1932(昭和11)年、目黒競馬場で第1回の日本ダービー(東京優駿競争)が開催されました。
イギリスのダービーステークスにならって企画された物で、当時の出走馬は19頭、優勝したのは1番人気のワカタカでした。 ダービーは元々、第12代ダービー卿が始めた、ロンドン郊外で開催されるサラブレッド3歳馬ナンバーワンを決めるレースの事で、イギリス競馬界最高の行事でした。 日本を始め世界各国でそれに傚った「ダービー」という名前を附けたレースが開催されるようになりました。 名馬に関する昔話 むかしむかし、モンゴルの草原に、スーホーという歌の上手な若者がすんでいました。 スーホーはお母さんと二人で、ヒツジをかってくらしていました。 ある日スーホーは、ヒツジに草を食べさせにいったきり、日がくれても帰ってきません。 お母さんが心配していると、スーホーは生まれたての白い子ウマをだいて帰ってきました。 「まあ、きれいな子ウマだね。どうしたんだい?」 お母さんが聞くと、スーホーはうれしそうにいいました。 「帰るとちゅうで見つけたんです。持ち主もやってこないし、母ウマもいないんです。夜になってオオカミにでも食われたらかわいそうだから、つれて帰ってきました。うちでかってやりましょう」 スーホーは白い子ウマをとてもかわいがって、だいじにだいじに育てました。 子ウマはどんどん大きくなり、やがて雪のようにまっ白な、りっぱなウマになりました。 スーホーと白いウマは、なかのよい兄弟のように、いつもいっしょです。 ある日のこと、村にすばらしい知らせがつたわりました。 王さまが若者たちを集めて、競馬(けいば)大会をひらくというのです。 そのうえ優勝したものは、王女のおむこさんにむかえられるというのでした。 それを聞いた村の人たちはいいました。 「スーホー、いっておいでよ。おまえならきっと優勝できるよ」 そしていよいよ、競馬大会の日がやってきました。 国じゅうから、じまんのウマをつれた若者が集まりました。 けれど、白いウマにのったスーホーにかなうものは一人もおらず、スーホーが優勝したのです。 「あの若者と白いウマを、ここへよびなさい」 と、王さまはいいました。 スーホーは、大よろこびです。 ところが王さまは、スーホーが貧乏(びんぼう)なヒツジ飼いだとわかると、王女のおむこさんにするのがいやになってしまいました。 王さまは、つめたくいいました。 「その白いウマをおいていけ。そのかわりに、黄金三まいをおまえにやることにする」 これを聞いたスーホーは、ビックリです。 (この白いウマは家族のようなものだ。それをお金で買おうなんて、なんてひどいことを) スーホーは、王さまの命令をことわりました。 すると王さまは、顔をまっ赤にしておこり出し、 「王のいうことを聞かぬぶれい者め。この者をムチでたたくがよい」 家来たちはスーホーを、ムチでピシピシうちました。 キズだらけになったスーホーは見物席の外へほうりだされ、王さまは家来に白いウマをひかせて帰っていきました。 スーホーは友だちに助けられて、やっと家に帰りました。 ムチのために、すっかりボロボロになったスーホーは、何日もねたきりでした。 でも、お母さんのひっしのかんびょうで、だんだん元気になりました。 ある晩のことです。 トントンと、門の戸をたたく音がしました。 「だれだい?」 返事はありません。 「なんの音だろう?」 外に出たスーホーはビックリ。 白いウマが、門のそばにたっていたからです。 「お、おまえ、帰ってきたのかい」 スーホーはかけよって、思わず白いウマをだきしめました。 ところが白いウマの体には、何本ものするどい矢がつきささっているではありませんか。 「なんて、ひどいことを!」 スーホーは夢中で矢をひきぬき、お母さんといっしょにキズの手当をしてやりました。 けれど白いウマは、つぎの日、死んでしまいました。 