2011年4月 6日(水) 08時17分01秒 |
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1875(明治8)年のこの日、コーンビーフの台形の缶詰が特許をとりました。 ところで、日本初の缶詰製造は1871(明治4)年、長崎で松田雅典が始めた物です。 彼の1886(明治19)年の日記に、コーンビーフの缶詰を製造したとあります。
京都賃貸よりオススメでした。
2011年4月 4日(月) 08時29分58秒 |
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1875(明治8)年のこの日、明治天皇が水戸藩の下屋敷を訪れた際、京都の和菓子に変わって純日本製のパンをお出しすることになりました。 そのときに献上されたのが、八重桜の塩漬けを入れた木村屋の桜あんパンでした。 京都賃貸よりオススメでした。
2011年4月 3日(日) 08時24分08秒 |
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1673(延宝元)年のこの日、インゲン豆を中国から持ってきたとされる隠元禅師が亡くなりました。 隠元禅師は1592(文禄元)年に中国の福建省で生まれました。 長崎の興福寺に招かれて来日した際、インゲン豆を禅の普茶料理(精進料理)の材料として普及させました。
豆に関する昔話 むかしむかし、おばあさんがそら豆を煮(に)ようと思いました。 なべに入れるとき、そら豆が一粒はずんで落ちて、コロコロコロと、庭のすみへころがっていきました。 おばあさんが、たきつけのワラを持ってくると、風がサーッと吹いてきて、ワラを一本、庭のすみへ飛ばしました。 おばあさんが、火をたきつけて仕事をしていると、まっ赤になった炭が一つ下へ落ちて、カランカランカランと、これも庭のすみっこへころがっていきました。 庭のすみっこで、そら豆とワラと炭が、顔をあわせました。 そら豆がいいました。 「ワラさん、炭さん、わたしたちが、ここで出会ったのも何かのえん、これからひとつ、お伊勢参り(おいせまいり)にいきませんか?」 「そりゃ、いいね」 「うんうん、さっそく出かけよう」 と、いうことになって、そら豆とワラと炭は、そろって出かけました。 みんなは川の所まできましたが、この川には橋がありません。 橋がなければ、川を渡れません。 すると、ワラがいいました。 「わたしが橋になるよ。そら豆さん、炭さん、渡りなさい」 「それは、ありがたい」 そら豆が渡ろうとすると、炭がおこって、 「わたしが先に渡る。そら豆さんはあとにしろ!」 そら豆は、ムッとして、 「いや、わたしが先だよ!」 「なに、わたしが先だ!」 炭は、そら豆をポンとつき飛ばして、先にワラの橋をわたりかけました。 ところが半分まで渡ったとき、川の流れを見たものだから、急にこわくなって動けません。 「炭さんどうした? 早く渡れよ」 そら豆がせきたてても、炭はこわくて動けません。 そのうちに、炭のねつでワラが燃えだして、炭とワラはボチャンと川に落ちてしまいました。 それを見て、そら豆は大笑いです。 「アハハハハハッ、わたしをつき飛ばして先にわたったからだよ。アハハハハハッ、アハハハハハッ・・・」 あんまり笑いすぎたので、そら豆のおなかは、パチンと、はじけてしまいました。 「あっ! ・・・こまったな。こんなかっこうじゃ、みっともなくて、どこへもいけないよ。どうしょう」 そら豆が泣いていると、仕立屋(したてや)さんが通りかかりました。 「おやおや、どうしたね、そら豆さん」 「あんまり笑いすぎて、おなかが破けたんだよ」 「そりゃ、気のどくに。どれどれ、わたしは仕立屋(したてや→さいほう屋)だ。やぶけたおなかをぬってあげよう」 「よろしく頼みます」 そこで、仕立屋は針と糸を取り出して、そら豆のおなかを、チクチクチク、チクチクチクと、ぬいました。 ところが、あいにくミドリ色の糸をきらしていたので、黒い糸でぬったのです。 そら豆に黒い筋ができたのは、そのときからだそうです。
京都賃貸よりオススメでした。
2011年4月 2日(土) 08時34分27秒 |
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1872(明治5)年のこの日、官立公共図書館「書籍館」が東京・湯島に設立されました。 日本で初めての近代図書館であったこから、この日が記念日とされています。 その後、同館は議会図書館と合併し、現在は国立国会図書館となっています。 京都賃貸よりオススメでした。
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