1883(明治16)年のこの日、ドイツ人の気象学者エリヴィン・クニッピングの指導により、日本初の天気図が作成されました。 同年3月1日からは印刷して毎日発行されるようになりました
天気に関する昔話むかし、森にかこまれた小さな村がありました。 その森の中に、古いぬまがあって、一ぴきのカッパがすんでおりました。 このカッパは、ひどいいたずらもので、畑をあらしたり、ぬまへ人をひきずりこんだりのわるさをするので、村の人たちはたいそうこまっていました。 ある日のこと、この村にやってきた旅のぼうさんが、いたずらカッパの話を聞きました。 ぼうさんは、さっそくぬまへいって、カッパをよびだしていいました。「おめえさんは、わるいことばかりしとるようじゃが、いったい、なにが気に入らんで、そんなことするんじゃあ? うん?」 するとカッパは、こんなことを話しはじめました。「わしはなあ、カッパの身の上がつらいんよ。こんなすがたでは、人間のなかまには入れてもらえず、そうかといって、魚やカメのなかまでもねえ。おもしろくねえ。だからおらあ、ときどきむちゃくちゃあばれまわっとるのよ」 話しているうちに、カッパは悲しくなってきました。「おぼうさま、人間に生まれかわるには、どうしたらいいだ」「それはのう、おまえが生きているあいだに、なにか人のためになることをすることだ」「そうか、わかった」 カッパはぼうさんに礼を言うと、帰っていきました。 その年の夏のことです。 村は何日も何日も日でりがつづいて、作物はかれるし、いどの水もなくなってしまうしで、村人たちは、毎日毎日広場に集まって、朝からばんまで空に向かって雨ごいをしました。 うらない師のおばあさんも、雨がふるようにいのりつづけました。「雨をふらせてたもれ、雨をふらせてたもれ!」 そのころ、あのぬまのカッパが、村の中へ入ってきました。「カッパじゃ、やっつけろ!」 村人たちは、カッパをとりかこんでおそいかかりました。 日ごろのうらみをはらそうと、なぐったりけったり。 だけど、カッパはおとなしく、されるままです。 そして、いまにも死にそうなようすでやっと顔を上げると、雨ごいをさせてくれとたのみました。 村人たちは、またカッパがいたずらでもするのかと思いましたが、このひどい日でりに、わらをもつかむ思いで、カッパをしばったまま、広場のやぐらの上につれていきました。 カッパはしばられたまま、やっとのことで体をおこし、天をあおいでいのりはじめました。「神さま、おら、いままでわるいことばかりして、村の衆にめいわくをかけてきた。だから、おらの命とひきかえに、村に雨をふらせてはくださらんか。どうか、おねげえですだ」 カッパの雨ごいは、何日も何日もつづきました。 そのあいだ、カッパは水も飲まなければ、食べものも食べません。 カッパのいのりの声は、苦しそうに、とぎれとぎれになっています。「神さま・・・、おねげえです・・・だ。雨をふらせて・・・けろ・・・」 カッパのいのりがあんまり熱心なので、いつのまにか、村じゅうの人たちもいっしょになっていのりはじめました。 すると、ふしぎなことに、空には急に雨ぐもがたちこめて、大つぶの雨がポツリ、ポツリ。 とうとう、ザーザーと、雨がふってきました。 雨はみるみるはげしくなり、やがて、たきのようにふりだしました。「カッパの雨ごいが天にとどいたぞ!」 カッパは、天をあおぐと、「・・・神さま、ありがとう」 はげしい雨に打たれながら、まんぞくそうな顔で死んでいました。 それからしばらくして、旅のぼうさんがまたこの村をおとずれて、このことを知りました。 ぼうさんは、人間になりたがっていたカッパの話をして、「命がけでつみほろぼしをしたんじゃもの。いつか人間に生まれかわって、この村にくるかもしれんなあ」 村人たちは、ぬまの近くに小さなカッパのはかを立て、いつまでもカッパの雨ごいの話を語りつたえたそうです。
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