毎月15日はお菓子の日です。 特にバレンタインデーの次の日である2月15日は、一番重要視されています。 お菓子の日は、全国菓子工業組合連合会が1981(昭和56)年に制定しました。 お菓子の神様を祀った例大祭が15日に行われていた故事にちなんでいます。 お菓子の神社としては、和歌山県下津町・橘本神社、兵庫県豊岡市・中嶋神社が知られています。
お菓子に関する昔話
むかしむかし、ある森のはずれに、貧乏(びんぼう)なきこりが、おかみさんと二人の子どもをかかえてくらしていました。 子どもの一人は男の子で、名前をヘンゼルといい、もう一人は女の子で、名前をグレーテルといいます。 ある年のこと、夏だというのに国じゅうにひどい寒さがやってきて、畑の作物をすっかり枯(か)らしてしまったので、みんなは食べ物にこまっていました。 ただでさえ貧乏なきこりは、ろくにパンにもありつけず、これから先どうしたものかと心配して、夜もおちおちねむることができません。 その夜もねむられずに、あっちへゴロリ、こっちへゴロリと、寝返りをうっていると、おかみさんが小声で話しかけました。「ねえ、あんた。このままでは親子四人、ともだおれですよ」「そうだろうなあ。でも、しかたがない」「ねえ、ここは思いきって、子どもを手ばなしてみてはどう? あとは、天の神さまにまかせてさ」「なんだって! それは、どういうことだね?」 おかみさんは、となりのへやで寝ている子どもたちを気にしながら、耳もとで、ささやくようにいいました。「だって、このままこうしていても、どうせ、うえ死にするにきまっているでしょう。だから、二人の子どもを遠い森につれだして、おいてきぼりにしてくるんだよ。運がよければ、わたしたちも助かるし、子どもたちも助かるでしょう」「それは、そうかもしれないが、・・・しかし、子どもたちをすてるなんて」「じゃあ、このまま四人とも死ぬかい? あたしはいやだよ、このまま死ぬのを待つなんて」「・・・・・・」 かなしいお話しですが、この時代には、よくこんなことがありました。 食べ物がないために子どもを殺したり、わずかなお金で子どもを人買いに売ったりする親もいましたから、この両親は、まだましな方かもしれません。 さて、この二人の話を、となりのへやの子どもたちが、すっかり聞いてしまいました。 とっくに寝ている時間ですが、なにしろおなかがペコペコだったので、寝るに寝られなかったのです。 妹のグレーテルが、かなしくてシクシクとなきだしました。「あたしたち、すてられてしまうんだわ。今夜きりで、家なしっ子になってしまうんだわ」「グレーテル、なかなくてもいいよ。ぼくがついているからね。なあに、すてられてたまるもんかい」と、兄のヘンゼルはグレーテルをなぐさめると、元気づけるようにいいました。「ぼくはね、たとえすてられても家に帰ってこれる、いいことを考えたんだ」 ヘンゼルとはそういって、そっと、まどから外へぬけだしました。 外の道には、白い小石が月の光をあびて、白く光っていました。 ヘンゼルは白い小石をひろって上着のポケットにたくさんつめこんでから、ねどこへもどって寝てしまいました。 つぎの朝、まだ夜が明けきらないうちに、おかあさんが子どもたちを起こしました。「きょうは、森へつれてってあげますよ。はい、これはおべんとうですよ」と、いって、手のひらほどのパンを一つずつわたしました。「きょうの食事は、これっきりなんだから、食べたくても、お昼になるまでがまんするのですよ」 四人はそろって、森へ出かけました。 そのとちゅう、ヘンゼルはときどき立ちどまって、じぶんの家をふりかえってみました。 そして、いま来た道をたしかめると、目じるしとしてポケットの小石を一つずつ、こっそり落としました。 あまりたびたびふりかえるので、お父さんがふしぎに思ってたずねました。「どうして、そんなに立ちどまるんだい?」「うん、うちの家のやねに白いネコが上がって、ぼくにさようならしてるんだもの」 おかあさんが、横から口を出しました。「あれはね、やねにお日さまがあたって、チカチカ光ってるんだよ」 そしてそのうちに、目的の場所へやってきました。 ここは、ふかいふかい森の中です。「おまえたちは、小えだをたくさん集めておいで」と、おかあさんがいいました。 集めてきた小えだに火をつけると、おとうさんがいいました。「寒くないように、たき火にあたって待っていなさい。お父さんとお母さんは、この近くで木を切っているからね。