2011年2月17日(木) 08時26分52秒 |
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1925(大正14)年、ハワード・カーターが、エジプトの王家の谷でツタンカーメン王のミイラを発見しました。 純金製の棺桶とマスクなど3000点以上の品々が埋葬されていましたが、この発掘後、スポンサーをはじめ多数の関係者が次々に謎の死を遂げています。 京都 賃貸よりオススメでした。
2011年2月16日(水) 08時17分46秒 |
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1883(明治16)年のこの日、ドイツ人の気象学者エリヴィン・クニッピングの指導により、日本初の天気図が作成されました。 同年3月1日からは印刷して毎日発行されるようになりました
天気に関する昔話 むかし、森にかこまれた小さな村がありました。 その森の中に、古いぬまがあって、一ぴきのカッパがすんでおりました。 このカッパは、ひどいいたずらもので、畑をあらしたり、ぬまへ人をひきずりこんだりのわるさをするので、村の人たちはたいそうこまっていました。 ある日のこと、この村にやってきた旅のぼうさんが、いたずらカッパの話を聞きました。 ぼうさんは、さっそくぬまへいって、カッパをよびだしていいました。 「おめえさんは、わるいことばかりしとるようじゃが、いったい、なにが気に入らんで、そんなことするんじゃあ? うん?」 するとカッパは、こんなことを話しはじめました。 「わしはなあ、カッパの身の上がつらいんよ。こんなすがたでは、人間のなかまには入れてもらえず、そうかといって、魚やカメのなかまでもねえ。おもしろくねえ。だからおらあ、ときどきむちゃくちゃあばれまわっとるのよ」 話しているうちに、カッパは悲しくなってきました。 「おぼうさま、人間に生まれかわるには、どうしたらいいだ」 「それはのう、おまえが生きているあいだに、なにか人のためになることをすることだ」 「そうか、わかった」 カッパはぼうさんに礼を言うと、帰っていきました。 その年の夏のことです。 村は何日も何日も日でりがつづいて、作物はかれるし、いどの水もなくなってしまうしで、村人たちは、毎日毎日広場に集まって、朝からばんまで空に向かって雨ごいをしました。 うらない師のおばあさんも、雨がふるようにいのりつづけました。 「雨をふらせてたもれ、雨をふらせてたもれ!」 そのころ、あのぬまのカッパが、村の中へ入ってきました。 「カッパじゃ、やっつけろ!」 村人たちは、カッパをとりかこんでおそいかかりました。 日ごろのうらみをはらそうと、なぐったりけったり。 だけど、カッパはおとなしく、されるままです。 そして、いまにも死にそうなようすでやっと顔を上げると、雨ごいをさせてくれとたのみました。 村人たちは、またカッパがいたずらでもするのかと思いましたが、このひどい日でりに、わらをもつかむ思いで、カッパをしばったまま、広場のやぐらの上につれていきました。 カッパはしばられたまま、やっとのことで体をおこし、天をあおいでいのりはじめました。 「神さま、おら、いままでわるいことばかりして、村の衆にめいわくをかけてきた。だから、おらの命とひきかえに、村に雨をふらせてはくださらんか。どうか、おねげえですだ」 カッパの雨ごいは、何日も何日もつづきました。 そのあいだ、カッパは水も飲まなければ、食べものも食べません。 カッパのいのりの声は、苦しそうに、とぎれとぎれになっています。 「神さま・・・、おねげえです・・・だ。雨をふらせて・・・けろ・・・」 カッパのいのりがあんまり熱心なので、いつのまにか、村じゅうの人たちもいっしょになっていのりはじめました。 すると、ふしぎなことに、空には急に雨ぐもがたちこめて、大つぶの雨がポツリ、ポツリ。 とうとう、ザーザーと、雨がふってきました。 雨はみるみるはげしくなり、やがて、たきのようにふりだしました。 「カッパの雨ごいが天にとどいたぞ!」 カッパは、天をあおぐと、 「・・・神さま、ありがとう」 はげしい雨に打たれながら、まんぞくそうな顔で死んでいました。 それからしばらくして、旅のぼうさんがまたこの村をおとずれて、このことを知りました。 ぼうさんは、人間になりたがっていたカッパの話をして、 「命がけでつみほろぼしをしたんじゃもの。いつか人間に生まれかわって、この村にくるかもしれんなあ」 村人たちは、ぬまの近くに小さなカッパのはかを立て、いつまでもカッパの雨ごいの話を語りつたえたそうです。
