1993(平成5)年のこの日、東京で東日本最大の吊り橋、レインボーブリッジが開通しました。
この橋は全長798メートル、主塔の高さ126メートル、水面からの高さが50メートルで、上層が首都高速道路11号台場線、下層が臨港道路・遊歩道とゆりかもめの2層構造になっています。 橋に関する昔話 昔むかし、あるところに、大きくて流れの速い川がありました。 川のこちら側に住んでいる人は、向こう岸へいくのに橋を渡らなければなりません。 でも、その川には橋がありませんでした。 何回も何回も橋をこしらえようとしたのですが、途中までできあがると、雨が降ります。 雨が降ると、川の流れが激しくなって、橋は流されてしまうのです。 「なんとかして、雨にも風にも大水にも負けない、じょうぶな橋をかけなければ」 人びとは、そう話しあって、日本一りっぱな橋をこしらえるという大工さんに頼むことにしました。 「よし、ひき受けた!」 大工さんは、そういって、さっそく川岸へやってきました。 ところが、その川ときたら、まるでどとうのように流れています。 「こんなものすごい川を見たのは、はじめてだ。どうしたら、じょうぶな橋をかけることができるだろう」 大工さんは考えこんでしまいました。 すると、川のまん中から、大きな大きな鬼が、にゃっと出てきました。 「はなしは聞いた。おれは、力自慢の鬼だ。ひとつ橋をかけてやろうじゃないか」 鬼は、大声で言いました。 「それは、ありがたい。ぜひ橋をこしらえてくれ」 「よし、約束しよう。そのかわり、橋ができたら、おまえの目玉をもらうよ」 鬼は、そういうと、ぱっと消えてしまいました。 つぎの日、大きくてりっぱな橋が、もうできていました。 人びとは大喜びです。 けれど、大工さんは困ってしまいました。 橋の代わりに目玉を取られてしまうのです。 大工さんは、こっそりと山奥へ逃げていきました。 すると、山奥のもっと遠くから、ふしぎな声が聞こえてきました。 ♪大きな鬼の鬼六さん ♪人間の目玉おみやげに ♪早く帰ってきておくれ 「あれは、鬼の子どもが歌っているんだ」 声を聞いた大工さんは、あわてて逃げ出しました。 ところが、川のところまでくると、鬼が待っていたのです。 「約束どおり、目玉をもらうぞ」 「どうか、かんべんしてくれ。目玉をあげたら、とっても困るんだ」 大工さんが、いっしょうけんめい頼むと、鬼は、 「かんべんしてもらいたかったら、おれの名前を三べんいってみろ」 さあ、鬼の名前なんて、大工さんは知りません。 「鬼太郎」 「ちがう!」 「鬼一郎、鬼次郎、鬼三郎、鬼四朗、鬼五郎・・・」 「ちがう、ちがう。ちがうぞ!」 そのとき、大工さんはふしぎな歌声を思い出しました。 「そうだ、鬼六だ。鬼六、鬼六、鬼六!」 大工さんは、大声で叫びました。 「なんで、知っているんだー!」 鬼の鬼六は、逃げるようにいなくなってしまいました 京都 賃貸よりオススメでした。
西暦79年にイタリアのヴェスビアス火山が噴火し、ポンペイの市街が火山灰により埋没してしまったのがこの日といわれています。
2日間火山灰が降り注ぎ、約2000人の市民が亡くなったといわれています。 1748年から発掘が開始され、古代ローマ都市がほぼ完璧に再現されています。 他の記念日 -ラグビーの日 1823年、イングランドのパブリックスクール・ラグビー校で開かれたフットボールの試合中に、興奮した生徒・ウィリアム・エリスがルールを無視してボールを抱えて相手チームのゴールへ突進しました。 愛酒の日 聖バルトロマイの祝日 京都 賃貸よりオススメでした。
戊辰戦争で会津藩の白虎隊20人の隊員が、城下の飯盛山で自刃(じじん)したのが1868(慶応4)年のこの日です。
白虎隊は16歳から17歳までの少年で編成されていました。 町に火の手が上がったのを落城と思い自刃しましたが、鶴ヶ城が降伏により開城したのは1ヶ月後のことでした。 トラと坊さんとやまイヌ むかしむかし、一ぴきのあばれもののトラが、ワナにかかりました。 「たすけてくれー! 外に出してくれー!」 そこへ、一人の坊さんが通りかかりました。 「お坊さま。どうかわたしを、ここから出してください」 トラは、きゅうにやさしい声でいいました。 「だめだよ。おまえは外に出たら、きっとわるいことをするだろう」 「とんでもない。ご恩は一生わすれません。わたしはあなたの召使いになって、おつかえしますよ」 トラがないてたのむので、坊さんはかわいそうになりました。 「おまえは、それほどわるいやつじゃなさそうだな。よし、出してやろう。そのかわり、二度とわるいことをするんじゃないよ」 オリから出してもらったトラは、おなかをかかえてわらいました。 「ワハハハハハ。バカな坊さんだ。わたしはおなかがペコペコなんだよ。どれ、あなたをごちそうになろうかな」 坊さんは、ビックリしていいました。 「ま、まってくれ。わたしをこんなめにあわせることが、いいことかわるいことかみんなにきいてみる。そのあいだだけ、わたしをたべないでいておくれ」 坊さんはそういうと、すぐそばにあった大きなぼだいじゅの木にたずねました。 