仕事がすんだら、よんであげるよ」 二人の子どもは、たき火をかこんであたっていました。 やがて少しはなれた所から、コツン、コツンと、木を切る音がしてきました。 二人にはその音が、♪お父さんは、ここだよ♪お母さんも、ここにいるよと、歌っているように聞こえたので、安心していました。 二人はお昼になって、パンを食べました。 小さなパンは、あっというまになくなりました。 コツン、コツンと木を切る音は、お昼も休まずに、つづいていました。 たいくつした子どもたちは、ごろりと横になると、いつのまにかぐっすりねこんでしまいました。 そのうちに火が消えて、寒さにふるえながら目をさますと、あたりはすっかり暗くなっています。 ですが、木を切る音はまだつづいています。 さびしくなった二人は、音をたよりにそばまでいってみると、それは木を切る音ではなくて、えだにぶらさげた丸たんぼうが、風にゆられてぶつかる音だったのです。「お父さーん」「お母さーん」 二人はよんでみましたが、なんの返事もありません。 グレーテルは、声をあげてなきだしました。「あーん、あたしたち、とうとうすてられたんだわ」 ヘンゼルは、妹をなぐさめていいました。「だいじょうぶだよ。ぼく、帰り道を知ってるんだから。お月さまが出るまで、まっておいで」 やがて月が出ると、足もとが明るくなりました。 すると、どうでしょう。 ヘンゼルの落としてきた白い小石が、月の光にキラキラとかがやきはじめたのです。 二人はそれをたどりながら道を歩き、朝になる頃、ようやく家へ帰りました。 お父さんも、お母さんも、二人が帰ってきたのでビックリです。 二人とも、森の中においてきた子どものことが心配で、ひとばんなきあかした赤い目に、なみだをうかべてよろこびました。 でも何日かたって、子どもたちは、またべつの森へつれだされました。 それがあまりきゅうだったので、白い小石を拾っているひまがありませんでした。 そこでヘンゼルは、おべんとうのパンを細かくちぎって、それを目じるしに、道のところどころへ落としておきました。 ところが、これは失敗でした。 おいてきぼりにされた二人が、いざ帰ろうとすると、目じるしのパンがなくなっているのです。 月は前のときよりも明るくてらしているのに、パンはひとかけらも見あたりません。 それもそのはず、昼のうちに、森の小鳥たちが食べてしまったのです。 二人の子どもは、ついに、まい子になってしまいました。 あっちの道、こっちの道と、ひと晩じゅう、歩きまわりました。 つぎの日も歩きつづけましたが、森から出られるどころか、どんどん奥へまよいこんでしまいました。「どうしよう、森から出られないよ」 そのとき、きれいな白い小鳥がとんできて、ピヨピヨ鳴きながら、おいでおいでと尾っぽをふりました。 そばまで行くと、小鳥はまた先へ行って、おいでおいでをします。 小鳥にみちびかれて、しばらく行くと、そこには小さな家がありました。 小鳥はその小さな家の屋根にとまっていましたが、二人が近づくと、すっとすがたを消してしまいました。「あれ、小鳥が消えちゃった。・・・それにしても、この家はいいにおいがするな」「ヘンゼル! みてみて。この家、おかしでできているよ!」 おどろいたことに、その小さな家は、おかしでできた、おかしの家だったのです。 屋根のかわらが板チョコで、まわりのかべがカステラで、まどのガラスが氷ざとうで、入り口の戸はクッキーと、どこもかしこも、おかしでした。 二人のおなかはペコペコだったので、ヘンゼルは、まどガラスをはずしてガリガリとかじりました。 グレーテルは屋根のかわらをはぎとって、むしゃむしゃと食べました。 すると家の中から、だれかの声がしてきました。「だれだね、わたしのうちをかじるのは?」 きゅうにクッキーの戸があいて、年をとったおばあさんが出てきました。 二人はビックリして、にげだしました。「おまち、にげなくてもいいよ、かわいい子どもたち。おばあさんは、一人でたいくつしているところなんだよ。さあ、おうちへおはいり。ミルクにココア、ミカンにリンゴ、なんでもあるよ」 二人は、ふりかえって、「あれ、しかられるんじゃなかったのか」「ああ、よかったわ」と、むねをなでおろして、もどっていきました。 家へはいると、おばあさんのいった物が、ちゃんとテーブルの上にならべてありました。 そしてそばに、子どものベッドも二つ、ならべてありました。「さあ、お食べ。おかわりはどんどんあるからね」 二人は飲むだけ飲んで、食べるだけ食べると、ベッドへもぐって寝てしまいました。 