1955(昭和30)年、蔵前国技館で、日本で初めてプロレスの本格的な国際試合、力道山・木村×シャープ兄弟の試合が開催されました。
力道山は、日本プロレス協会(JWA Japan Pro-Wrestling Alliance)設立者で相撲からプロレスに転向しました。 他の記念日 万国郵便連合加盟記念日 1877(明治10)年、日本が、郵便の国際機関・万国郵便連合(UPU)に加盟しました。 万国郵便連合ができたのは1874(明治7)年で、日本は独立国としては世界で23番目、アジアでは最初に加盟しました。 戦前に一度脱退し、1948(昭和23)年6月1日に再加盟しました。 強制収容を忘れない日 京都 賃貸よりオススメでした。
飛行機によって初めて郵便物が運ばれたのが、1911(明治44)年のこの日です。
これは、インドのアラハバードで開かれていた博覧会のアトラクションとして実施されたもので、会場から8キロ離れたナイニジャンクション駅まで6000通の手紙が飛行機で運ばれました。 他の記念日 嫌煙運動の日 冥王星の日 京都 賃貸よりオススメでした。
1883(明治16)年のこの日、ドイツ人の気象学者エリヴィン・クニッピングの指導により、日本初の天気図が作成されました。
同年3月1日からは印刷して毎日発行されるようになりました。 他の記念日 寒天の日 長野県茅野商工会議所と長野県寒天加工業協同組合が制定。 2005(平成17)年のこの日、NHKテレビ『ためしてガッテン』で寒天が取り上げられ、寒天が大ブームとなったことを記念。 全国狩猟禁止 11月15日の解禁日まで北海道以外の全国で狩猟禁止となっています。 北海道は2月1日?9月30日 京都 賃貸よりオススメでした。
1913(大正2)年のこの日、アメリカ人女性マリー・フェルブ・ジャコブがブラジャーを発明し、特許を取得しました。
当時はハンカチをリボンで結んだだけという単純なものでした。 売れ始めたのは1920年代に入ってからで、日本では戦後のことです。 ワコールが制定し、現在は日本ボディファッション協会が実施しています。 他の記念日 ペニシリンの日 ボブスレーの日 黄ニラ記念日 リンカーン誕生日 京都 賃貸よりオススメでした。
もともとは1872年(明治5)に、紀元節(きぜんせつ)という名前ではじまった記念日で、「古事記」「日本書紀」の記述にもとづき、初代天皇とされる神武天皇が即位した日といわれています。
当初は1月29日が祝日にさだめられていましたが、翌73年に、太陽暦の採用にともなう措置として、期日を2月11日に変更されました。 その後、第二次大戦後に廃止されましたが、1966年(昭和41)に「建国記念の日」という名で復活し、翌年より実施されています。 制定当初は、まだ成立したばかりの明治政府首脳が、天皇を中心とした国家支配体制の正当性を内外にしめす必要から制定されたと考えられていますが、現在の建国記念の日は、「建国をしのび、国を愛する心を養う日」とされています。 神武天皇に関する昔話 むかしむかし、日向の国(ひゅうがのくに→宮崎県)に、伊波礼毘古命(いわれびこのみこと)という人がいました。 伊波礼毘古命は、高千穂(たかちほ)というところで国を治めていましたが、そこはあまりにも小さくはしっこの国だったので、もっと東の方へ移ろうと軍隊をひきいてそこを出発しました。 そして海を渡ったり陸を進んだりと、長い月日を歩きまわりました。 ある年の夏、伊波礼毘古命の軍隊が今の大阪湾から陸へあがろうとした時の事です。 大和の国(やまとのくに→奈良県)の田舎に方にいた、長髄彦(ながすれひこ)という人が、 「伊波礼毘古命の軍隊がここへ来たのは、きっと、わたしたちの国を奪い取るつもりなのだろう」 と、思い、たくさんの兵隊を集めて待ち構えました。 そして伊波礼毘古命の軍隊が乗った船が浜辺に着くと、いきなり弓矢を放ってきたのです。 伊波礼毘古命の軍隊は盾で飛んで来る矢を防ぎながら、陸に上がって戦いました。 この戦いで伊波礼毘古命の兄さんが、長髄彦の矢に当たって深い傷を受けました。 兄さんは、その傷を押さえながら言いました。 「わたしたちは太陽の子でありながら、太陽の方に向かって戦ったのが間違いだった。これから遠回りをして、太陽を後ろにして戦おう」 そこで伊波礼毘古命の軍隊は、もう一度船に乗って南の方へ回る事にしました。 その途中、兄さんは矢の傷が原因で亡くなってしまいました。 「よし、兄さんのかたきは、きっと取ってみせるぞ」 伊波礼毘古命は、長髄彦を倒す決心をしました。 伊波礼毘古命の軍隊が陸にあがると、別の新しい敵がいました。 この敵を倒すため、けわしい山道を道案内をしてくれたのは、『八咫(やた)ガラス』という、カラスでした。 こうして伊波礼毘古命の軍隊は、ようやく長髄彦のいるあたりへ来ました。 長髄彦も、伊波礼毘古命の軍隊が攻め込んでくる事を早くから知っていたので、敵ながら力一杯戦いました。 そのうちに長髄彦の方の兵隊の勢いが強くなり、伊波礼毘古命の軍隊は負けそうになってきました。 「このままでは、味方がやられる!』 伊波礼毘古命がそう思った時、にわかに空が暗くなって大雨が降って来ました。 そして大雨の中を、どこからか金色のトビが飛んで来て、軍隊を指揮している伊波礼毘古命が持った弓のてっぺんに止まったのです。 「うわっ、まぶしい!」 長髄彦の兵隊は、驚いて叫びました。 その金色のトビの放つ光が、まるで稲光の様に見えたのです。 「これは、たまらん!」 敵はまぶしさに目がくらんでしまい、戦うどころではありません。 おかげで味方の軍隊は勢いを取り戻して、伊波礼毘古命は長髄彦を討ち滅ぼす事が出来たのです。 この伊波礼毘古命という人が、神武天皇(じんむてんのう)なのです。 京都 賃貸よりオススメでした。
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