遠距離恋愛中の恋人同士が、クリスマス前に会ってお互いの愛を確かめあう日です。
「1221」の両側の1が1人を、中の2が近づいた2人を表しています。 遠距離恋愛中の方は、恋人に、せめて電話だけでもしてあげてくださいね。 クロスワードの日 1913年のこの日、『ニューヨーク・ワールド』紙が日曜版の娯楽のページにクロスワードパズルを掲載。 それ以前からクロスワードは存在していましたが、新聞の連載をまとめた本が1924年に刊行され、世界中にクロスワードパズルが広まる。 冬至 一年中で最も昼が短く、夜が長い日が冬至です。 太陽の昇る高さが低いため、影も一番長くなります。 この日は、カボチャを食べたり、ゆず湯に入りますが、カボチャとゆずは、太陽の象徴ともいわれています。 なお、冬至は年によって日がずれ、12月22日の年もあります。 京都 賃貸よりオススメでした。
ライト兄弟から遅れること7年と2日後の1910(明治43)年12月19日、日本最初の飛行訓練が開始されました。場所は東京・代々木錬兵場(代々木公園)、パイロットは徳川好敏工兵大尉でした。5日後に離陸に成功、飛行時間は4分、高度70メートル、飛行距離3000メートルを記録しました。
飛行に関する昔話 むかしむかし、あるところに、かもとりのごんべえさんという人がいました。 ある朝、ごんべえさんは、近くの池へいってみて、びっくり。 しかけておいたワナに、かぞえきれないほどのかもが、かかっていたのです。 おまけに、池に氷が張っているおかげで、かもたちは、動けずにいるようす。 「しめしめ。ここで待っていれば、もっと、つかまえられるにちがいない」 ごんべえさんは、大喜びで、ワナのアミを集めると、見はりをはじめました。 そのとき、お日さまが顔を出して、池の氷が、スーと、とけはじめました。 「おっと、大変」 あわてたときは、もうおそく、目をさましたかもたちが、バタバタバタと飛び立ち、それといっしょに、ごんべえさんも、かもたちに引っぱられて、空へ舞いあがってしまいました。 かもたちは、ごんべえさんをぶらさげたまま、野をこえ、山をこえ、谷をこえ。 「たっ、たすけてくれー!」 叫んでいるうちに、うっかり、アミをはなしてしまったから、大変です。 ごんベえさんは、まっさかさまに空から落っこちると、畑で働いていたお百姓さんの前へ、ドスン! 「なになに、かもをつかまえようとして、反対にさらわれたって?」 話を聞いたお百姓さんは、気のどくに思って、 「どうだい、ここでしばらく、くらしていっては」 「はいはい、よろしくお願いします」 つぎの日から、ごんべえさんは、畑をたがやしたり、種をまいたり、一生けんめいに働きました。 そんなある日、アワ畑で刈り入れをしていると、三本だけ、特別に大きな穂をつけた、アワがありました。 「ようし、こいつを刈ってやれ」 手元へ引き寄せて、穂を刈ろうとしたとたん、くきがバネのようにビョーンと、はね返ったから大変です。 ごんべえさんは、ピューと飛ばされて、遠く離れた、かさ屋のお店の前へ、ドスン! 「なになに、アワを刈ろうとして、飛ばされたって?」 話を聞いたかさ屋の主人も、気のどくに思って、 「それでは、しばらく、ここで働いて、お金をかせいでいくがいい」 「はいはい、よろしくお願いします」 ごんべえさんは、お店の手伝いをして、せっせと働きはじめました。 そんなある日、できあがったかさを干そうとしていると、風がピューと、ふいてきました。 ごんベえさんは、あっというまに吹き飛ばされて、またまた、空の上です。 「なんだって、こう、飛ばされてばかりいなけりゃならないんだ」 ブツブツいいながら飛ばされていくうち、屋根のような所に足がつきました。 「フー、やれやれ、助かった。だれかさんの家の上におりたらしいぞ。・・・へぇ!?」 ところがそこは、なんと、お寺の五重の塔のてっペんだったのです。 さあ、ごんべえさんが、驚いたのなんの。 「たっ、たすけてくれー!」 そこへ走ってきたのが、四人のお坊さん。 持ってきた、ふとんを広げると、 「おーい、だいじょうぶかー? ここへ飛びおりろー」 「やだ、やだ。こわいようー」 「だいじょうぶ、だいじょうぶ。しっかり持っているから、はやく飛びおりろー」 こうなったら、しかたありません。 「よっ、ようし。飛びおりるぞう。それ、一、二の三!」 ドスン! ごんべえさんは、みごと、ふとんのまん中へ飛びおりました。 しかし、そのひょうしに、お坊さんたちの頭がゴッツンコして、目から火花が、飛び出しました。 そして、その火花が、あたりへ飛んで、五重の塔が焼け、お寺が焼け、なにもかもが残らず焼けてしまいました。 国際南南協力デー(United Nations Day for South-South Cooperation) 2004年の国連総会で制定。 1978年のこの日、国連総会で「ブエノスアイレス行動計画」が承認。 「南南協力」とは「途上国相互の協力」の事でです。 京都 賃貸よりオススメでした。
