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宅エコポイント発行、42万戸を突破/国交省(京都でのお部屋探しは京都賃貸.com)

2011年2月13日(日) 08時21分24秒 スタッフブログ

国土交通省は10日、エコポイントの活用による環境対応住宅普及促進事業(住宅エコポイント事業)の2011年1月末時点での申請と、エコポイント発行状況を発表した。

 同月1ヵ月間の住宅エコポイントの申請状況は、新築が3万162戸、リフォームが3万8,464戸の合計6万8,626戸。申請受付開始からの累計は、47万8,255戸となった。

 また、同月1ヵ月間に発行された住宅エコポイントは、新築が2万9,911戸・89億7,330万ポイント、リフォームは3万9,336戸・22億2,345万5,000ポイント。合計で6万9,247戸・111億9,675万5,000ポイントとなった。申請受付開始からの累計では、42万7,003戸・676億4,321万2,000ポイントと、40万件を突破した。

 なお、これまでに交換されたエコポイントは、累計で85万249件・636億7,138万882ポイントとなった。全体ポイント数のうち、約87.46%が商品券・ポイントカードに、12.3%が即時交換されている。

京都 賃貸よりオススメでした。





2月13日 銀行強盗の日(京都でのお部屋探しは京都賃貸.com)

2011年2月13日(日) 08時18分55秒 スタッフブログ

1866(慶応2)年のこの日、当時の人々に「西部のロビン・フッド」ともてはやされたジェシー・ジェイムズ兄弟が、初めて銀行強盗に成功しました。
 この事件は、アメリカで白昼に起きた初の銀行強盗事件ともいわれています。
 彼らを主人公にした映画「ロングライダーズ」はヒットしました。

強盗の出てくる昔話
むかし、おしこみ強盗の一団がおりました。
 ある晩、江戸一番の越後屋呉服店(えちごやごふくてん)へおしこむことにきまりました。
 親分は、手下(てした→子分のこと)のものを見わたして、
「よいか。人にけがをさせて、反物(たんもの→服)をよごしたのでは、金にならん。店のやつは、かたっぱしからさるぐつわ(声を立てさせないように、手ぬ ぐいなどを口にかませて、後頭部にくくりつけること)をはめ、柱にしばりつけろ。そのうえで、全部持ち出すんだ。いいな」
「へえ」
 そこで、用意万端(よういばんたん→よういが完全な事)ととのえ、夜ふけを待って、越後屋ヘ押し入りました。
「お店にどろぼうだー!」
と、走りでてくる番頭に手代。こぞうに下男。お針に女中。
 出てくれば、ふんじばり、出てくれば、ふんじばり、かたっぱしから、ふんじばっては柱にくくりつけました。
 けれども、さすがは天下の越後屋。
 出てくるわ、出てくるわ、いくらしばっても、しばりつくせません。
 そのうち、あたりが白んで、
 カァカァ
と、カラスの声。
「そりゃ、夜があけた」
「つかまっては、たいヘん」
 とうとう、おしこみ強盗の一団は、何一つ取らず、逃げ出したそうな。

京都 賃貸よりオススメでした。





2月11日 建国記念の日(京都でのお部屋探しは京都賃貸.com)

2011年2月11日(金) 08時17分47秒 スタッフブログ

もともとは1872年(明治5)に、紀元節(きぜんせつ)という名前ではじまった記念日で、「古事記」「日本書紀」の記述にもとづき、初代天皇とされる神武天皇が即位した日といわれています。

  当初は1月29日が祝日にさだめられていましたが、翌73年に、太陽暦の採用にともなう措置として、期日を2月11日に変更されました。

  その後、第二次大戦後に廃止されましたが、1966年(昭和41)に「建国記念の日」という名で復活し、翌年より実施されています。

  制定当初は、まだ成立したばかりの明治政府首脳が、天皇を中心とした国家支配体制の正当性を内外にしめす必要から制定されたと考えられていますが、現在の建国記念の日は、「建国をしのび、国を愛する心を養う日」とされています。

神武天皇に関する昔話
むかしむかし、日向の国(ひゅうがのくに→宮崎県)に、伊波礼毘古命(いわれびこのみこと)という人がいました。
 伊波礼毘古命は、高千穂(たかちほ)というところで国を治めていましたが、そこはあまりにも小さくはしっこの国だったので、もっと東の方へ移ろうと軍隊をひきいてそこを出発しました。
 そして海を渡ったり陸を進んだりと、長い月日を歩きまわりました。

