1950年代の後半、一世を風靡したフラフープが1958(昭和33)年のこの日、日本で初めて発売されました。
輪を身体で回す遊びです。 当時の価格は1本270円(子供用は200円)で、1ヶ月で約80万本を販売したといいます。 他の記念日 木造住宅の日 日本木造住宅産業協会が1998(平成10)年に制定。 「住(10)」の語呂合せと、「木」を分解すると「十」と「八」になることから。 統計の日 1973(昭和48)年7月3日の閣議で決定。 1879(明治12)年9月24日(新暦10月18日)、府県物産表に関する太政官布告が公布されました。 国民に統計の重要性を知ってもらうための記念日。 冷凍食品の日 日本冷凍食品協会が1986(昭和61)年に制定。 10月は冷凍の「とう(10)」から。18日は、国際的に、-18℃以下に保てば冷凍食品の品質を 1年間維持できるとされていることから。 「食慾の秋」でもあることから、冷凍食品の販売促進のためのPRが行われます。 ドライバーの日 世界メノポーズデー ミニスカートの日 京都 賃貸よりオススメでした。
1994(平成6)年のこの日、全国カラオケ事業者協会が設立され、同協会が記念日として制定しました。
当日はカラオケ大会や、カラオケセット寄贈が行われます。 この日とは別に、1月19日が「カラオケの日」、9月第2土曜日が「ファミリーカラオケの日」となっています。 他の記念日 貯蓄の日 貧困撲滅のための国際デー 上水道の日 1978(昭和53)年、「沖縄そば」の名称が公正取引協議会が正式に呼称認定され、また、全国麺類名産・特産品に指定されました。 京都 賃貸よりオススメでした。
国連食糧農業機関(FAO)が1981(昭和56)年に制定しました。
国際デーの一つで、発展途上国の人々が食糧不足で苦しまないためにはどうすればいいか考える日です。 FAOが設立されたのが1945(昭和20)年のこの日ですから、それを記念日としてわけです。 食料に関する昔話 夏のある日、キリギリスが野原で歌を歌っていると、アリたちがぞろぞろ歩いてきました。 「おい、アリくんたち。そんなに汗をびっしょりかいて、なにをしてるんだい」 「これはキリギリスさん、わたしたちは食べ物を運んでいるのですよ」 「ふーん。だけど、ここには食べ物がいっぱいあるじゃないか。どうして、いちいち家に食べ物をはこぶんだい。おれみたいにおなかがすいたらその辺にある食べ物を食べて、あとは楽しく歌を歌ったり、あそんだりしていればいいじゃないか」 「でもね。キリギリスさん。いまは夏だから食べ物がたくさんあるけど、冬が来たら、ここも食べ物はなくなってしまいますよ。いまのうちにたくさんの食べ物をあつめておかないと、あとでこまりますよ」 アリたちがそういうと、キリギリスはバカにしたようにハハハハハハッと笑って。 「まだ夏が始まったばかり。冬のことは冬が来てから考えればいいのさ」 そう答えると、また歌を歌い始めました。 さて、それからも毎日キリギリスは陽気に歌ってくらし、アリたちはせっせと家に食べ物を運びました。 やがて夏がおわり、秋が来ました。 キリギリスは、ますます陽気に歌を歌っています。 そしてとうとう、さむいさむい冬がやってきました。 野原の草はすっかり枯れ果て、キリギリスの食べ物は1つもなくなってしまいました。 「ああ、おなかがすいたな。こまったな。どこかに食べ物はないかなあ。・・・あっ、そうだ。アリくんたちが食べ物をたくさんあつめていたっけ、よし、アリくんたちに何か食べさせてもらおう」 キリギリスは急いでアリの家にやってきましたが、アリは家の中から。 「だから、食べ物がたくさんある夏のあいだに食べ物をあつめておきなさいといったでしょう。家にはかぞく分の食べ物しかないから、悪いけど、キリギリスさんにはあげることができません」 と、いって、げんかんをあけてくれませんでした。 キリギリスは雪の降る野原のまん中で、寒さにふるえながらしょんぼりしていました。 いま楽をしているなまけ者は、そのうち痛い目にあうというお話しです。 ※この「アリとキリギリス」は、もとの寓話である「セミとアリ」から変化したお話しです。 「アリとキリギリス」以外にも、「セミとアリ」から変化したお話しは多くて、「アリとコガネムシ」「アリとコオロギ」「トンボとキリギリス」などがあります。 セミが他の昆虫に変化した理由は、お話しの伝わった国に、その昆虫がいなかったり、お話しを伝えた人が、勝手に昆虫を変えたりしたからです。 京都 賃貸よりオススメでした。
「栗(九里)より(四里)うまい十三里(9+4=13)」の「十三里」とはサツマイモの異名で、江戸から十三里(約52キロ)離れたところにある川越のサツマイモがおいしかったことから生まれた言葉です。
そこから、川越いも友の会がサツマイモが旬でもある10月に、この日を記念日に制定しました。 京都 賃貸よりオススメでした。
1492(明応元)年のこの日、コロンブスがサンサルヴァドル島に上陸しました(アメリカ大陸発見)。
欧米ではコロンブスデーと呼ばれています。 コロンブスといえば、卵を潰して立てた逸話が有名。 そんなところから、いつしかたまごデーといわれるようになったようです。 タマゴに関する昔話 むかしむかし、行基(ぎょうき)というえらいお坊さんがいました。 行基は生まれ故郷である大阪やその近くで、弟子やたくさんの信者(しんじゃ)たちと一緒に橋や道などをなおしました。 また、まずしい人たちのために無料の宿泊所(しゅくはくじょ)をつくり、その数だけでも三十にのぼったといいます。 多くの人たちのしあわせと、世の中のためにつくした行基は、五十七歳になった天平十七年(七四五年)、お坊さんで一番高い位の大僧正(だいそうじょう)をさずけられました。 橋などがこわれて人々がこまっているときくと、すぐにそこへでかけていって修理をします。 行基がいくところ、いつも千人もの信者たちがあとにつづいて、工事を手伝っていたといわれています。 さて、行基がふるさとに帰ったときの事です。 池で魚をとって食べていた若者たちが、 「お坊さんというのは生の魚を食べないものだというが、どうだ。ためしてみよう」 と、イタズラを思いたちました。 そして行基に、魚をうすぎりにしてお酢につけたなますをつくってすすめました。 行基はいただいてお礼をいうと、そのなますを口にいれてかんでから、すぐにかたわらの池へいってはきだしました。 するとなますは、たくさんの小さな魚になって水の中を泳ぎだしたのです。 ビックリした若者たちは、自分たちがしたイタズラをはずかしく思い、行基に心からあやまったのでした。 さて、この行基というお坊さんは、ふつうの赤ちゃんよりも二か月も長く、お母さんのおなかにいて、やっと生まれたといわれます。 それと不思議な事に、生まれるときにお母さんのおなかの中からでてきたのは、なんと丸いタマゴだったのです。 両親はおどろきましたが、かといって、そのタマゴをすてるわけにもいかず、鉢(はち)にいれて家の門の前にあるエノキの木の枝につるしておきました。 そして夕方になると、そのタマゴから赤ちゃんの泣き声がきこえてきたのです。 両親が赤ちゃんを家の前にすてていった人がいるのかと思って、いそいでいってみると、木の枝につるした鉢の中の卵がわれて、男の赤ちゃんが生まれていたという事です。 京都 賃貸よりオススメでした。
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