陸軍の創始者・大村益次郎は、輸入した軍靴が大きすぎるため、日本人の足に合う洋靴(西洋草履)を作る提案をしました。 これにより、1870(明治3)年のこの日、西村勝三が東京・築地入船町に日本初の西洋靴の工場・伊勢勝造靴場を開業しました。
靴に関する昔話
むかしあるところに、まじめなくつ屋がいました。 くつ屋は毎日まじめに働いているのに、だんだんびんぼうになり、とうとう一足分のくつの皮しかのこらなくなりました。 くつ屋は、その最後の皮をくつの形に切っておいて、その日は寝てしまいました。 次の日の朝、目を覚ましたくつ屋はビックリ。 くつが一足、ちゃんとできあがっていたのです。 そのくつはとてもすばらしい出来だったので、とても良いねだんで売れました。 くつ屋はそのお金で、二足分の皮を買いました。 そして、その皮をくつの形に切ったところで、また寝てしまいました。 すると次の日の朝にも、立派なくつが二足できあがっていました。 それから毎日、ずっと同じ事が続きました。 二足が四足になり、四足が八足、八足が十六足、十六足が三十二足・・・と、どんどんくつがふえていったので、くつ屋はすっかりお金持ちになりました。 ある日、くつ屋はおかみさんと一緒に一晩中起きていることにしました。 だれがあのすばらしいくつをつくっているのか、知りたくなったからです。 夜中になると、はだかの小人が二人現れました。 二人の小人は小さな手ですばやく皮をぬい、たたいて形をととのえると、あっと言う間にくつを作り上げました。 おかみさんは言いました。「くつをつくってくれたおれいに、あのこびとたちに服をぬってあげるわ。はだかじゃさむそうだもの。あなたは小さなくつをつくってあげたら」 くつ屋もそれがいいと言いました。 つぎの夜、いつものくつの皮の代わりに、おかみさんがぬった小さなシャツとズボンとチョッキ、それにくつ下とくつを二足ずつ置いておきました。 すると小人たちは大喜びで服を着て、そこら中を飛びはねながら歌いました。♪これで、ぼくらはかわいい小人。♪もう、くつ屋じゃなくなっちゃった。 大声で歌ったり踊ったりしながら、外に出て行き、そのまま二度と現れませんでした。 けれども、くつ屋のくつはそれからも飛ぶように売れつづけ、くつ屋はしあわせにくらしました。
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