1783(天明3)年のこの日、フランス・パリでモンゴルフィエ兄弟が世界で初めて熱気球の飛行実験に成功しました。
その10後には同じフランスでシャルル教授による水素ガス気球が飛行に成功しています。 日本でも1973(昭和48)年に日本熱気球連盟(日本気球連盟)が設立されています。 他の記念日 ろうごの日 神戸市老人福祉施設連盟が制定。 「ろう(6)ご(5)」(老後)の語呂合せ。 落語の日 落語家の春風亭正朝が制定。 「らく(6=ろく)ご(5)」の語呂合せ。 環境の日,世界環境デー 1972(昭和47)年12月15日の国連総会で制定。国際デーの一つ。 1972(昭和47)年、ストックホルムで開催された国連人間環境会議で「人間環境宣言」が採択され、国連環境計画(UNEP)が誕生しました。 国連では、日本の提案によりこの日を「世界環境デー」と定め、日本では1993(平成5)年に「環境基本法」で「環境の日」と定められました。 事業者及び国民の間に広く環境の保全についての関心と理解を深めるとともに、積極的に環境の保全に関する活動を行う意慾を高める日。 世界各国でも、この日に環境保全の重要性を認識し、行動の契機とするため様々な行事が行われています。 京都 賃貸よりオススメでした。
漫画家・手塚治虫らのよびかけで、1988(昭和63)年に設立された日本昆虫クラブが記念日として提唱しています。
「6(む)4(し)」の語呂合わせで、昆虫が住める街作りを願っています。 また、カブトムシで有名な福島県・常葉町の常葉町振興公社が提唱する「ムシの日」でもあります。 虫に関する昔話 むかしむかし、とても仲良しの虫たちが、一軒の家にいっしょに住んでいました。 ある日のこと、カブトムシが急に苦しみ出しました。 「どうした、カブトムシどん」 「おなかがいたい、いたいよう」 「何か悪い物でも食べたかね」 虫たちは心配そうに、カブトムシの周りに集まりました。 「とにかく、医者を呼んで来ないと」 「だれが一番、足が速いんじゃ」 すると、年取ったカナブンがいいました。 「そりゃあ、ムカデ君だろう。なんといっても、足が百本もあるんだから」 「よし分かった。ぼくにまかせろ!」 ムカデは、すぐにげんかんに向かいました。 それからしばらくしましたが、ムカデ君はなかなか帰ってきません。 「おそいなあ、どうしたんだろう」 「だれか、ようすを見て来いよ」 そこで、バッタ君とカミキリムシ君がようすを見に行くことになりました。 2匹がげんかんにいくと、ちょうどムカデ君が、わらじをぬいでいるところでした。 「やっと帰ってきたんだね、ムカデ君」 するとムカデ君は、首を横に振りながらいいました。 「ちがうよ、ぼくの足は百本あるから、わらじをはくのに時間がかかるんだ。まだ、半分しかはいていないんだ」 京都 賃貸よりオススメでした。
1858(安政5)年に締結された日米修好通商条約に基づき、翌年のこの日、神奈川(横浜)と長崎が開港しました。
この条約は、江戸幕府が米国総領事ハリスとの間に調印した14箇条からなるもので、自由貿易を求める米国に対し、神奈川・長崎・新潟・兵庫の開港を約束したものでした。 他の記念日 おむつの日 路地の日 京都 賃貸よりオススメでした。
1938(昭和13)年のこの日、アメリカのDCコミックス社がコミック「ACTION COMICS」を創刊しました。 他の記念日 電波の日 氷の日 日本チューインガム協会が1994(平成6)年に制定。 大阪府摂津市の梅研究会が1987(昭和62)年に制定。 東京鋲螺協同組合が提唱し、ねじ商工連盟が1976(昭和51)年に制定。 日本真珠振興会が制定。 1935(昭和10)年、NHKが短波による海外向けラジオ放送「ラジオ日本」の本放送を開始しました。 東京気象台(現在の気象庁)が1884(明治17)年に制定。 徽章工学協会が1993(平成5)年に制定。 写真の日 「写真の日」であることから、写真を撮る時の掛け声「はいチーズ」に引掛けて。 人権擁護委員の日 1948(昭和23)年、日本が戦前に一度脱退した万国郵便連合(UPU)に再加盟しました。 1949(昭和24)年、国税庁が開庁しました。 ロサンゼルス市とハリウッド商工会議所が1992(平成4)年に制定。 TUBEの日 防災アドバイザーの山村武彦氏が提唱。 衣替え,衣更え,更衣 京都 賃貸よりオススメでした。
世界保健機関(WHO)が発足40周年を記念して1989(平成元)年に制定しました。
