発明家エジソンの「3大発明」の一つが蓄音機です。
1877(明治10)年のこの日、エジソンは蓄音機による録音と再生に成功したことから、日本オーディオ協会が1994(平成6)年に記念日として制定しました。 エジソンは自ら「メリーさんの羊・・・」と吹き込み、再生したそうです 音に関する昔話 むかしむかし、下関(しものせき→山口県)に、阿弥陀寺(あみだじ→真言宗の寺)というお寺がありました。 その寺に、芳一(ほういち)という、びわひきがいました。 芳一は、おさないころから目が不自由だったために、びわのひき語りをしこまれて、まだほんの若者ながら、その芸は師匠の和尚さんをしのぐほどになっていました。 阿弥陀寺の和尚さんは、そんな芳一の才能(さいのう)を見こんで、寺にひきとったのでした。 芳一は、源平(げんぺい)の物語を語るのが得意で、とりわけ壇ノ浦(だんのうら)の合戦のくだりのところでは、その真にせまった語り口に、だれ一人、涙をさそわれない者はいなかったそうです。 そのむかし、壇ノ浦で源氏と平家の長い争いの、最後の決戦がおこなわれ、戦いにやぶれた平家一門は、女や子どもにいたるまで、安徳天皇(あんとくてんのう)として知られている幼帝(ようてい)もろとも、ことごとく海の底にしずんでしまいました。 この悲しい平家の最後の戦いを語ったものが、壇ノ浦の合戦のくだりなのです。 ある、むしあつい夏の夜のことです。 和尚さんが法事で出かけてしまったので、芳一は、一人でお寺にのこってびわのけいこをしていました。 そのとき、庭の草がサワサワと波のようにゆれて、縁側(えんがわ)にすわっている芳一の前でとまりました。 そして、声がしました。 「芳一! 芳一!」 「はっ、はい。どなたさまでしょうか。わたしは目が見えませんもので」 すると、声の主は答えます。 「わしは、この近くにお住まいの、さる身分の高いお方の使いの者じゃ。殿が、そなたのびわと語りを聞いてみたいとお望みじゃ」 「えっ、わたしのびわを?」 「さよう、やかたへ案内するから、わしのあとについてまいれ」 芳一は、身分の高いお方が、自分のびわを聞きたいと望んでおられると聞いて、すっかりうれしくなって、その使いの者についていきました。 歩くたびに、ガシャッ、ガシャッと、音がして、使いの者は、よろいで身をかためている武者だとわかります。 門をくぐり、広い庭を通ると、大きなやかたの中に通されました。 そこは大広間で、大勢の人が集まっているらしく、サラサラときぬずれの音や、よろいのふれあう音が聞こえていました。 一人の女官(じょかん→宮中に仕える女性)がいいました。 「芳一や、さっそく、そなたのびわにあわせて、平家の物語を語ってくだされ」 「はい。長い物語ゆえ、いずれのくだりをお聞かせしたらよろしいのでしょうか?」 「・・・壇ノ浦のくだりを」 「かしこまりました」 芳一は、びわを鳴らして語りはじめました。 ろをあやつる音。 ふねにあたってくだける波。 弓鳴りの音。 兵士たちのおたけびの声。 息たえた武者が、海に落ちる音。 これらのようすを、しずかに、もの悲しく語りつづけます。 大広間は、たちまちのうちに壇ノ浦の合戦場になってしまったかのようです。 やがて平家の悲しい最後のくだりになると、広間のあちこちから、むせび泣きがおこり、芳一のびわが終わっても、しばらくはだれも口をきかず、シーンと、静まりかえっていました。 やがて、さっきの女官がいいました。 「殿もたいそう喜んでおられます。よいものをお礼に下さるそうじゃ。されど、今夜より六日間、毎夜そなたのびわを聞きたいとおっしゃいます。明日の夜も、このやかたにまいられるように。それから寺へもどっても、このことはだれにも話してはならぬ、よろしいな」 「はい」 次の日も、芳一はむかえにきた武者について、やかたにむかいました。 しかし、昨日とおなじようにびわをひいて寺にもどってきたところを、和尚さんに見つかってしまいました。 「芳一、いまごろまで、どこでなにをしていたんだね?」 「・・・・・・」 「芳一」 「・・・・・・」 和尚さんがいくらたずねても、芳一は約束を守って、ひとことも話しませんでした。 和尚さんは、芳一がなにもいわないのは、なにか深いわけがあるにちがいないと思いました。 そこで寺男(てらおとこ→寺の雑用係)たちに、芳一が出かけるようなことがあったら、そっとあとをつけるようにいっておいたのです。 そして、また夜になりました。 雨がはげしくふっています。 それでも芳一は、寺を出ていきます。 寺男たちは、そっと芳一のあとを追いかけました。 ところが、目が見えないはずの芳一の足は意外にはやく、やみ夜にかき消されるように、姿が見えなくなってしまったのです。 「どこへいったんだ?」 と、あちこちさがしまわった寺男たちは、墓地へやってきました。 ビカッ! いなびかりで、雨にぬれた墓石がうかびあがります。 「あっ、あそこに!」 寺男たちは、おどろきのあまり立ちすくみました。 雨でずぶぬれになった芳一が、安徳天皇の墓の前でびわをひいているのです。 