文徳(もんとく)天皇の第一皇子惟喬(これたか)親王が京都・嵐山の法輪寺に参篭し、虚空蔵菩薩からうるしの製法、漆器の製造法を伝授されたのがこの日であるとされていることから、1985(昭和60)年に日本漆工協会が制定しました。
日本の伝統文化であるうるしの美しさを今一度見直して日本の心を呼び戻すことを目的にしています うるしに関する昔話 むかしむかし、宇都宮(うつのみや)に、うるし商人の武太夫(たけだゆう)という男がいました。
武太夫は大金持ちでしたが、それにはわけがありました。 数年前のある日、山奥の谷川のふちの底に、大量のうるしを見つけたのです。 うるしは、うるしの木の皮から取れる汁で、おわんなどのぬり物につかわれます。 そのうるしが長いあいだ水に運ばれて、ふちの底にたまったのです。 うるしは高価な物で、無断で取ることを禁じられていましたが、武太夫はこの谷川の底のうるしを少しずつ売り、大金持ちになったのです。 武太夫は秘密のうるしを、いつまでも自分だけのものにしておきたいと思いました。 それで腕の良い細工師(さいくし)に、恐ろしい竜の細工をつくらせて、人が怖がってよりつかないように、うるしのあるふちの底に沈めたのでした。 しばらくすると竜の細工は、上流から流れてくるうるしや水あかなどがついて、本物の竜のようになっていました。 ある時、武太夫は十四歳になる一人息子の武助(たけすけ)を連れて、山奥のふちへいきました。 そして、うるしの秘密を話すと、 「このうるしは、わしらだけのものじゃ。わざわざ木を切りつけて汁を取らなくても、いくらでもここへたまっておる。いいか、わしがするのをよく見て、うるし取りの練習をするんだぞ」 武太夫は息子にいいきかせて、親子でふちへ入っていきました。 すると竜の細工が、とつぜん頭を動かしたのです。 「おとう! 竜が! 竜が動いた!」 「何を馬鹿な。水の動きで、そう見えるだけだ」 と、 武太夫は言ったものの、見てみると、竜が大きな口を開けて、息子に襲いかかったのです。 細工の竜は水の中にいるうちに魂が入って、いつしか本物の竜になっていたのです。 あわてた武太夫は息子を助けようとしましたが、竜が相手ではどうにもなりません。 「武助ー!」 「おとうー!」 やがてふちの水の上に、二つの死体が浮かびあがって下流へ流れていきました。 二人の死体は二日目になって、村に近い川原で引き上げられました。 取り調べの結果、武太夫はうるしの盗み取りをしていたことがわかりました。 そして罰(ばつ)として、新しく建てたばかりの家や財産は、全て取り上げられてしまったのです。 あとに残された武太夫の父親と奥さんは、とても貧しい生活を送ったという事です。 京都 賃貸よりオススメでした。 「11月13日 うるしの日(京都でのお部屋探しは京都 賃貸.com)」へのトラックバックURL(0) http://www.kyoto-chintai.com/mt/tb-mt.cgi/927 |
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