京都 賃貸よりオススメでした。
2011年2月15日(火) 08時25分41秒 |
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都市再生機構(神奈川県横浜市、以下UR)、東日本電信電話(東京都新宿区)、セブン―イレブン・ジャパン(東京都千代田区)およびイーソリューションズ(東京都港区)は、集合住宅の在宅高齢者向けサービスの共同プロジェクトを始めた。
UR賃貸の入居者に対して、NTT東日本の光回線「フレッツ光」と家庭向けクラウドデバイス「光iフレーム」を活用して、URの地域情報配信やセブン―イレブン等による商品のデリバリーサービス等を提供する。イーソリューションズは全体の事務局運営を行う。2月から半年間にわたってUR賃貸の「リバーシティ21イーストタワーズ」をはじめとした4物件の入居者500世帯を対象にした実証実験を行う。
NTT東日本が昨年11月に提供開始したタッチパネル方式の「光iフレーム」を各世帯に置き、情報の受信・発信を行う。URが運営する「マンションポータル」アプリから地域情報やタッチするだけで簡単に家族にメールを送信できる機能を活用した簡易な見守りサービスを提供するほか、セブン―イレブンが行う買い物支援や配食サービス等を提供する。
基本的な利用料は無料だが、買い物支援などは利用に応じて費用がかかる。将来的には緊急時の対応まで含めた見守りや医療サービスなどを組み込むことも検討している。
京都 賃貸よりオススメでした。
2011年2月15日(火) 08時21分05秒 |
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毎月15日はお菓子の日です。 特にバレンタインデーの次の日である2月15日は、一番重要視されています。 お菓子の日は、全国菓子工業組合連合会が1981(昭和56)年に制定しました。 お菓子の神様を祀った例大祭が15日に行われていた故事にちなんでいます。 お菓子の神社としては、和歌山県下津町・橘本神社、兵庫県豊岡市・中嶋神社が知られています。
お菓子に関する昔話 むかしむかし、ある森のはずれに、貧乏(びんぼう)なきこりが、おかみさんと二人の子どもをかかえてくらしていました。 子どもの一人は男の子で、名前をヘンゼルといい、もう一人は女の子で、名前をグレーテルといいます。 ある年のこと、夏だというのに国じゅうにひどい寒さがやってきて、畑の作物をすっかり枯(か)らしてしまったので、みんなは食べ物にこまっていました。 ただでさえ貧乏なきこりは、ろくにパンにもありつけず、これから先どうしたものかと心配して、夜もおちおちねむることができません。 その夜もねむられずに、あっちへゴロリ、こっちへゴロリと、寝返りをうっていると、おかみさんが小声で話しかけました。 「ねえ、あんた。このままでは親子四人、ともだおれですよ」 「そうだろうなあ。でも、しかたがない」 「ねえ、ここは思いきって、子どもを手ばなしてみてはどう? あとは、天の神さまにまかせてさ」 「なんだって! それは、どういうことだね?」 おかみさんは、となりのへやで寝ている子どもたちを気にしながら、耳もとで、ささやくようにいいました。 「だって、このままこうしていても、どうせ、うえ死にするにきまっているでしょう。だから、二人の子どもを遠い森につれだして、おいてきぼりにしてくるんだよ。運がよければ、わたしたちも助かるし、子どもたちも助かるでしょう」 「それは、そうかもしれないが、・・・しかし、子どもたちをすてるなんて」 「じゃあ、このまま四人とも死ぬかい? あたしはいやだよ、このまま死ぬのを待つなんて」 「・・・・・・」 かなしいお話しですが、この時代には、よくこんなことがありました。 食べ物がないために子どもを殺したり、わずかなお金で子どもを人買いに売ったりする親もいましたから、この両親は、まだましな方かもしれません。 さて、この二人の話を、となりのへやの子どもたちが、すっかり聞いてしまいました。 