その芳一のまわりを、無数の鬼火がとりかこんでいます。 寺男たちは、芳一がぼうれい)にとりつかれているにちがいないと、力まかせに寺へつれもどしました。 その出来事を聞いた和尚さんは、芳一を亡霊から守るために、魔除けのまじないをすることにしました。 その魔除けとは、芳一の体中に経文(きょうもん)をかきつけるのです。 「芳一、おまえの人なみはずれた芸が、亡霊をよぶことになってしまったようじゃ。無念の涙をのんで海にしずんでいった平家一族のな。よく聞け。今夜はだれ かがよびにきても、けっして口をきいてはならんぞ。亡霊にしたがった者は命をとられる。しっかり座禅(ざぜん)を組んで、身じろぎひとつせぬことじゃ。も し返事をしたり声をだせば、おまえはこんどこそ、殺されてしまうじゃろう。わかったな」 和尚さんはそういって、村のお通夜に出かけてしまいました。 さて、芳一が座禅をしていると、いつものように亡霊の声がよびかけます。 「芳一、芳一、むかえにまいったぞ」 でも、芳一の声も姿もありません。 亡霊は、寺の中へ入ってきました。 「ふむ。・・・びわはあるが、ひき手はおらんな」 あたりを見まわした亡霊は、空中に浮いている二つの耳を見つけました。 「なるほど、和尚のしわざだな。さすがのわしでも、これでは手が出せぬ。しかたない、せめてこの耳を持ち帰って、芳一をよびにいったあかしとせねばなるまい」 亡霊は芳一の耳に、冷たい手をかけると、 バリッ! その耳をもぎとって、帰っていきました。 そのあいだ、芳一はジッと座禅を組んだままでした。 寺にもどった和尚さんは、芳一のようすを見ようと、大いそぎで芳一のいる座敷へかけこみました。 「芳一! 無事だったか!」 じっと座禅を組んだままの芳一でしたが、その両の耳はなく、耳のあったところからは血が流れています。 「お、おまえ、その耳は・・・」 和尚さんには、すべてのことがわかりました。 「そうであったか。耳に経文を書きわすれたとは、気がつかなかった。なんと、かわいそうなことをしたものよ。よしよし、よい医者をたのんで、すぐにもきずの手当てをしてもらうとしよう」 芳一は両耳をとられてしまいましたが、それからはもう、亡霊につきまとわれることもなく、医者の手当てのおかげで、きずもなおっていきました。 やがて、この話は口から口へとつたわり、芳一のびわはますます評判になっていきました。 びわ法師の芳一は、いつしか『耳なし芳一』とよばれるようになり、その名を知らない人はいないほど、有名になったということです 他の記念日 姉の日 シンフォニー記念日 ラジオアイソトープの日 ミラの聖ニコラウスの祝日 京都 賃貸よりオススメでした。
フロリダ、バミューダ、プエルトリコを結ぶ三角形の海域が「バミューダ・トライアングル」です。
1945(昭和20)年、大西洋のこの海域でアメリカ軍機が忽然と消息をたち、救援機も同様に消え、残骸は見つかりませんでした。 以来、魔の三角海域と呼ばれています。 他の記念日 経済・社会開発のための国際ボランティアデー 国際デーの一つ。 世界中の経済と社会開発の推進のため、ボランティア活動の貢献に対する認識を高め、社会のあらゆる層からより多くの人々が、国内外においてボランティア活動に参加できる機運を高める日。 京都 賃貸よりオススメでした。
1890(明治23)年この日、エミール・ベーリングと北里柴三郎が、血清療法開発につながる破傷風免疫体を発見したことから、記念日とされています。
血清療法とは、抗体のある血清を患者に注射し、体内に入った毒素を中和して無力化する治療法です。 他の記念日 血清療法の日 聖バルバラの日 京都 賃貸よりオススメでした。
「よーく見てください。1(ワン)2(ツー)3(スリー)、はい消えました!」
という奇術の定番のかけ声から、日本奇術協会が1990(平成2)年に12月3日を記念日としました。 「ワン・ツー・スリー」という機関誌も発行しています。 他の記念日 プレイステーションの日 ベビー総合専門店「ベビーザらス」の国内第1号店、新浦安店の開店日が12月3日であることと、12月3日を「いいにんぷさん」と読む語呂合わせから、「プレママの日」を制定したのは、日本トイザらス株式会社。 岩手県生めん協同組合が制定。 全国団扇扇子カレンダー協議会が1987(昭和62)年に制定。 凸版印刷が1995(平成7)年に制定。 全国果実生産出荷安定協議会と農林水産省が制定。 自動車電話の日,コードレス電話の日 京都 賃貸よりオススメでした。
1942(昭和17)年のこの日、アメリカのシカゴ大学に設置された実験用小型原子炉で、ウランの核分裂の持続的な連鎖反応に成功。
イタリア人のノーベル物理学者エンリコ・フェルミらによって、世界で初めて原子炉が誕生しました。 最大出力は0.5ワットでした。 他の記念日 日本人宇宙飛行記念日 安全カミソリの日 日本アルゼンチン修好記念日 奴隷制度廃止国際デー 京都 賃貸よりオススメでした。 |
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