 ある年の夏、伊波礼毘古命の軍隊が今の大阪湾から陸へあがろうとした時の事です。
 大和の国(やまとのくに→奈良県)の田舎に方にいた、長髄彦(ながすれひこ)という人が、
「伊波礼毘古命の軍隊がここへ来たのは、きっと、わたしたちの国を奪い取るつもりなのだろう」
と、思い、たくさんの兵隊を集めて待ち構えました。
 そして伊波礼毘古命の軍隊が乗った船が浜辺に着くと、いきなり弓矢を放ってきたのです。
 伊波礼毘古命の軍隊は盾で飛んで来る矢を防ぎながら、陸に上がって戦いました。
 この戦いで伊波礼毘古命の兄さんが、長髄彦の矢に当たって深い傷を受けました。
 兄さんは、その傷を押さえながら言いました。
「わたしたちは太陽の子でありながら、太陽の方に向かって戦ったのが間違いだった。これから遠回りをして、太陽を後ろにして戦おう」
 そこで伊波礼毘古命の軍隊は、もう一度船に乗って南の方へ回る事にしました。
 その途中、兄さんは矢の傷が原因で亡くなってしまいました。
「よし、兄さんのかたきは、きっと取ってみせるぞ」
 伊波礼毘古命は、長髄彦を倒す決心をしました。

 伊波礼毘古命の軍隊が陸にあがると、別の新しい敵がいました。
 この敵を倒すため、けわしい山道を道案内をしてくれたのは、『八咫(やた)ガラス』という、カラスでした。
 こうして伊波礼毘古命の軍隊は、ようやく長髄彦のいるあたりへ来ました。
 長髄彦も、伊波礼毘古命の軍隊が攻め込んでくる事を早くから知っていたので、敵ながら力一杯戦いました。
 そのうちに長髄彦の方の兵隊の勢いが強くなり、伊波礼毘古命の軍隊は負けそうになってきました。
「このままでは、味方がやられる!』
 伊波礼毘古命がそう思った時、にわかに空が暗くなって大雨が降って来ました。
 そして大雨の中を、どこからか金色のトビが飛んで来て、軍隊を指揮している伊波礼毘古命が持った弓のてっぺんに止まったのです。
「うわっ、まぶしい!」
 長髄彦の兵隊は、驚いて叫びました。
 その金色のトビの放つ光が、まるで稲光の様に見えたのです。
「これは、たまらん!」
 敵はまぶしさに目がくらんでしまい、戦うどころではありません。
 おかげで味方の軍隊は勢いを取り戻して、伊波礼毘古命は長髄彦を討ち滅ぼす事が出来たのです。
 この伊波礼毘古命という人が、神武天皇(じんむてんのう)なのです。

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2月9日 ふくの日(京都でのお部屋探しは京都賃貸.com)

2011年2月 9日(水) 08時21分21秒 スタッフブログ

魚のふぐの本場、下関では河豚(ふぐ)を「ふく」と発音し、「福」と同じ発音であることから縁起の良い魚とされています。
 「ふ(2)く(9)の語呂合わせから、下関ふく連盟が1980(昭和55)年に制定しました。
 ふく豊漁および航海安全の祈願などが恵比寿神社でおこなわれます。

フグに関する昔話
ふぐ(→詳細)には毒(どく)があるため、むかしは、ふぐを食べて死んだ者が、おおぜいおりました。
 そのくせ、ふぐの味は、格別(かくべつ→とくべつ)です。
 何とかしてたベてみたいと、いろいろ苦心(くしん→苦労すること)をしたものでございます。
 ある日、若い江戸っ子連中が、両国橋(りょうごくばし)の近くの家に集まって、ワイワイやっておりました。
 そこヘ、ひとりの男がやってきて、
「いよう。みんなそろって、なにをさわいでいるんだい」
「やあ、源兄(げんにい)か。実は、ふぐをもらったんだが。どうもきみが悪くて食えねえ。だれかが、先に食ってみせろというんだが、だれも食い手がねえんだ」
「おお、そんなことなら、橋の上のこじき(→詳細)に、食わせてみたらどうだ」
「なーるほど。そいつは、うまい考えだ」
と、いうわけで、さっそく、大なベにいっぱい、ふぐ汁をこしらえました。
「源兄。いってくれるか」
「よし、きた。そのどんぶりばちに、入れてくれ」
 源さん、ふぐ汁をもって、橋の上にやってきました。
 ねていたこじきをゆすぶりおこして、
「ふぐ汁のできたてをもってきたが、食わねえか。どうだ」
「おありがとうございます」
「食うか」
「へえ。おありがとうございます」
 源さん、こじきの出したおわんの中ヘ、ふぐ汁を入れてやると、ニヤニヤしながら、帰ってきました。
 しばらくたちました。
 もう、そろそろ、よかろうと、見にいきますと、こじきは、元気でピンピンしております。
「これなら、だいじょうぶ。さあ、ふぐをたべよう」
 一同は安心して、ふぐ汁大会をはじめました。
 いや、にぎやかなこと、にぎやかなこと。
 なにしろ、若い連中(れんちゅう)のこと。
 よってたかって、大なベいっぱいのふぐ汁を、きれいに、たいらげてしまいました。
「ああ、うまかった」
「どうだい。腹がふくれたから、表を少し歩こうじゃないか」
「いいねえ、いこうか」
と、みんなは、橋のほうヘやってきました。
 こじきのそばまでくると、わざと大声で、
「さっきのふぐは、うまかったなあ」
「おお。ふぐは、やっぱり、かくベつの味だ」
 などと、きこえよがしに、話しあいました。
 こじきは、若いしゅうの中に源さんのすがたを見つけると、顔をあげてたずねました。
「だんながた、もう、ふぐ汁を、おあがりになりましたんで?」
「おお、食ったとも、食ったとも」
「お味は?」
「いやはや、もう、とほうもなく、うまかったわ」
「おからだのぐあいは?」
「このとおり、ピンピンしておる」
 それをきくと、こじき、
「それならば、わたしも、安心して、いただかしていただきます」
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2月8日 針供養(京都でのお部屋探しは京都賃貸.com)

