1893(明治26)年のこの日、文部省(文部科学省)告示「小学校祝祭日大祭儀式規定」の公布により、小学校の祝日・大祭日の唱歌として「君が代」「一月一日」「勅語奉答」など8曲が定められました。
歌詞の原形は「古今和歌集」で「君」はもともと家長や友人、愛人の意味でした。 歌の出てくる昔話 むかしむかし、中国の王さまのもとに、遠い国から一冊の本が送られてきました。 そこには、 《中国の王さまのご殿は、世界一すばらしい。でも、本当にいちばんすばらしいのは、そのお庭のナイチンゲール(なきウグイス)の声》 と、書かれてありました。 「わしの庭に住んでいるらしいナイチンゲールとやらを、今夜じゅうにさがし出してまいれ」 大臣と家来たちはご殿じゅうさがしましたが、どこにいるのかわかりません。 こまっていると、台所で働く小さい娘が、 「その鳥なら、毎晩、病気のかあさんに食ベ物を届けにいくとき、森の中でいい声で歌ってくれるわ」 と、いいました。 みんなは、娘を先頭にゾロゾロと森へ出かけました。 森の奥から、鈴をふるような、きれいな歌声がひびいてきます。 「しっ! あれがナイチンゲールよ」 娘は、枝に止まっている灰色の小鳥にいいました。 「王さまに、あなたの歌を聞かせてあげて」 娘のたのみを聞いて、ナイチンゲールは、その晩、王さまのご殿にやってきました。 ナイチンゲールは、王さまの前で歌いました。 王さまは、はらはらと涙をこぼていいました。 「なんてすばらしいのだ。どうか、いつまでもわしのそばにいてくれ」 その日から、ナイチンゲールはりっぱな鳥かごをいただいて、ご殿で暮らすようになりました。 さて、ナイチンゲールがやっとご殿の暮らしに慣れたころ、遠い国から王さまへ贈り物が届きました。 それはダイヤモンドとルビーで飾られた美しい金のウグイスで、ネジを巻くと尾をふって、それはみごとに歌うのでした。 「金のウグイスがいれば、わしは、なにもいらぬ」 その王さまのことばを聞くと、ナイチンゲールはまどからそっと飛び立って、森へ帰っていきました。 そうして、一年たちました。 ある晩、金のウグイスはブルルル、といったきり、動かなくなってしまいました。 王さまは医者や時計屋をよんで、なんとか金のウグイスを歌わせようとしましたが、むだでした。 心棒(しんぼう)の折れたウグイスを、もとのように歌わせることなど、だれにもできなかったのです。 それから、五年たちました。 王さまは、重い病気にかかり、だれもが王さまはもう助かるまいと思っていました。 新しい王さまも決まり、大臣や家来たちは、新しい王さまのあとばかり追いかけて歩いていました。 「たのむ。もう一度歌ってくれ。金のウグイスよ」 病気の王さまは、ベッドの中で涙をこぼしました。 そのとき突然、鈴をふるような歌声がまどのそばでひびきました。 歌っているのは、森のナイチンゲールです。 王さまが苦しんでいることを知って、なぐさめにきたのです。 ナイチンゲールの声を聞いているうちに、王さまのからだに力がわいてきました。 ナイチンゲールは、声をかぎりに歌いました。 (もう一度、お元気になって。王さま!) その晩、王さまはグッスリとねむり、新しい朝がきたときには、青ざめていた冷たいほおは、バラ色にかがやいていました。 「ありがとう、ナイチンゲールよ。これからも、たびたび飛んできて、わたしをはげましておくれ」 ナイチンゲールが森へ飛んでいったあと、家来たちがヘやへ入ってきました。 家来たちは、てっきり王さまが亡くなったものと思って見にきたのです。 元気になった王さまは、ビックリする家来たちをジロリと見回して、 「おはよう、みなの者」 と、いったのです。 京都 賃貸よりオススメでした。
1936(昭和11)年のこの日、オリンピック・ベルリン大会の女子200メートル平泳ぎ決勝で、和歌山県出身の前畑秀子が優勝しました。