国際連合(United Nations)が正式に発足したのは、1945(昭和20)年10月24日です。
そして、日本の国連加盟が承認されたのが、1956(昭和31)年12月18日。 1933(昭和8)年に国際連盟を脱退して以来、実に23年ぶりに日本は国際社会に復帰しました。 東京駅の日 2000年の国連総会で制定。 京都 賃貸よりオススメでした。
東京市内と横浜市内、および両市間で電話交換業務が開始されたのが1890(明治23)年のこの日で、東京滝ノ口と横浜居留地に電話局が設置されました。
加入者数は、東京が155、横浜が42でした。 ちなみに、日本初の電話は1877(明治10)年の政府内での試験通話です。 紙の記念日 正月の神様(年神様)は念仏が嫌いであるとして、この日の翌日から1月16日の「念仏の口明け」までは念仏を唱えないというしきたりがあり、この日にその年最後の念仏を行います。 京都 賃貸よりオススメでした。
1925(大正14)年、東京遊覧自動車会社が営業を開始したのがこの日です。
ただし、青バスと呼ばれた東京市街自動車会社が大正の半ばにすでに貸し切り自動車を使って東京遊覧を開始しており、1日コースをはじめ、2日、3日コースなどがありました。 観光に関する昔話 むかしむかし、京都に一匹のカエルがいました。 もう長いこと京都に住んでいたので、どこかちがう所へ行ってみたいと思っていました。 ある時、大阪はとてもいい所だという話を聞いたので、 「よし、ひとつ、大阪見物にでも、行ってこよう。ケロ」 と、思いたち、さっそく出かけることにしました。 「よせよせ、大阪まではとても遠くて、たいへんだぞ。ケロ」 仲間のカエルが言いましたが、 「なあに、へっちゃらさ。大阪見物の話を聞かせてやるから、待っていな。ケロ」 と、言って、そのカエルはピョンピョンと出かけて行きました。 真夏の事なので、お日さまはカンカンですし、道は遠いし、カエルはくたびれてしまいました。 それでも大阪をひと目見たいと、ピョンピョンと歩いていきました。 さて、大阪にも一匹のカエルがいました。 そのカエルも、もう長いこと大阪に住んでいましたので、どこかちがう所へ行ってみたいと思っていました。 ある時、京都はとてもいい所だという話を聞いたので、 「よし、京都見物にでも、行ってこようか。ケロ」 と、さっそく、出かけることにしました。 「よせよせ、京都まではとても遠くて、たいへんだぞ。ケロ」 仲間のカエルが言いましたが、 「なあに、へっちゃらさ。京都見物の話を聞かせてやるから、待っていな。ケロ」 と、言って、そのカエルもピョンピョンと、出かけていきました。 お日さまはカンカンてるし、道は遠いし、カエルはくたびれてしまいました。 それでも京都をひと目見たいと、カエルは、ピョンピョンと歩いていきました。 京都と大阪の間には、天王山(てんのうざん)という山があります。 「この山をこせば大阪だ。ケロ」 京都のカエルは元気を出して、よっこら、やっこら、山を登っていきました。 「この山を越せば京都だ。ケロ」 大阪のカエルも元気を出して、よっこら、やっこら、山を登っていきました。 お日さまは暑いし、山道は急だし、京都のカエルも大阪のカエルもクタクタです。 二匹とも、やっと天王山のてっペんにたどり着き、そこでバッタリ出会いました。 「あなたは、どこへ行くんですか? ケロ」 「京都見物ですよ。ケロ」 「およしなさい。京都なんてつまりませんよ。わたしは大阪見物に行くんですよ。ケロ」 「あなたこそ、およしなさい。大阪なんてつまりませんよ。ケロ」 そこで京都のカエルは立ちあがって、大阪の方を見ました。 「本当だ。よく見ると、大阪も京都とたいして変わらないや。ケロ」 大阪のカエルも、立ちあがって京都の方を見ました。 「本当だ。よく見ると、京都も大阪とたいして変わらないや。ケロ」 それなら行ってもつまらないと、二匹のカエルは元来た道を帰っていきました。 でも、二匹のカエルが見たのは、本当は自分たちの町だったのです。 えっ? なぜって、カエルの目玉は頭の上についているでしょう。 だから立ちあがると、後ろしか見えないのです。 京都 賃貸よりオススメでした。
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