1673(延宝元)年のこの日、インゲン豆を中国から持ってきたとされる隠元禅師が亡くなりました。 豆に関する昔話 むかしむかし、おばあさんがそら豆を煮(に)ようと思いました。 他の記念日 日本橋開通記念日 清水寺・みずの日 シーサーの日 ペルー日本友好の日 愛林日 悪天の特異日 京都 賃貸よりオススメでした。
1872(明治5)年のこの日、官立公共図書館「書籍館」が東京・湯島に設立されました。
日本で初めての近代図書館であったこから、この日が記念日とされています。 その後、同館は議会図書館と合併し、現在は国立国会図書館となっています。 他の記念日 週刊誌の日 デンマークの童話作家・アンデルセンの誕生日にちなんで。 「シー(4)オー(0)ツー(2)」の語呂合せ。 歯列矯正の日 京都 賃貸よりオススメでした。
1889(明治22)年、エッフェル塔の落成式が行われたのがこの日です。
この塔はパリのシャン・ド・マルスの広場に立つ鉄塔で、建設当時の高さは312.3メートル(旗部を含む)、現在は放送用アンテナが設置されたために、324メートルとなっています。 フランス革命100周年を記念して、同年にパリで行われた第4回万国博覧会に合わせて建設されました。 建設は万博に間に合わせるため、2年2ヶ月という驚異的な速さで行われましたが、徹底した安全管理で、1人の死者も出さなかったそうです。 ちなみに日本のシンボルである東京タワーは、1958年(昭和33年)10月14日に完成した電波塔で、高さは333メートルです。 他の記念日 教育基本法・学校教育法公布の日 1947(昭和22)年のこの日に公布、翌日から施行され、学校教育の6・3・3・4制が発足しました。 オーケストラの日 「み(3)み(3)に一番」「み(3)み(3)にいい(1)ひ」(耳に良い日)の語呂合せ。 日本オーケストラ連盟が2007(平成19)年1月に制定。 京都 賃貸よりオススメでした。
ひな祭りとは、平安時代の京都の風習だった子供の無病息災を願う上巳の節句(じょうみのせっく)と、ままごとの遊びが江戸時代初期に融合し、女の子のお祭りになったといわれています。
ひな祭りという呼び名は、小さな人形で「ままごと遊び」することを「ひいな遊び」と呼んでいたのが語源です。 はじめは京都の上流階級の家だけの行事でしたが、しだいに民間の行事となり、やがては地方へとひろまっていきます。 ひな祭りは江戸時代中期にかけて年々盛んになり、人形やひな壇もどんどん派手になっていきました。 当時は等身大の人形をかざったひな壇もあったといいます。 ですが、1721年(享保6)に、ぜいたくな生活を規制する当時の江戸幕府によって、ひな人形の大きさは24cm以下とさだめられました。 ひな祭りのことを別名で「モモの節句」といいますが、それは当時の旧暦の3月3日は、現在の4月上旬にあたり、ちょうどモモの花も開くころだったからです。 また江戸時代、ひな祭りの日には、銭湯でモモの葉をお風呂に入れた「桃の湯」に入るのが流行していました。 昔話の桃太郎が鬼を退治するように、植物のモモには災いをおいはらう効能があると信じられていたからです。 みなさんも、ひな祭りにはモモの入浴剤で「桃の湯」を楽しんではいかがでしょうか。 桃の節句に関する昔話 むかしむかし、ある村に、おばあさんと美しい娘が二人でくらしていました。 ある年の田植えの季節に、おばあさんは町へ買いものにでかけました。 帰りに田んぼのあぜ道を歩いていると、ヘビがカエルを追いつめて、今にものみこもうとしています。 「これこれ、なにをする。ゆるしておやり。ほしいものがあれば、わしがやるから」 カエルをかわいそうに思っておばあさんがいうと、ヘビはおばあさんの顔を見あげながらいいました。 「それなら、娘をわしの嫁にくれるか?」 おばあさんは、ヘビの言うことなどとあまり気にもとめずに、 「よしよし。わかったから、カエルを逃がしてやるんだよ」 と、返事をしてしまったのです。 すると、その年の秋もふかまったころ、若い侍(さむらい)が毎晩、娘の部屋へやってきて、夜がふけるまで娘と楽しそうに話していくようになったのです。 そんなある日の事、一人の易者(えきしゃ)が家の前を通りました。 おばあさんは易者を呼びとめると、娘にはないしょで、毎晩のようにやってくる若い侍の事をうらなってもらいました。 すると易者は、こんなことをいいました。 「ほほう。その若い侍の正体はヘビじゃ。ほうっておくと、娘の命はなくなる。娘を救いたいのなら、裏山の松の木にワシが卵をうんでおるから、その卵を侍にとってもらって、娘に食べさせるんじゃな」 おばあさんはビックリして、この話を娘にしました。 娘もおどろいて、その晩やってきた若い侍にいいました。 「実は最近、とても体がだるいのです。元気をつけるために、裏山の松の木に巣をつくっているワシの卵をとってきて食べさせてくださいな」 「よしよし、そんなことはたやすいことよ」 次の日、若い侍は裏山へいって、ワシの巣がある高い木にのぼっていきましたが、そのときいつのまにか、若い侍はヘビの姿になっていたのです。 そして木をよじのぼって、巣の中にある卵を口にくわえたとたん、親ワシがもどってきました。 親ワシはするどいくちばしで、大事な卵をくわえたヘビを何度もつつきました。 そしてヘビは頭を食いちぎられ、血だらけになって木から落ちていきました。 そのころ、あの易者がまたおばあさんの前に現われると、おばあさんに頭を下げていいました。 「実はわたしは、いつぞや田んぼのあぜ道で命をすくわれたカエルなのです。娘さんの体には、まだヘビの毒が残っております。これからは毎年、三月三日の節 句(せっく)にお酒の中に桃の花びらを浮かべてお飲みください。そうすればヘビの毒ばかりではなく、からだにたまったどんな毒もみんな消えて、きれいにな りますから」 そういうと目の前の易者の姿はたちまち消えてしまい、一匹のカエルが庭先の草むらの中へ、ピョンピョンと飛んでいったのです。 桃の節句で、お酒の中に桃の花びらを浮かべて飲むようになったのは、このときからだという事です。 京都 賃貸よりオススメでした。
今から2000年前、中国の敦煌から砂漠を16日ほど進むと、ロプ・ノール湖のほとりに楼蘭(クロライナ)というシルクロードのオアシス都市がありました。
楼蘭はいつしか荒れ果て、砂漠の中に消えてしまいましたが、1900(明治33)年のこの日、探検家スウェン・ヘディンによって発見されました。 他の記念日 三ツ矢サイダーの日 三つ葉の日 京都 賃貸よりオススメでした。 |
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