ところが、ぼだいじゅの木は、 「わたしなんか、いつもそんなめにあっていますよ。旅人に木かげをかしてあげているのに、枝や葉をちぎられてしまうのですから」 と、いって、ちっともトラの味方をしました。 ガッカリした坊さんは、こんどは水牛をつかまえて、ずるいトラのしうちを話しました。 「それはおきのどくさま。でも、わたしをごらんなさい。みんなはわたしがミルクを出すうちは、よろこんで油かすやワタの実のエサをくれます。ところがミルクが出なくなったとたんに、ろくにエサもくれないんですよ」 水牛も、トラの味方です。 ガッカリした坊さんは、トボトボと道をあるきながら、こんどは道に、トラの話をしてみました。 すると、道は、ニガニガしくいいました。 「人に、いいおかえしをのぞむのはむりですよ。まずしい人もお金持ちも、いろんな人がわたしをふみつけて通るのに、このわたしにくれるものといったら、ゴミとか、つばとか、タバコの灰ぐらいのものですよ。ま、あきらめるんですね」 「ああ、もうだめだ。だれも味方してくれない」 坊さんは、かなしくなりました。 「どうしたんですか? お坊さん」 ちょうど通りかかった山イヌが、ふしぎそうにたずねました。 「わたしはもうすぐ、トラにたべられてしまうんだよ」 「へえ。どうして?」 坊さんは、山イヌにわけを話してきかせました。 「それはふしぎな話だなあ。なんだか、さっぱりわからないや」 山イヌは、あたまをかしげるばかりです。 そこで坊さんは、もう一度、話をきかせてやりました。 「ああ、ますますわからないや。右の耳から話がはいると、左の耳からぬけていってしまう」 山イヌは、頭をたたきました。 「そのトラのところに行ってみましょうよ。そうしたら、わけがわかるかもしれない」 トラは、ツメとキバをとぎながら、坊さんを待っていました。 「ずいぶんおそいじゃないか。もう、がまんできないぞ」 坊さんは、ガタガタふるえながらたのみました。 「もうちょっとだけ待ってくれ。この山イヌが、どうしても話がわからないっていうんだよ」 「うるさい山イヌめ。まあいいや。ごちそうは目の前にあるんだし」 坊さんは、なるべく長生きしたいので、こまかいところまで残らず山イヌに話してやりました。 すると山イヌは、おおげさにさけびました。 「ああ、そうか。わかったぞ。なんだ、こんなかんたんなことだったのか。つまりえーと、お坊さんがオリの中にいた。そこにトラが通りかかったんですね」 「バカもの! このわたしがオリの中にいたんだよ」 トラは、あきれていいました。 「そうでした。このわたしがオリにいた。いやちがう。このわたしっていうのは坊さんのことですね。お坊さんがオリにいて、トラが外を通りかかったと」 「ちがう! わたしっていうのは、このわたしのことだ。わからずやめ、こうなったら、わかるまで話してやるぞ」 「はい、おねがいします」 「よく聞けよ。いいか、ここにいるわたしはトラさまだ」 「はい、トラさま」 「これが、坊さんだ」 「はい、坊さん」 「これがオリ。このオリの中にいたのは、このトラさまだ」 「なるほど、トラさまの中にいたのは、このオリですね」 「な、なんだって! このマヌケ!」 「そ、そんなにおこらないでくださいよ。だいたい、最初の最初がどうなっていたかわからないからいけないんだ。えーと、トラさまは、どうやってこのオリにはいったんですか?」 「どうやってだって? そうだなあ。なにげなくはいったと思うよ」 「なにげなくとは、どういうことですか?」 するとトラは、もうがまんできなくなって、オリの中へとびこんで見せました。 「大バカものめ。なにげなくとは、こういうことだ」 「なるほど。それで、このようにカギがしまっていたのですね」 山イヌはそういうと、オリの戸のカギをしめてしまいました。 「そうだ。そのようにオリがしまって、出られなく・・・。あっ、しまった! このとぼけた山イヌめ!」 こうしてトラは、おとぼけのうまい山イヌにとじこめられ、もう二度と外には出られませんでした。 京都 賃貸よりオススメでした。
1903(明治36)年、東京電車鉄道が新橋?品川間の路面電車の営業を開始しました。
この日が東京で初めてチンチン電車が走った日です。 また、日本で最初の一般道路を走る路面電車が登場したのは、1895(明治28)年2月1日、京都でのことです。 琵琶湖の水力で発電した電力で動かしていました。 京都 賃貸よりオススメでした。
1964(昭和39)年のこの日、それまでの売血制度をやめ、輸血用血液は献血により確保する体制を確立するよう閣議で決定されました。
1974(昭和49)年に民間商業血液銀行が預血制度を廃止したことにより、すべてを献血で確保する体制が確立しました。 他の記念日 噴水の日 1970(昭和45)年、プロボウラー中山律子が女子プロボウラー初のパーフェクトゲームを達成しました。 京都 賃貸よりオススメでした。 |
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