタちゃんと中ブタちゃんをはき出して、泣きながら山に逃げていきました。 助かった大ブタちゃんと中ブタちゃんは、ちいブタちゃんのレンガの家で、なかよくくらしました。
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2011年2月28日(月) 08時25分26秒 |
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1953(昭和28)年、時の首相・吉田茂が衆議院予算委員会で、西村栄一議員の質問に対し興奮のあまり、「バカヤロー」と発言しました。 これがもとで内閣不信任案が提出・可決され、この年の3月14日に衆議院が解散しました。 いわゆる「バカヤロー解散」です。
京都 賃貸よりオススメでした。
2011年2月27日(日) 08時15分38秒 |
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1862(文久2)年のこの日、京都で江戸幕府が武芸にすぐれた浪士をあつめてつくった武力組織、新撰組の前身「壬生(みぶ)組」が結成されました。 初め20人前後だった隊員数は、65年(慶応元)ごろの最盛期には約200人にふくらんでいます。 1864年(元治元)の池田屋事件での活躍が有名で、尊攘派に大きな打撃をあたえました。 ところで、隊員の1ヶ月の手当は、局長50両、副長40両、助勤30両、平隊士10両ほどでしたが、当時は1両2分あれば、親子5人が楽に暮らせたといいます。 かなりの高給ですね。
刀に関する昔話
殿さまが、新しい刀を手に入れました。 まい日、まい日、ながめていましたが、ある日、けらいに、いいました。 「この刀で、一度ためしぎり( →詳細 )をしてみたいものだが、まさか、ふくめんをして、つじぎり(刀の切れ味を確かめるため、街頭で人を切ること)をするわけにはいかないし、何かよい方法はないものだろうか」 すると、けらいが、 「それなら、まんじゅうを十個かさねて、おきりなさいませ。かさねて下まできれておれば、ちょうど、人間の胴体をきったのと、同じだともうします」 「そうか、それではさっそく、ためしてみることにいたそう」 「へい」 けらいは、さっそく、まんじゅうを用意しますと、ざしきのまん中に、十個つみかさねました。 「では、おためしください」 「よし、・・・」 殿さまが、『えいっ』と気あいをかけて、刀をふりおろしますと、みごとに、たたみまできれております。 「おみごと! これは、あっぱれな名刀ですな。それでは、きりすてたこの死がいは、わたくしめが、とむらってやりましょう」 と、けらいは、まんまと、まんじゅうを手に入れました。
京都 賃貸よりオススメでした。
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