2011年3月 9日(水) 08時18分26秒 |
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エジソンが最初に発明した蓄音機では鉄の針が使われていましたが、後にエジソンは円盤式のレコードでダイヤモンド針を採用しています。 現在、レコード針には円針と楕円針がありますが、製造が容易なため、通常は円針の法が低価格です。
京都賃貸よりオススメでした。
2011年3月 8日(火) 08時26分12秒 |
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「ミツ(3)バチ(8)」の語呂合わせから、全日本ミツバチ協同組合と日本養蜂はちみつ協会が制定しました。 かつて日本で飼育されていた日本ミツバチは、蜂蜜の生産高が少なかったのですが、明治の初期に西洋ミツバチが入ってから生産と需要が拡大しました。 ミツバチに関する昔話 ミツバチのマーヤは、きょう、はじめて巣(す)の外へ飛びました。 しばらくいくと、すばらしいにおいのバラを見つけました。 そっと止まると、花びらの中からバラコガネが出てきました。 「こんにちは」 バラコガネはマーヤが気にいって、バラのみつをおなかいっぱいごちそうしてくれました。 マーヤは一日じゅう飛び回って、その日はつりがねそうの花の中で眠りました。 つぎの日は雨でした。 羽がぬれてしまうので、マーヤが困っていると、 「ぼくは平気だ。ぼくは、バラコガネの仲間。名まえはクルト」 得意そうにいいながら出てきた虫がありました。 ところがいったとたん、クルトはすべってひっくり返ってしまいました。 「助けて、ぼくは背中が丸くて、ひとりでは起きられないんだ。起きられないと、死んでしまうんだ。助けて」 マーヤはなんとかして、クルトを助けようと思いました。 急いで、そばにはえていた長い葉の草をしならせるといいました。 「さあ、この葉にしっかりとつかまって起きるんだよ、ほら」 マーヤは羽がびしょぬれになるのもかまわずに、クルトを助けました。 つぎの日は、すばらしいお天気でした。 マーヤは、長い足のバッタに会いました。 バッタのあいさつは、とても変わっていました。 「ぼくは」 と、いったとたんに、とんでいってしまって、あらっと思っていると、ピョーンともどってきて続きをいうのです。 つまりこうです。 「ぼくは、『ピョーン』バッタさ。『ピョーン』きみは、『ピョーン』だれだい」 昼になりました。 おなかのすいたマーヤは、木イチゴの間を飛んでいました。 そのとき、なにかがフワリと肩にかかりました。 「なんだろう?」 なんと、それはクモの糸でした。 マーヤはクモに、つかまってしまったのです。 「もうだめ、さようなら、お日さま」 そのとき木の下を、あのクルトが通りかかりました。 「マーヤじゃないか。元気かい? ・・・うん? あっ! クモの糸だな。よし、待ってろ!」 クルトは、マーヤがつるされている枝に急いで登ってくると、マーヤをしっかりかかえて飛びおりました。 クルトは、マーヤに助けてもらったことを忘れてなかったのです。 「ありがとう、クルト」 夜になりました。 マーヤはすばらしい世界を見ました。 銀色に光る草の露から生まれる妖精(ようせい)です。 マーヤは夜の間、妖精と遊んで、ウキウキしながら古いムクドリの巣箱のそばへやってきました。 すると、 「近寄るんじゃない。あれはスズメバチの城だよ。今、きみたちミツバチの国をおそう相談をしているんだよ」 ムカデが出てきていいました。 「うわあ、大変!」 マーヤはミツバチの国に向かって飛びたちました。 「女王さま、女王さま、スズメバチが攻めてきます」 マーヤはミツバチの国へもどるといいました。 さあ、グズグズしてはいられません。 「みんなで、自分の場所を守るのです」 女王さまの命令で、兵隊バチが飛んでいきました。 「入り口の壁(かべ)をしっかりふさぎなさい。あつく、しっかりとです」 戦いがはじまりました。 恐ろしいスズメバチは、つぎつぎとおそってきました。 けれど、マーヤの知らせのおかげで戦いのじゅんびが出来ていたので、たくさんの仲間がやられずに助かりました。 「よくやりました。マーヤ、ありがとう」 戦いがすむと、女王さまはいいました。 「でも、マーヤ。もう遊んでばかりいてはいけませんよ」 そうです。 たくさんのことを知ったマーヤは、みんなといっしょにミツバチの国のために仕事をしなくてはいけません。 マーヤはもう、りっぱな一人前のミツバチになったのです。
京都賃貸よりオススメでした。
2011年3月 4日(金) 08時17分36秒 |
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「ミ(3)シン(4)」の語呂合わせから、日本家庭用ミシン工業会(現在は日本縫製機械工業会)が1990(平成2)年にミシン発明200周年を記念して制定しました。 ミシンの原型は1589年の機械式の毛糸編み機で、日本初のミシンは1869(明治2)年に日本人の手によって作られました。 「ミシン」という名前は、 sawing machine(裁縫機械)のmachineがなまったものです。 京都賃貸よりオススメでした。
2011年3月 3日(木) 08時20分22秒 |