とっくに寝ている時間ですが、なにしろおなかがペコペコだったので、寝るに寝られなかったのです。 妹のグレーテルが、かなしくてシクシクとなきだしました。 「あたしたち、すてられてしまうんだわ。今夜きりで、家なしっ子になってしまうんだわ」 「グレーテル、なかなくてもいいよ。ぼくがついているからね。なあに、すてられてたまるもんかい」 と、兄のヘンゼルはグレーテルをなぐさめると、元気づけるようにいいました。 「ぼくはね、たとえすてられても家に帰ってこれる、いいことを考えたんだ」 ヘンゼルとはそういって、そっと、まどから外へぬけだしました。 外の道には、白い小石が月の光をあびて、白く光っていました。 ヘンゼルは白い小石をひろって上着のポケットにたくさんつめこんでから、ねどこへもどって寝てしまいました。 つぎの朝、まだ夜が明けきらないうちに、おかあさんが子どもたちを起こしました。 「きょうは、森へつれてってあげますよ。はい、これはおべんとうですよ」 と、いって、手のひらほどのパンを一つずつわたしました。 「きょうの食事は、これっきりなんだから、食べたくても、お昼になるまでがまんするのですよ」 四人はそろって、森へ出かけました。 そのとちゅう、ヘンゼルはときどき立ちどまって、じぶんの家をふりかえってみました。 そして、いま来た道をたしかめると、目じるしとしてポケットの小石を一つずつ、こっそり落としました。 あまりたびたびふりかえるので、お父さんがふしぎに思ってたずねました。 「どうして、そんなに立ちどまるんだい?」 「うん、うちの家のやねに白いネコが上がって、ぼくにさようならしてるんだもの」 おかあさんが、横から口を出しました。 「あれはね、やねにお日さまがあたって、チカチカ光ってるんだよ」 そしてそのうちに、目的の場所へやってきました。 ここは、ふかいふかい森の中です。 「おまえたちは、小えだをたくさん集めておいで」 と、おかあさんがいいました。 集めてきた小えだに火をつけると、おとうさんがいいました。 「寒くないように、たき火にあたって待っていなさい。お父さんとお母さんは、この近くで木を切っているからね。仕事がすんだら、よんであげるよ」 二人の子どもは、たき火をかこんであたっていました。 やがて少しはなれた所から、コツン、コツンと、木を切る音がしてきました。 二人にはその音が、 ♪お父さんは、ここだよ ♪お母さんも、ここにいるよ と、歌っているように聞こえたので、安心していました。 二人はお昼になって、パンを食べました。 小さなパンは、あっというまになくなりました。 コツン、コツンと木を切る音は、お昼も休まずに、つづいていました。 たいくつした子どもたちは、ごろりと横になると、いつのまにかぐっすりねこんでしまいました。 そのうちに火が消えて、寒さにふるえながら目をさますと、あたりはすっかり暗くなっています。 ですが、木を切る音はまだつづいています。 さびしくなった二人は、音をたよりにそばまでいってみると、それは木を切る音ではなくて、えだにぶらさげた丸たんぼうが、風にゆられてぶつかる音だったのです。 「お父さーん」 「お母さーん」 二人はよんでみましたが、なんの返事もありません。 グレーテルは、声をあげてなきだしました。 「あーん、あたしたち、とうとうすてられたんだわ」 ヘンゼルは、妹をなぐさめていいました。 「だいじょうぶだよ。ぼく、帰り道を知ってるんだから。お月さまが出るまで、まっておいで」 やがて月が出ると、足もとが明るくなりました。 すると、どうでしょう。 ヘンゼルの落としてきた白い小石が、月の光にキラキラとかがやきはじめたのです。 二人はそれをたどりながら道を歩き、朝になる頃、ようやく家へ帰りました。 お父さんも、お母さんも、二人が帰ってきたのでビックリです。 二人とも、森の中においてきた子どものことが心配で、ひとばんなきあかした赤い目に、なみだをうかべてよろこびました。 でも何日かたって、子どもたちは、またべつの森へつれだされました。 それがあまりきゅうだったので、白い小石を拾っているひまがありませんでした。 そこでヘンゼルは、おべんとうのパンを細かくちぎって、それを目じるしに、道のところどころへ落としておきました。 ところが、これは失敗でした。 