2010年2月12日(金) 08時26分41秒 |
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1913(大正2)年のこの日、アメリカ人女性マリー・フェルブ・ジャコブがブラジャーを発明し、特許を取得しました。 当時はハンカチをリボンで結んだだけという単純なものでした。 売れ始めたのは1920年代に入ってからで、日本では戦後のことです。
2010年2月11日(木) 08時11分20秒 |
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もともとは1872年(明治5)に、紀元節(きぜんせつ)という名前ではじまった記念日で、「古事記」「日本書紀」の記述にもとづき、初代天皇とされる神武天皇が即位した日といわれています。
当初は1月29日が祝日にさだめられていましたが、翌73年に、太陽暦の採用にともなう措置として、期日を2月11日に変更されました。
その後、第二次大戦後に廃止されましたが、1966年(昭和41)に「建国記念の日」という名で復活し、翌年より実施されています。
制定当初は、まだ成立したばかりの明治政府首脳が、天皇を中心とした国家支配体制の正当性を内外にしめす必要から制定されたと考えられていますが、現在の建国記念の日は、「建国をしのび、国を愛する心を養う日」とされています。
神武天皇に関する昔話
むかしむかし、日向の国(ひゅうがのくに→宮崎県)に、伊波礼毘古命(いわれびこのみこと)という人がいました。 伊波礼毘古命は、高千穂(たかちほ)というところで国を治めていましたが、そこはあまりにも小さくはしっこの国だったので、もっと東の方へ移ろうと軍隊をひきいてそこを出発しました。 そして海を渡ったり陸を進んだりと、長い月日を歩きまわりました。
ある年の夏、伊波礼毘古命の軍隊が今の大阪湾から陸へあがろうとした時の事です。 大和の国(やまとのくに→奈良県)の田舎に方にいた、長髄彦(ながすれひこ)という人が、 「伊波礼毘古命の軍隊がここへ来たのは、きっと、わたしたちの国を奪い取るつもりなのだろう」 と、思い、たくさんの兵隊を集めて待ち構えました。 そして伊波礼毘古命の軍隊が乗った船が浜辺に着くと、いきなり弓矢を放ってきたのです。 伊波礼毘古命の軍隊は盾で飛んで来る矢を防ぎながら、陸に上がって戦いました。 この戦いで伊波礼毘古命の兄さんが、長髄彦の矢に当たって深い傷を受けました。 兄さんは、その傷を押さえながら言いました。 「わたしたちは太陽の子でありながら、太陽の方に向かって戦ったのが間違いだった。これから遠回りをして、太陽を後ろにして戦おう」 そこで伊波礼毘古命の軍隊は、もう一度船に乗って南の方へ回る事にしました。 その途中、兄さんは矢の傷が原因で亡くなってしまいました。 「よし、兄さんのかたきは、きっと取ってみせるぞ」 伊波礼毘古命は、長髄彦を倒す決心をしました。
伊波礼毘古命の軍隊が陸にあがると、別の新しい敵がいました。 この敵を倒すため、けわしい山道を道案内をしてくれたのは、『八咫(やた)ガラス』という、カラスでした。 こうして伊波礼毘古命の軍隊は、ようやく長髄彦のいるあたりへ来ました。 長髄彦も、伊波礼毘古命の軍隊が攻め込んでくる事を早くから知っていたので、敵ながら力一杯戦いました。 そのうちに長髄彦の方の兵隊の勢いが強くなり、伊波礼毘古命の軍隊は負けそうになってきました。 「このままでは、味方がやられる!』 伊波礼毘古命がそう思った時、にわかに空が暗くなって大雨が降って来ました。 そして大雨の中を、どこからか金色のトビが飛んで来て、軍隊を指揮している伊波礼毘古命が持った弓のてっぺんに止まったのです。 「うわっ、まぶしい!」 長髄彦の兵隊は、驚いて叫びました。 その金色のトビの放つ光が、まるで稲光の様に見えたのです。 「これは、たまらん!」 敵はまぶしさに目がくらんでしまい、戦うどころではありません。 おかげで味方の軍隊は勢いを取り戻して、伊波礼毘古命は長髄彦を討ち滅ぼす事が出来たのです。 この伊波礼毘古命という人が、神武天皇(じんむてんのう)なのです。
