752(天平勝宝4)年のこの日、奈良・東大寺の大仏開眼供養が行われました。
大仏の納められている大仏殿は世界一大きな木造建築物です。 また大仏は、743(天平15)年に聖武天皇の詔により造営開始、約10年の歳月を要して完成しました。 大仏に関する昔話 「あれ? どこだ? どこにいったんだ?」 ここは、むかしむかしの、奈良の大仏がある東大寺です。 ある日、大仏さまの目玉が抜け落ちて、どこヘいったかわかりません。 お坊さんたちは、さっそく京都や大阪から大仏作りの親方たちをよんできて、 「大仏さまの目玉を入れかえるには、どれほどのお金がかかる?」 と、値を見つもらせました。 すると、親方たちは、 「そうですな、千五百両(→1億円ほど)はかかります」 と、言うのです。 親方たちの考えでは、まず下で大きな目玉をこしらえ、目玉が出来たら足場を組んで大仏さまの目にはめようというものです。 お坊さんたちは、 「それは高すぎる、千両にまけろ」 と、言いますが、親方たちは、 「それでは赤字です。こちらも商売ですから」 と、言います。 「まけろ」 「まけられぬ」 「まけろ」 「まけられぬ」 そこへ、江戸からきた見物の一人が顔を出しました。 「わしなら、二百両(→千四百万円ほど)で、直しましょう」 それを聞いた親方たちは、 「馬鹿にもほどがある。なんでこれが、二百両で直せるものか」 と、笑いました。 ところが江戸の男は、こう考えたのです。 (目玉が抜け落ちて見つからんとすりゃあ、大仏さまの体の中ヘ落ちたにちがいない。それを拾って、はめ直せばいいだけだ) お坊さんたちはお金がないので、江戸の男に頼む事にしました。 江戸の男が目玉の穴から中に入って探すと、やっぱり目玉がありました。 さっそくかついで上にあげ、大仏さまの目に、ピタッとはめました。 お坊さんや親方たちは、それを見て言いました。 「あいつ、目玉をはめたはいいが、自分はどこから出てくるつもりだ? 出口はないはずだが」 するとなんと、江戸の男は大仏さまの鼻の穴から出てきたのです。 みんなは感心して、 「ほほう、目から鼻へ抜けおったわい」 と、江戸の男をほめたたえました。 それからです。 かしこい人の事を『目から鼻へ抜ける』と、言うようになったのは。 反核燃の日 左官の日 1667年、パリで世界初の美術展が開催されました。 京都 賃貸よりオススメでした。 「4月9日 大仏の日(京都でのお部屋探しは京都 賃貸.com)」へのトラックバックURL(0) http://www.kyoto-chintai.com/mt/tb-mt.cgi/1546 |
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