おいてきぼりにされた二人が、いざ帰ろうとすると、目じるしのパンがなくなっているのです。 月は前のときよりも明るくてらしているのに、パンはひとかけらも見あたりません。 それもそのはず、昼のうちに、森の小鳥たちが食べてしまったのです。 二人の子どもは、ついに、まい子になってしまいました。 あっちの道、こっちの道と、ひと晩じゅう、歩きまわりました。 つぎの日も歩きつづけましたが、森から出られるどころか、どんどん奥へまよいこんでしまいました。 「どうしよう、森から出られないよ」 そのとき、きれいな白い小鳥がとんできて、ピヨピヨ鳴きながら、おいでおいでと尾っぽをふりました。 そばまで行くと、小鳥はまた先へ行って、おいでおいでをします。 小鳥にみちびかれて、しばらく行くと、そこには小さな家がありました。 小鳥はその小さな家の屋根にとまっていましたが、二人が近づくと、すっとすがたを消してしまいました。 「あれ、小鳥が消えちゃった。・・・それにしても、この家はいいにおいがするな」 「ヘンゼル! みてみて。この家、おかしでできているよ!」 おどろいたことに、その小さな家は、おかしでできた、おかしの家だったのです。 屋根のかわらが板チョコで、まわりのかべがカステラで、まどのガラスが氷ざとうで、入り口の戸はクッキーと、どこもかしこも、おかしでした。 二人のおなかはペコペコだったので、ヘンゼルは、まどガラスをはずしてガリガリとかじりました。 グレーテルは屋根のかわらをはぎとって、むしゃむしゃと食べました。 すると家の中から、だれかの声がしてきました。 「だれだね、わたしのうちをかじるのは?」 きゅうにクッキーの戸があいて、年をとったおばあさんが出てきました。 二人はビックリして、にげだしました。 「おまち、にげなくてもいいよ、かわいい子どもたち。おばあさんは、一人でたいくつしているところなんだよ。さあ、おうちへおはいり。ミルクにココア、ミカンにリンゴ、なんでもあるよ」 二人は、ふりかえって、 「あれ、しかられるんじゃなかったのか」 「ああ、よかったわ」 と、むねをなでおろして、もどっていきました。 家へはいると、おばあさんのいった物が、ちゃんとテーブルの上にならべてありました。 そしてそばに、子どものベッドも二つ、ならべてありました。 「さあ、お食べ。おかわりはどんどんあるからね」 二人は飲むだけ飲んで、食べるだけ食べると、ベッドへもぐって寝てしまいました。 おばあさんは子どもたちの寝顔を見ると、ニヤリと笑いました。 「ヒッヒヒヒ、どっちの子から食べようかね。ひさしぶりに、おいしいごちそうにありつけるよ」 なんとおばあさんは、人食いの魔女だったのです。 白い小鳥をつかって二人をおびきよせ、おかしの家をおとりにして、まちぶせていたのです。 朝になると、おばあさんはヘンゼルを大きな鳥かごにほうりこんで、戸にかぎをかけてしまいました。 それから、グレーテルをたたきおこして、 「いつまで寝ているんだい! さっさと水をくんできて、うまいごちそうをこしらえるんだ。おまえの兄さんに食べさせて、太らせるんだからね。やせてちゃ、まずくて食えないからね」 と、どなりつけました。 かわいそうにグレーテルは、いいつけどおりに料理を作って、兄さんを太らせなければならないのです。 しばらくたったある日、おばあさんはヘンゼルを入れた鳥かごにやってきていいました。 「どうだいヘンゼル、すこしは太ったかい? どうれ、指を出してお見せ」 おばあさんは目が悪く、あまりよく見えなかったのです。 そこでヘンゼルは、指のかわりにスープのだしがらの鳥のほねをさしだしました。 おばあさんは、それを指だと思って、 「やれやれ、まだそれっぽっちか。これじゃあ、もっともっと料理をふんぱつしなくちゃね」 と、いいました。 しかし、いくら料理をふんぱつしても、ちっともききめがあらわれないので、おばあさんは、とうとうまちきれなくなりました。 「もう、がまんができない。ガリガリだろうが、かまうもんか。きょうというきょうは、大なべにぶちこんで食ってやるよ。さあグレーテル、いそいで大なべに水をいれな。水をいれたら、火をたくんだよ」 と、おばあさんがどなりました。 悲しいことに、グレーテルは兄さんを料理するために、火をたかなければならないのです。 グレーテルは、しくしくなきだしました。 (こんなめにあうのだったら、いっそのこと、森の中でオオカミに食べられて死んだほうがましよ。それだったら、兄さんといっしょに死ねたのに) と、思うと、ポロポロなみだがこぼれてとまりません。 「なにをぐずぐずしてるんだね。さっさと火をたきな!」 おばあさんが、包丁(ほうちょう)をとぎながらどなりますが、いくらどなられても、こんな悲しいことは、てきぱきとやれません。 グレーテルがいつまでものろのろやっているものですから、おばあさんは、すっかりはらをたてて、ついでにグレーテルも食べてしまおうと思いました。 ちょうど、パン焼きがまの火がもえていたので、 「ほかのことは、あとでもいい。パンがやけるかどうか、かまどの中へはいって、火かげんを見てみな」 と、いいつけました。 おばあさんはグレーテルをかまどの中にとじこめて丸焼きにして、頭からガリガリ食べてしまうつもりだったのです。 グレーテルは、すぐにそれに気がつきました。 そこで、わざと首をかしげると、 「どうやってはいるのか、わたし、わからないわ」 と、いいました。 「バカだねえ、おまえは。こんなでっかい入口じゃないか。こうやって、ちょっとからだをかがめりゃ、このばあさんにだって、はいれるじゃないか」 と、おばあさんが、かまどの入口へ頭をつっこんで見せました。 (いまだわ!) グレーテルはおばあさんを、力まかせにうしろからつきとばしました。 「うぎゃぁぁぁーー!」 かまどにころげおちたおばあさんは、カミナリが落ちてきたかと思うほどのさけび声をあげると、そのまま焼け死んでしまいました。 グレーテルは、鳥かごにとじ込められた兄さんのところへかけよりました。 「魔女はやっつけたわ! あたしたち、助かったのよ!」 「ほんとうかい! ありがとう、グレーテル」 やっと鳥かごから出ることのできたヘンゼルは、妹をだきよせて、ないてよろこびました。 さて、持ち主のいなくなったおかしの家の中には、ダイヤモンドやしんじゅなど、たくさんの宝物がしまってありました。 ヘンゼルとグレーテルは、それをポケットに詰めこめるだけ詰めこみました。 そして二人はいく日もかかって、ようやく、じぶんの家へ帰っていったのです。 ヘンゼルとグレーテルのすがたを見て、お父さんとお母さんは、なみだをながしてよろこびました。 「ごめんよ、ほんとうにごめんよ。もうけっして、おまえたちをすてたりしないからね」 お父さんがあやまると、お母さんもなきながらいいました。 「わるいお母さんをゆるしてね。おまえたちがいれば、食べ物がなくてもかまわないわ。うえて死ぬときは、四人いっしょだよ」 お父さんもお母さんも、すっかりやせこけていました。 すててきた子どもたちのことが悲しくて、あれからひとかけらのパンも、のどを通らなかったのです。 「お父さんも、お母さんも、やせたねえ」 ヘンゼルはそういって、グレーテルに目で合図をしました。 そして二人はポケットに入れていた物を取り出して、ニッコリほほえみました。 「でもだいじょうぶ。これで、すぐに太れるよ」 お父さんもお母さんも、二人が取り出した宝物を見てビックリ。 それから四人は、しあわせにくらしました。
京都 賃貸よりオススメでした。
2011年2月14日(月) 08時16分15秒 |
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バレンタインデーは、田園と牧人の神ルペルクス(ファウヌスの別名)をたたえる古代ローマのルペルカリアの祭(2月15日)が起源とされており、この祭りが、兵士の自由結婚禁止政策に反対したバレンタイン司教が、ローマ皇帝の迫害により西暦269年に殉教した日を記念した祭日(2月14日)とむすびつけられて出来たものです。 その後、聖バレンティヌスは恋人たちの守護者とされ、この日は恋人たちの愛の誓いの日となったのです。 日本では1958年頃より流行しはじめ、お菓子メーカーの努力によって、女性から男性にチョコレートを贈るという、日本独自の習慣が生まれました。
最近では、男性から女性にチョコを贈る「逆チョコ・逆バレンタインデー」があるそうですが、「逆ホワイトデー」は、きっと流行らないでしょうね。 京都 賃貸よりオススメでした。
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