1886(明治19)年のこの日、日本の博愛社がジュネーブ条約に加盟し、翌年日本赤十字社に改称しました。 これは、1864(元治元)年にアンリー・デュナンが提唱したジュネーブ条約により基礎が作られた万国赤十字同盟の運動を、外国で見聞してきた佐野常民らの尽力でした。血に関する昔話むかし、ロシアのある村に、バニアという男がすんでいました。 バニアは、なべやかまを売ったり、こわれたものをなおす仕事をしていました。 ある晩、仕事で帰るのがとてもおそくなってしまいました。「もう、そとはまっ暗だ。今夜はあそこにとまるとしよう」と、いって、バニアは古ぼけた教会のまえにウマをとめました。 教会にはだれもすんでおらず、まわりはしずまりかえった墓場でした。「きみがわるいな。まあいい、ねるとしよう」 バニアはねごこちのよさそうな場所をさがすと、グーグーとねむってしまいました。 今夜は星空のきれいな日で、空にはまるい月がかかっています。 ボーン、ボーン。 教会の鐘(かね)が、十二時をうちました。 その時です。 墓場の地面がグラグラとゆれ出しました。 バニアはビックリしてとびおきると、あわてて近くの木のかげにかくれました。 すると、ゆれていた地面がバックリとひらき、中からおそろしい顔の魔物が出てきたではありませんか。 頭には棺おけのふたをのせ、目は青くひかり、口にはするどいキバがあります。 この魔物は、人間の血を吸って殺してしまう、吸血鬼にちがいありません。 月の明るい晩に墓場からあらわれて、人間の血をもとめてさまよい歩くのです。 バニアは木のかげで、ブルブルとふるえていました。 吸血鬼は棺おけのふたを教会のかベにたてかけると、人問の血をもとめて村のほうへいってしまいました。「このままでは、村の人たちが殺されてしまう」 バニアは、村の人たちをすくう方法を考えました。「そうだ! たったひとつ方法があるぞ」 バニアは、小さいころおばあさんから聞いたはなしを思い出しました。《吸血鬼は太陽の光に弱く、明け方までに棺おけに入って、ふたをしっかりしめないと死んでしまう》 さっそくバニアは、教会のかべにたてかけてあった棺おけのふたをかかえると、木のかげにかくれて吸血鬼が帰ってくるのをまちました。 夜明け近くになると、吸血鬼が満足そうな顔で帰ってきました。 ところが、教会のかべを見てビックリ。「ややっ、ふたがない! あれがなくては、おれは死んでしまう!」 吸血鬼は、ひっしになって棺おけのふたをさがします。 そのあわてたようすがおかしくて、バニアはクスッとわらってしまいました。 それに気づいた吸血鬼は、怖い顔でバニアの方にふり向きました。「おまえだな、棺おけのふたをぬすんだのは! すぐかえさないと、おまえの血をぜんぶすってしまうぞ!」 でも、バニアも負けてはいません。。「ふん、やれるものならやってみろ。この棺おけのふたをバラバラにしてやるぞ!」と、いって、バニアは棺おけのふたに鉄のなベをふりかざしました。「ああ、やめてくれ、やめてくれ!」 吸血鬼はなさけない声をあげました。「じゃあ、今日はだれを殺してきたのかいえ! それから、その人間が生きかえらせる方法もいえ!」 吸血鬼は、かぼそい声でこたえました。「村のグレゴリというじいさんだ。生き返らせるには、おれの服の左がわをきりとって、死人の部屋でもやせばいい。そのけむりが死人を生き返らせるのだ」 そこでバニアは、棺おけのふたを返してやりました。 吸血鬼はふたを頭にのせて、急いで墓にとびこみました。 ちょうどそのとき、ニワトリがコケコッコーとなきました。 夜が明けたのです。「ギャアーー! ひと足おそかったか!」 朝日をあびた吸血鬼は、頭に棺おけのふたをのせたまま、干物(ひもの)のようにひからびてしまいました。 バニアは吸血鬼の服の左がわをきりとると、村へ急ぎました。 そしてグレゴリじいさんの家を見つけると、吸血鬼のいったとおりの方法で、グレゴリじいさんを生き返らせてやりました。 それから村人たちを案内して、ひからびた吸血鬼を見せました。 バニアは、とねりこ(→モクセイ科の落葉小高木)の木の枝をとがらすと、おどろいている村人のまえでグサリと吸血鬼のむねにつきさしました。「さあ、これでこいつは二度と生き返ることはできません」 吸血鬼をやっつけたバニアに、村人たちは何度も何度もお礼をいいました。
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