やがてスーホーは、白いウマがもどってきたわけを知ることができました。 王さまは白いウマを手に入れたのがうれしくて、人びとをよんで酒もりをはじめました。 ところが、おおぜいの人びとのまえで白いウマにのろうとしたとたん、白いウマは王さまをふりおとしてしまったのです。 おこった王さまは、家来たちにむかってさけびました。 「あのあばれウマをつかまえろ。つかまらなければ、殺してしまえ」 家来たちは、にげていく白いウマにむかって、雨のように矢をあびせました。 それでも、白いウマは走ったのです。 体に矢がささりながらも、なつかしいスーホーの家にむかって、死にものぐるいで走ったのです。 白いウマは自分をかわいがり、育ててくれたスーホーのそばで死にたかったのでした。 白いウマが死んでから、スーホーは悲しくて、くやしくて、夜もなかなかねむれない日がつづきました。 そしてある日、スーホーは弓矢を取り出すと、その弓矢の手入れを始めました。 白いウマのかたきをうつため、この弓矢で王さまを殺そうと思ったのです。 (白いウマよ、待っていろよ。あしたの朝、あの王さまを殺して、おまえのかたきをうってやるからな) その日の晩、スーホーのゆめの中に、白いウマがあらわれていいました。 「スーホーさん、わたしのかたきをうつことを決心してくれてありがとう。ほんとうにうれしいです。でも、もう、わたしは死んでしまっています。王さまを殺しても、わたしが生き返ることはありません。それどころか、あなたも殺されてしまうでしょう。どうか、かたきうちはやめてください。それより、ひとつお願いがあるのです。どうかわたしの体で琴(こと)をこしらえてください。わたしは琴になって、いつまでもあなたのそばにいます」 つぎの日、スーホーは白いウマの骨としっぽをつかって、琴をつくりました。 さおの先は、白いウマの頭のかたちをきざみました。 やがてスーホーは、草原でヒツジのばんをしながら、いつもこの琴をひくようになりました。 美しい琴の音と、むねにしみるそのしらべは、ほかのヒツジ飼いたちにとっても、このうえないなぐさめとなりました。 スーホーの琴が聞こえてくると、みんなは一日のつかれをわすれて、じっとしずかにその音色に耳をかたむけるのでした。 他の記念日 植物学の日 1862(文久2)年、植物分類学者の牧野富太郎が高知県佐川町の豪商の家に生まれました。 94歳でこの世を去るまでの生涯を植物研究に費やして、新種・変種約2500種を発見・命名し、「植物学の父」と呼ばれました。 しぶしの日 「し(4)ぶ(2)し(4)」の語呂合せ。 2006(平成18)年1月1日に合併により誕生した鹿児島県志布志市が制定。 京都 賃貸よりオススメでした。
1954(昭和29)年のこの日、それまでの「汚物掃除法」を改正して清掃法が制定されました。
その後、1970(昭和45)年に清掃法を改定する形で、「廃棄物の処理および清掃に関する法律(廃棄物処理法)」が成立しました。 清掃に関する昔話 むかしむかしの、ある夏の日の事です。 村の佐助(さすけ)じいさんは用があって、旅の途中で宿(やど)に泊まりました。 ところが、この宿屋にはノミがたくさんいて、とてもねむることは出来ません。 (やれやれ、帰りもまた、ここで泊まらにゃならんが、こんな事ではどうにもならん。何とかせにゃ) 次の朝、佐助じいさんは朝めしを食ベるとそうそうに旅仕度をして、店先にいた宿の女主人に言いました。 「ばあさんや。お前さんの家では、なんとももったいない事をしとるのう」 するとおばあさんは、不思議そうにたずねました。 「それはまた、何の事で?」 「いや、ほかでもないが、わしの村ではな、薬屋がノミを買い集めておるわ。高値でのう。それなのにお前さんのところでは、こんなにノミがおるのに、なんでお売りなさらんのじゃ」 「お客さま。ノミが薬になりますかいな?」 