1995年現在で世界の喫煙者は10億1000万人、約5人に1人の割合となっています。 職場や公共の場での受動禁煙対策や妊婦や子供対する教育などたばこ抑制策の推進について、決議や勧告を行っています。 タバコに関する昔話 むかしむかし、カナダの森のおくに、大きな木にかこまれた湖がありました。 湖の岸辺には、夫婦と二人の子どもが住んでいました。 子どもたちは大きくなるにつれて、とてもとても美しくなりました。 子どもたちが十二才になったとき、そのあたりにおそろしい病気がはやりました。 そして子どもたちは、その病気にかかって死んでしまったのです。 お母さんも悲しんで、まもなく死んでしまいました。 たった一人とりのこされたお父さんは、それはそれは悲しんで、いっそ死んでしまおうかと思いました。 でも、やっと気をとりなおして、 「そうだ、これからさき、わしは人をたすけてくらすことにしよう。人のためにつくせば、おちついたおだやかなまいにちをすごすことができるだろう」 と、自分にいいきかせたのです。 その日からお父さんは、よわいものやまずしい人たちのために、いっしょうけんめい働きました。 村の人たちは、そんなお父さんを『おじいさん』とよんで、たいせつにしてくれました。 やがておじいさんは、年をとって働けなくなりました。 みんなのために働いたおじいさんは、だれからも好かれていましたが、それでもさびしくて、たまらなくなることもありました。 たった一人でくらしていると、昼も夜もたいくつです。 ある日、おじいさんは湖のほとりにションボリすわって、おかみさんや子どもたちのことを思いだしていました。 そのとき、むこうの青くかすんだ山から、黒雲のような鳥のむれがとんできたのです。 おじいさんも、まだ見たことのない鳥です。 村の人たちは、その鳥のむれをとてもこわがって、 「あれはなにか、わるいことがおこる知らせだよ」 と、いいあいました。 まもなく、その中の一羽の鳥が羽をバタバタさせながら、地べたにおちてきました。 見ると、胸に矢がつきささっています。 村の人たちは、どうしたらよいかわかりません。 そこで、おじいさんのまわりに集まって、おじいさんの顔をジッと見つめました。 地べたにおちた鳥は、くるしそうにふるえています。 なかまの鳥たちは、しばらくそのまわりを飛んでいましたが、やがて矢のあたった一羽をのこしたまま、青くかすんだ山のほうへ帰っていきました。 「かわいそうに。けがをなおしてやろう」 おじいさんはこういって、ふるえている鳥に近づこうとしました。 すると、 「いけない! おじいさん。あれは魔法の鳥だ。きっとよくないことがおこるよ」 と、みんなはおじいさんをひきとめましたが、 「いいや、だいじょうぶ。鳥はなにもしやしないさ。それに、わしの一生も、もうおわりに近づいている。もし何かがおきたとしても、死ぬのが少し早くなるだけだよ」 おじいさんはこういって、鳥へ近づいていきました。 おじいさんが歩いていくと、あたりはきゅうにくらくなりました。 そして、鳥のすぐそばまで近づいたとき、天からまっ赤な炎のはしらがおりてきたのです。 火はあっというまに消えましたが、鳥は焼けてしまって、あとにはひとかたまりの黒い灰だけがのこっていました。 おじいさんがつえで灰をかきまわすと、中には、まっ赤な火のかたまりが一つありました。 でも、その火のかたまりもすぐに消えてしまい、あとに残ったのは、おや指ぐらいの大きさの、人のような形をしたものだけでした。 その人のような形のものが、おじいさんに話しかけました。 「こんにちは、おじいさん。あなたをたすけにまいりました」 「おまえはいったい、なにものだね?」 「わたしは、あの青い山の小人です」 そういえばと、おじいさんは、「青い山には、妖精(ようせい)が住んでいる」という話を聞いたことがあるのを思い出しました。 小人は、話しをつづけました。 「あなたに、すてきなものを持ってきたのですよ。あなたは年をとって一人ぼっちですが、あなたの一生はおわっていません。あなたはまだまだ、生きていなければいけません。あなたはおおぜいの人をたすけて、いいおこないをたくさんしてきました。これからさき、あなたがもっとたのしくくらせるように、おくりものをさしあげます」 小人はおじいさんに、小さな種をたくさんわたしました。 「いますぐこれを、ここにおまきなさい。わたしのたっている、この灰の中に」 おじいさんは、いわれたとおり種をまきました。 種はたちまち芽をだして、大きな葉をつけました。 これは、タバコの葉だったのです。 こうして鳥がもえたあとに、タバコ畑ができました。 小人は、おじいさんに大きなパイプをわたしていいました。 「この葉をかわかして、パイプにつめて、おすいなさい。きっと、たのしい気分になるでしょう。タバコは、あなたがさびしいときには、友だちになってくれるでしょう。夕方、青い光の中でタバコをすえば、煙は天にまいあがり、あなたのすてきなおくさんや、子どもたちを見まもるでしょう」 「ありがとう。ほんとうに、ありがとうよ」 おじいさんは、なんどもお礼をいって、パイプをうけとりました。 「年をとった、ほかの人たちにも教えてあげなさい。みんなたのしく、くらすことができますよ」 小人はいいおわると、遠くの青い山のほうへ、とんでいってしまいました。 それからというもの、おじいさんはまえよりも、ずっとたのしく、まいにちをすごすことができました。 タバコはこうして、カナダの森のインディアンにつたわったのです。 京都 賃貸よりオススメでした。
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