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ひな祭りとは、平安時代の京都の風習だった子供の無病息災を願う上巳の節句(じょうみのせっく)と、ままごとの遊びが江戸時代初期に融合し、女の子のお祭りになったといわれています。 ひな祭りという呼び名は、小さな人形で「ままごと遊び」することを「ひいな遊び」と呼んでいたのが語源です。 はじめは京都の上流階級の家だけの行事でしたが、しだいに民間の行事となり、やがては地方へとひろまっていきます。 ひな祭りは江戸時代中期にかけて年々盛んになり、人形やひな壇もどんどん派手になっていきました。 当時は等身大の人形をかざったひな壇もあったといいます。 ですが、1721年(享保6)に、ぜいたくな生活を規制する当時の江戸幕府によって、ひな人形の大きさは24cm以下とさだめられました。
ひな祭りのことを別名で「モモの節句」といいますが、それは当時の旧暦の3月3日は、現在の4月上旬にあたり、ちょうどモモの花も開くころだったからです。 また江戸時代、ひな祭りの日には、銭湯でモモの葉をお風呂に入れた「桃の湯」に入るのが流行していました。 昔話の桃太郎が鬼を退治するように、植物のモモには災いをおいはらう効能があると信じられていたからです。
みなさんも、ひな祭りにはモモの入浴剤で「桃の湯」を楽しんではいかがでしょうか。
京都 賃貸よりオススメでした。
2011年3月 1日(火) 08時22分14秒 |
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1972(昭和47)年にアメリカのエレン・スタンリーとメアリー・リン・レイブ姉妹が、最も利口で役に立つ家畜のひとつである豚への感謝を込めて制定したとされています。 この日、アメリカでは各地で豚の品評会が開催されます。
ブタに関する昔話 むかしむかし、あるところに、三匹の子ブタがいました。 みんなの名まえは、一番のお兄さんが「大ブタちゃん」、二番目のお兄さんが「中ブタちゃん」、三番目の弟が「ちいブタちゃん」です。 さて、三匹の子ブタは、それぞれ自分のお家をつくることになりました。 大ブタちゃんは、ワラのお家をつくることにしました。 ワラをなわでしばって、ギュッ、ギュッ、ギュッ、はい、すぐにできあがりました。 中ブタちゃんは、木のお家をつくることにしました。 まず柱を立てて、まわりにならべた木にクギをうって、トントントンと、はい、できあがりました。 ちいブタちゃんは、 「ぼくのお家はワラでも木でもない、かたくてじょうぶなレンガでつくろう」 レンガを運んで、レンガをつんで、ヨイショ、ヨイショ、ヨイショ、時間はかかりましたが、ようやくできあがりました。 「ワーイ、できた、できた」 自分たちのお家ができて、三匹の子ブタはとてもごきげんです。 すると、山にすんでいるわるいオオカミが、ワラのお家にやってきました。 「大ブタくん、大ブタくん、ここをあけておくれ。ぼくをお家に入れとくれよ」 大ブタちゃんは、ビックリして答えました。 「とんでもない! ぜったいにいやだよう!」 するとオオカミは、恐ろしい声でどなりました。 「よーし、そんなら、こんな家なんか、おれさまの自慢(じまん)の息(いき)で、ふき飛ばしてやるぞ!」 オオカミがほっペをふくらませて、フーッと息をふいたら、ワラのお家はバラバラにふき飛んでしまいました。 そこでオオカミは、大ブタちゃんをつかまえて、ペロリと食べてしまいました。 さて、それからオオカミは、木のお家にやってきました。 「中ブタくん、中ブタくん、ここをあけておくれ。ぼくをお家へ入れとくれよ」 中ブタちゃんはビックリして、戸を押さえていいました。 「とんでもない! ぜったいにいやだよう!」 するとオオカミは、恐ろしい声でどなりました。 「よーし、そんなら、こんな家なんか、おれさまの自慢のいきで、ふき飛ばしてやるぞ!」 オオカミがフーッと息をふきましたが、木の家はなかなかこわれません。 「よし、こうなったら体当たりだ!」 オオカミは勢いをつけると、木の家に体当たりをしました。 ドシーン! 木のお家は、バラバラにこわれてしまいました。 そこでオオカミは、中ブタちゃんをペロリと食べてしまいました。 さて、それからオオカミは、レンガのお家へやってきました。 「ちいブタくん、ちいブタくん、ここをあけておくれ。ぼくをお家に入れとくれよ」 ちいブタちゃんもビックリして、 「とんでもない! ぜったいにいやだよう!」 するとオオカミは、恐ろしい声でどなりました。 「よーし、そんなら、こんな家なんか、おれさまの自慢のいきで、ふき飛ばしてやるぞ!」 オオカミが、フーッと息をふきましたが、レンガの家はビクともしません。 「よし、こうなったら、体当たりだ!」 オオカミは勢いをつけると、レンガの家に体当たりをしました。 ドシーン! でも、レンガの家はビクともしません。 オオカミは、うなりました。 「おぼえてろ。こうなったら煙突(えんとつ)からおりてって、ちいブタのやつを食べてやるぞ!」 それを聞いたちいブタちゃんは、大急ぎで大きなナベにお湯をわかしました。 火をドンドン燃やしたので、お湯がグラグラとわきました。 煙突からおりてきたオオカミは、そのお湯の中にボチャーン! と落ちました。 「あつい、あついよー! 助けてくれー!」 泣きさけぶオオカミに、ちいブタちゃんがいいました。 「じゃあ、もう悪いことはしないか?」 「しない、しない」 「じゃあ、食べたお兄さんたちをかえすか?」 「かえす、かえす。だから助けてくれー!」 「よし、約束だぞ」 ちいブタちゃんがオオカミをナベから出してやると、オオカミは食べた大ブタちゃんと中ブタちゃんをはき出して、泣きながら山に逃げていきました。 助かった大ブタちゃんと中ブタちゃんは、ちいブタちゃんのレンガの家で、なかよくくらしました。
京都 賃貸よりオススメでした。
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