「ああ、なるとも、なるとも」 「いったい、何に効きますのじゃ?」 「痛み、切りきず、ふき出もの、やけど、鼻づまり。何でも効くぞ」 「それではお客さま。ぜひ、家のノミも買うてくだされまいか?」 「ああ、いいともいいとも。わしは、あと三日たったら、またお前さんの所で泊めてもらうで、それまでに精を出して、たんと捕まえておきなされ。わしの村ヘ持っていって、売ってしんぜよう」 そういって、佐助じいさんは宿を出ました。 さて、それから三日後。 佐助じいさんがこの宿にきて泊まると、ノミは一匹もいません。 おばあさんがよほど精を出して取ったらしく、お陰で、ぐっすりとねむることが出来ました。 あくる朝、佐助じいさんが宿を出ようとすると、 「旦那さま、旦那さま」 「何か、ご用かね?」 「あの・・・、ノミをたんまり捕まえておきましたで。ほれ、このとおり。どうぞ、これを売ってきてくだされ」 と、紙袋を差し出しました。 「どれどれ。おおっ、これはお見事。これだけの数を、よう、お取りなされた」 佐助じいさんは感心したようにいうと、袋をていねいに宿のおばあさんに返して、 「この前、言うのを忘れておりましたが、ノミは二十匹ずつ、ちゃんと串にさしておいてくだされ。一串、二串と勘定せにゃ、とても数えられませんのでな。近いうちにまたきますで、串をこしらえて、ちゃんとさしておいてくだされ。頼みましたぞ。じゃあ、おおきに、お世話になりましたな」 そういうて佐助じいさんは、とっとと宿を出て行きました。 むろん、佐助じいさんがこの宿に来ることはありませんでしたが、ノミのいなくなったこの宿は、それからとても繁盛したそうです。 他の記念日 よい夫婦の日 講談社が制定。 「よい(4)ふうふ(22)」の語呂合せ。 アースデー(地球の日) アースデー世界協議会等が主催。 1970(昭和45)年、アメリカの市民運動指導者で、当時大学生だったデニス・ヘイズが提唱。 地球全体の環境をまもる為、ひとりひとりが行動を起こす日。 1970(昭和45)年から1990(平成2)年までは10年に1度実施されていましたが、1991(平成3)年からは毎年開催されています。 京都 賃貸よりオススメでした。
1871(明治4)年3月1日(新暦4月20日)、それまでの飛脚制度にかわって、東京?大阪間で新しい郵便制度が実施されました。
それを記念して、逓信(ていしん)省(総務省)が1934(昭和9)年に、この日を制定しました。 この日を含んだ一週間が、切手趣味週間です。 他の記念日 青年海外協力隊の日 1901(明治34)年、日本初の女子大学である日本女子大学校(現在の日本女子大学)が開学しました。 京都 賃貸よりオススメでした。
乗馬とは馬に乗って移動することです。
日本では馬に乗る技術を馬術とよびますが、その馬術は長い間武芸の一つとされていたので、乗馬を認められているのは武士に限られていました。 しかし武士中心だった江戸幕府から明治政府にかわり、庶民にも明治4(1871)年のこの日に乗馬が許可されました。 他の記念日 地図の日,最初の一歩の日 養育費の日 京都 賃貸よりオススメでした。
1885(明治18)年のこの日に専売特許条例(特許法)が公布されたことを記念しています。
工業所有権制度の普及・啓蒙を図ることを目的として、1954(昭和29)年1月28日日通商産業省(経済産業省)省議決定に基づいて制定され、同年4月18日に施行されました 他の記念日 よい歯の日 ウッドデッキの設計・販売を行う中川木材産業が制定。 三重県民の日 1925年、パリ・ソルボンヌ大学(現在のパリ大学)で世界アマチュア無線連合(IARU)が創設されました。 京都 賃貸よりオススメでした。 |
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