2010年2月10日(水) 08時25分42秒 |
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1920(大正9)年、日本初のバスガールが登場したのがこの日です。 東京市街自動車会社が車掌として採用しましたが、まだ女学生でさえ和服の時代に、バスガールの制服は黒のツーピースに白の襟というハイカラなものでした。
2010年2月 9日(火) 08時32分30秒 |
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魚のふぐの本場、下関では河豚(ふぐ)を「ふく」と発音し、「福」と同じ発音であることから縁起の良い魚とされています。 「ふ(2)く(9)の語呂合わせから、下関ふく連盟が1980(昭和55)年に制定しました。 ふく豊漁および航海安全の祈願などが恵比寿神社でおこなわれます。
フグに関する昔話 ふぐ(→詳細)には毒(どく)があるため、むかしは、ふぐを食べて死んだ者が、おおぜいおりました。 そのくせ、ふぐの味は、格別(かくべつ→とくべつ)です。 何とかしてたベてみたいと、いろいろ苦心(くしん→苦労すること)をしたものでございます。 ある日、若い江戸っ子連中が、両国橋(りょうごくばし)の近くの家に集まって、ワイワイやっておりました。 そこヘ、ひとりの男がやってきて、 「いよう。みんなそろって、なにをさわいでいるんだい」 「やあ、源兄(げんにい)か。実は、ふぐをもらったんだが。どうもきみが悪くて食えねえ。だれかが、先に食ってみせろというんだが、だれも食い手がねえんだ」 「おお、そんなことなら、橋の上のこじき(→詳細)に、食わせてみたらどうだ」 「なーるほど。そいつは、うまい考えだ」 と、いうわけで、さっそく、大なベにいっぱい、ふぐ汁をこしらえました。 「源兄。いってくれるか」 「よし、きた。そのどんぶりばちに、入れてくれ」 源さん、ふぐ汁をもって、橋の上にやってきました。 ねていたこじきをゆすぶりおこして、 「ふぐ汁のできたてをもってきたが、食わねえか。どうだ」 「おありがとうございます」 「食うか」 「へえ。おありがとうございます」 源さん、こじきの出したおわんの中ヘ、ふぐ汁を入れてやると、ニヤニヤしながら、帰ってきました。 しばらくたちました。 もう、そろそろ、よかろうと、見にいきますと、こじきは、元気でピンピンしております。 「これなら、だいじょうぶ。さあ、ふぐをたべよう」 一同は安心して、ふぐ汁大会をはじめました。 いや、にぎやかなこと、にぎやかなこと。 なにしろ、若い連中(れんちゅう)のこと。 よってたかって、大なベいっぱいのふぐ汁を、きれいに、たいらげてしまいました。 「ああ、うまかった」 「どうだい。腹がふくれたから、表を少し歩こうじゃないか」 「いいねえ、いこうか」 と、みんなは、橋のほうヘやってきました。 こじきのそばまでくると、わざと大声で、 「さっきのふぐは、うまかったなあ」 「おお。ふぐは、やっぱり、かくベつの味だ」 などと、きこえよがしに、話しあいました。 こじきは、若いしゅうの中に源さんのすがたを見つけると、顔をあげてたずねました。 「だんながた、もう、ふぐ汁を、おあがりになりましたんで?」 「おお、食ったとも、食ったとも」 「お味は?」 「いやはや、もう、とほうもなく、うまかったわ」 「おからだのぐあいは?」 「このとおり、ピンピンしておる」 それをきくと、こじき、 「それならば、わたしも、安心して、いただかしていただきます」
2010年2月 8日(月) 08時21分29秒 |
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「一(イチ)か八(バチ)か」を「1と8」にかけて、勝負の記念日とされています。 「一」と「八」はそれぞれ「丁」と「半」の上部をとったもので、「丁か半か」と同じ意味です。 丁はサイコロの合わせ目が偶数、半は同じく奇数の場合に使われる言葉です。
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