1961(昭和36)年、世界初の有人宇宙衛星・ソ連のボストーク1号が打ち上げに成功したのがこの日です。
ガガーリン宇宙飛行士は、「地球は青く、・・・この世の物とは思われないほどの美しさだった」と表現しました。 ガガーリンは、高度7000メートルからパラシュートで帰還しました。 他の記念日 パンの記念日 1877(明治10)年、東京開成学校と東京医学校を併合して東京大学が開設されました。 京都 賃貸よりオススメでした。
1974(昭和49)年のこの日、東京・日大講堂で行われた「ボクシングWBCライト級タイトルマッチ」で挑戦者のガッツ石松がチャンピオンのロドルフォ・ゴンザレス(メキシコ)にKO勝ちしました。
そのときコーナーポストによじ登ってとったポーズを、マスコミが「ガッツポーズ」と表現しました。 このポーズはそれ以前からありましたが、この時からガッツポーズと名付けられて日本中に広まりました。 他の記念日 メートル法公布記念日 1921(大正10)年、改正「度量衡法」が公布され、法律によりメートル法を使用することが定められました。 中央線開業記念日 1889(明治22)年のこの日、東京の中央線の前身である甲武鉄道・新宿?立川が開業しました。 京都 賃貸よりオススメでした。
洋数字の「4」と漢数字の「十」を合成すると「弁」の字に見えることから、日本鉄道構内営業中央会が1933(平成5)年に制定しました。
日本初の駅弁登場は、1885(明治18)年7月16日の宇都宮駅という説が有名ですが、夏は弁当がいたみやすいため行楽シーズンの4月が選ばれました。 お弁当に関する昔話 むかしむかし、木こりのおじいさんは、お昼になったので、切りかぶに腰をかけて、お弁当を食ベることにしました。 「うちのおばあさんがにぎってくれたおむすびは、まったくおいしいからな」 ひとりごとをいいながら、タケの皮の包みを広げたときです。 コロリンと、おむすびが一つ地面に落ちて、コロコロと、そばの穴ヘころがりこんでしまいました。 「おやおや、もったいないことをした」 おじいさんが穴をのぞいてみますと、深い穴の中から、こんな歌が聞こえてきました。 ♪おむすびコロリン コロコロリン。 ♪コロリンころげて 穴の中。 「ふしぎだなあ。だれが歌っているんだろう?」 こんなきれいな歌声は、今まで聞いたことがありません。 「どれ、もう一つ」 おじいさんは、おむすびをもう一つ、穴の中へ落としてみました。 するとすぐに、歌が返ってきました。 ♪おむすびコロリン コロコロリン。 ♪コロリンころげて 穴の中。 「これは、おもしろい」 おじいさんは、すっかりうれしくなって、自分は一つも食ベずに、おむすびをぜんぶ穴へ入れてしまいました。 つぎの日、おじいさんは、きのうよりももっとたくさんのおむすびをつくってもらって、山へ登っていきました。 お昼になるのを待って、コロリン、コロリンと、おむすびを穴へ入れてやりました。 そのたびに、穴の中からは、きのうと同じかわいい歌が聞こえました。 「やれやれ、おむすびがおしまいになってしまった。だけど、もっと聞きたいなあ。・・・そうだ、穴の中へ入って、たのんでみることにしよう」 おじいさんは、おむすびのようにコロコロころがりながら、穴の中へ入っていきました。 するとそこには、かぞえきれないほどの、おおぜいのネズミたちがいたのです。 「ようこそ、おじいさん。おいしいおむすびをたくさん、ごちそうさま」 ネズミたちは、小さな頭をさげて、おじいさんにお礼をいいました。 「さあ、今度はわたしたちが、お礼におもちをついてごちそうしますよ」 ネズミたちは、うすときねを持ち出してきて、 ♪ペッタン ネズミの おもちつき。 ♪ペッタン ペッタン 穴の中。 と、歌いながら、もちつきを始めました。 「これはおいしいおもちだ。歌もおもちも、天下一品(てんかいっぴん)」 おじいさんはごちそうになったうえに、ほしい物をなんでも出してくれるという、打ち出の小づちをおみやげにもらって帰りました。 「おばあさんや、おまえ、なにがほしい?」 と、おじいさんは聞きました。 「そうですねえ。いろいろとほしい物はありますけれど、かわいいあかちゃんがもらえたら、どんなにいいでしょうねえ」 と、おばあさんは答えました。 「よし、やってみよう」 おじいさんが、小づちをひとふりしただけで、おばあさんのひざの上には、もうあかちゃんがのっていました。 もちろん、ちゃんとした人間のあかちゃんです。 おじいさんとおばあさんはあかちゃんを育てながら、仲よく楽しくくらしましたとさ。 京都 賃貸よりオススメでした。
752(天平勝宝4)年のこの日、奈良・東大寺の大仏開眼供養が行われました。
大仏の納められている大仏殿は世界一大きな木造建築物です。 また大仏は、743(天平15)年に聖武天皇の詔により造営開始、約10年の歳月を要して完成しました。 大仏に関する昔話 「あれ? どこだ? どこにいったんだ?」 ここは、むかしむかしの、奈良の大仏がある東大寺です。 ある日、大仏さまの目玉が抜け落ちて、どこヘいったかわかりません。 お坊さんたちは、さっそく京都や大阪から大仏作りの親方たちをよんできて、 「大仏さまの目玉を入れかえるには、どれほどのお金がかかる?」 と、値を見つもらせました。 すると、親方たちは、 「そうですな、千五百両(→1億円ほど)はかかります」 と、言うのです。 親方たちの考えでは、まず下で大きな目玉をこしらえ、目玉が出来たら足場を組んで大仏さまの目にはめようというものです。 お坊さんたちは、 「それは高すぎる、千両にまけろ」 と、言いますが、親方たちは、 「それでは赤字です。こちらも商売ですから」 と、言います。 「まけろ」 「まけられぬ」 「まけろ」 「まけられぬ」 そこへ、江戸からきた見物の一人が顔を出しました。 「わしなら、二百両(→千四百万円ほど)で、直しましょう」 それを聞いた親方たちは、 「馬鹿にもほどがある。なんでこれが、二百両で直せるものか」 と、笑いました。 ところが江戸の男は、こう考えたのです。 (目玉が抜け落ちて見つからんとすりゃあ、大仏さまの体の中ヘ落ちたにちがいない。それを拾って、はめ直せばいいだけだ) お坊さんたちはお金がないので、江戸の男に頼む事にしました。 江戸の男が目玉の穴から中に入って探すと、やっぱり目玉がありました。 さっそくかついで上にあげ、大仏さまの目に、ピタッとはめました。 お坊さんや親方たちは、それを見て言いました。 「あいつ、目玉をはめたはいいが、自分はどこから出てくるつもりだ? 出口はないはずだが」 するとなんと、江戸の男は大仏さまの鼻の穴から出てきたのです。 みんなは感心して、 「ほほう、目から鼻へ抜けおったわい」 と、江戸の男をほめたたえました。 それからです。 かしこい人の事を『目から鼻へ抜ける』と、言うようになったのは。 他の記念日 反核燃の日 左官の日 1667年、パリで世界初の美術展が開催されました。 京都 賃貸よりオススメでした。
http://www.kyoto-chintai.com/cgi-local/search/details_pre.php?id=YA8429-001&prev=on ←物件の詳細ですので、ご覧下さいね。
|
|