このときNHKラジオの実況中継を担当した河西三省アナウンサーの「前畑がんばれ」を連呼した中継が日本中を沸かせ、歴史に残る名放送といわれています。 京都 賃貸よりオススメでした。
「ハー(8)ト(10)」の語呂合わせから日本心臓財団と厚生省(厚生労働省)が1985(昭和60)年のこの日に同財団の設立15周年を記念して制定しました。
夏の間に心と体をチェックして、心臓病の多発する冬に備える日とされており、健康チェックなどさまざまなイベントが行われます。 道の日 国際観光旅館連盟(国観連)・日本観光旅館連盟(日観連)・全日本旅館連盟(全旅連)・日本観光協会の宿泊観光4団体が1992(平成4)年に制定。 富山県が制定。 全日本帽子協会が制定。 日本衛生設備機器工業会が制定。 自動車用品店チェーンのイエローハットが2002(平成14)年から実施。 京都 賃貸よりオススメでした。
「や(8)きゅう(9)」の語呂合わせと、全国高校野球大会の期間中であることから、スポーツ用品メーカー・ミズノの直営店・エスポートミズノが記念日に制定しました。
この日とは別に、6月19日は「ベースボール記念日」となっています。 長崎原爆の日,長崎原爆忌 原爆犠牲者慰霊平和祈念式 (長崎市) 「はり(8)きゅう(9)」の語呂合せ。 貸し駐車場管理会社・パーク24が制定。 沖縄県保健食品開発協同組合が制定。 世界の先住民の国際デー 京都 賃貸よりオススメでした。
タコの足の数が8本あることから、広島県と三原観光協会が記念日と定めて、1996(平成8)年からタコ供養を行っています。
日本ではタコは食卓を飾る一品として欠かせませんが、ヨーロッパや中東ではデビルフィッシュ(悪魔の魚)とされています。 タコに関する昔話 山おくのあるへんぴな村に、魚うりがやってきました。 村の人たちがよびとめて、おけをのぞくと、あたまがまるくて、八本足のものがありました。 「これは、なんというものかね?」 「タコですよ。ゆでてたべると、そりゃあうまいもんだ」 「へえ、これがタコっちゅうもんかい。よし、かってみよう」 村の人たちは、さっそく、お湯をわかして、タコをゆではじめました。 タコはまもなく、まっ赤にゆであがりましたが、どうやってたべるのか、だれも知りません。 そこに、たびの男がとおりかかって、 「その、タコのだしがらを、ごちそうしてもらえんかのう」 と、たのみました。 村の人たちは、たびの男にきかれないように、ちょっとそうだんです。 「タコのゆでたものを、だしがらだといったぞ。つまり、タコは身をくうものでなく、だしじるをのむものにちがいない」 「だしがらなんか、うまくないにきまっているからな。こんなものをくったら、せけんしらずと、おもわれてしまう」 「いくら山おくぐらしのわしらでも、タコのだしがらはいらんよ」 と、おいしいゆでダコを、まるごと、たびの男にやってしまい、みんなで、ゆでじるをすすりました。 ズズズーーーッ そろばんの日 日本ワーナーランバード(シック)が1978(昭和53)年に制定。 全日本愛瓢会が制定。 北九州市の千草ホテルが制定。 フジテレビの日 富山県で実施。 パチンコ台メーカーの平和が1994(平成6)年に制定。 名古屋市が1996(平成8)年に制定。 親孝行全国推進運動協会が1989(平成元)年に制定。 万田発酵が1994(平成6)年11月に制定。 クッション材の気泡シート(通称「プチプチ」)の専門メーカー・川上産業が制定。 アメリカ・ハワイ州のパパイヤ管理委員会日本事務所が1978(昭和53)年にパパイヤの販路拡充の為に制定。 デブの日 京都 賃貸よりオススメでした。 |
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