2011年2月 8日(火) 08時41分54秒 スタッフブログ

針供養は、地方や神社によっては12月8日に行われることもあります。
 裁縫を1日慎み、古い糸や錆びた針、折れた針を豆腐やこんにゃくに刺して神社に納めて針仕事の上達を祈ります。
 関東では浅草寺淡島堂が有名です。

針に関する昔話
むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
 子どもがいなかったので、神さまにお願いしました。
「親指くらいの小さい小さい子どもでもけっこうです。どうぞ、子どもをさずけてください」
 すると、ほんとうに小さな子どもが生まれました。
 ちょうど、おじいさんの親指くらいの男の子です。
 ふたりはさっそく、一寸法師という名まえをつけてやりました。
 ある日のこと、一寸法師は、おじいさんとおばあさんに、こんなことをいいました。
「わたしも都へいって、働きたいと思います。どうぞ、旅のしたくをしてください」
 そこで、おじいさんは一本の針で、一寸法師にちょうどピッタリの大きさの刀をつくってやりました。
 おばあさんは、おわんを川に浮かベて、一寸法師の乗る舟をつくってやりました。
「ほら、このおはしで舟をこいでおいで」
「いってまいります」
 一寸法師は上手におわんの舟をこぐと、都に出かけました。
 そして都に着くと、一寸法師は、都でいちばんりっぱな家をたずねていきました。
「たのもう、たのもう」
「はーい。・・・あれ?」
 出てきた手伝いの人は、首をかしげました。
「おや、だれもいない」
「ここだよ、ここ」
 手伝いの人は玄関のげたの下に立っている一寸法師を、やっと見つけました。
「なんてまあ、小さい子だろう」
 そして一寸法師は、その家のお姫さまのおもり役になりました。
 ある日のことです。
 一寸法師は、お姫さまのお供をして、お寺にお参りにいきました。
 すると、その帰り道、突然、二匹の鬼が出てきたのです。
 鬼は、お姫さまを見ると、さらおうとしました。
「待て!」
 一寸法師は、おじいさんにもらった針の刀をぬくと、飛びかかりました。
 ところが、
「なんだ、虫みたいなやつだな」
 鬼は、一寸法師をヒョイとつまみあげると、パクリと、まるのみにしてしまいました。
 鬼のお腹の中は、まっ黒でした。
 一寸法師は、針の刀を振り回して、おなかの中を、さしてまわりました。
「痛っ、痛っ、痛たたた!」
 困った鬼は、あわてて一寸法師を吐き出しました。
「よし、わしがひねりつぶしてやる」
 もう一匹の鬼がいいましたが、一寸法師は針の刀をかまえると、今度は、その鬼の目の中へ飛びこんだものですから、鬼はおどろきました。
「た、た、助けてくれー!」
 二匹の鬼は、逃げ出してしまいました。
「ふん! これにこりて、もう、二度とくるな! ・・・おや? これはなんでしょう。お姫さま」
 鬼がいってしまったあとに、ふしぎな小づちが落ちていました。
「まあ、これは打ち出の小づちという物ですよ。トントンとふると、なんでも好きな物が出てくるのです」
 そこで一寸法師は、お姫さまに頼みました。
「わたしの背がのびるように、背出ろ、背出ろ、そういってふってください」
 お姫さまは喜んで、打ち出の小づちをふりました。
「背出ろ、背出ろ」
 すると、ふしぎなことに、一寸法師の背は、ふればふっただけ、グングンとのびて、だれにも負けないりっぱな男の人になりました。
 そしてお姫さまと結婚して、仕事もがんばり、たいへん出世したということです。

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