おばあさんは子どもたちの寝顔を見ると、ニヤリと笑いました。「ヒッヒヒヒ、どっちの子から食べようかね。ひさしぶりに、おいしいごちそうにありつけるよ」 なんとおばあさんは、人食いの魔女だったのです。 白い小鳥をつかって二人をおびきよせ、おかしの家をおとりにして、まちぶせていたのです。 朝になると、おばあさんはヘンゼルを大きな鳥かごにほうりこんで、戸にかぎをかけてしまいました。 それから、グレーテルをたたきおこして、「いつまで寝ているんだい! さっさと水をくんできて、うまいごちそうをこしらえるんだ。おまえの兄さんに食べさせて、太らせるんだからね。やせてちゃ、まずくて食えないからね」と、どなりつけました。 かわいそうにグレーテルは、いいつけどおりに料理を作って、兄さんを太らせなければならないのです。 しばらくたったある日、おばあさんはヘンゼルを入れた鳥かごにやってきていいました。「どうだいヘンゼル、すこしは太ったかい? どうれ、指を出してお見せ」 おばあさんは目が悪く、あまりよく見えなかったのです。 そこでヘンゼルは、指のかわりにスープのだしがらの鳥のほねをさしだしました。 おばあさんは、それを指だと思って、「やれやれ、まだそれっぽっちか。これじゃあ、もっともっと料理をふんぱつしなくちゃね」と、いいました。 しかし、いくら料理をふんぱつしても、ちっともききめがあらわれないので、おばあさんは、とうとうまちきれなくなりました。「もう、がまんができない。ガリガリだろうが、かまうもんか。きょうというきょうは、大なべにぶちこんで食ってやるよ。さあグレーテル、いそいで大なべに水をいれな。水をいれたら、火をたくんだよ」と、おばあさんがどなりました。 悲しいことに、グレーテルは兄さんを料理するために、火をたかなければならないのです。 グレーテルは、しくしくなきだしました。(こんなめにあうのだったら、いっそのこと、森の中でオオカミに食べられて死んだほうがましよ。それだったら、兄さんといっしょに死ねたのに)と、思うと、ポロポロなみだがこぼれてとまりません。「なにをぐずぐずしてるんだね。さっさと火をたきな!」 おばあさんが、包丁(ほうちょう)をとぎながらどなりますが、いくらどなられても、こんな悲しいことは、てきぱきとやれません。 グレーテルがいつまでものろのろやっているものですから、おばあさんは、すっかりはらをたてて、ついでにグレーテルも食べてしまおうと思いました。 ちょうど、パン焼きがまの火がもえていたので、「ほかのことは、あとでもいい。パンがやけるかどうか、かまどの中へはいって、火かげんを見てみな」と、いいつけました。 おばあさんはグレーテルをかまどの中にとじこめて丸焼きにして、頭からガリガリ食べてしまうつもりだったのです。 グレーテルは、すぐにそれに気がつきました。 そこで、わざと首をかしげると、「どうやってはいるのか、わたし、わからないわ」と、いいました。「バカだねえ、おまえは。こんなでっかい入口じゃないか。こうやって、ちょっとからだをかがめりゃ、このばあさんにだって、はいれるじゃないか」と、おばあさんが、かまどの入口へ頭をつっこんで見せました。(いまだわ!) グレーテルはおばあさんを、力まかせにうしろからつきとばしました。「うぎゃぁぁぁーー!」 かまどにころげおちたおばあさんは、カミナリが落ちてきたかと思うほどのさけび声をあげると、そのまま焼け死んでしまいました。 グレーテルは、鳥かごにとじ込められた兄さんのところへかけよりました。「魔女はやっつけたわ! あたしたち、助かったのよ!」「ほんとうかい! ありがとう、グレーテル」 やっと鳥かごから出ることのできたヘンゼルは、妹をだきよせて、ないてよろこびました。 さて、持ち主のいなくなったおかしの家の中には、ダイヤモンドやしんじゅなど、たくさんの宝物がしまってありました。 ヘンゼルとグレーテルは、それをポケットに詰めこめるだけ詰めこみました。 そして二人はいく日もかかって、ようやく、じぶんの家へ帰っていったのです。 ヘンゼルとグレーテルのすがたを見て、お父さんとお母さんは、なみだをながしてよろこびました。「ごめんよ、ほんとうにごめんよ。もうけっして、おまえたちをすてたりしないからね」 お父さんがあやまると、お母さんもなきながらいいました。「わるいお母さんをゆるしてね。おまえたちがいれば、食べ物がなくてもかまわないわ。うえて死ぬときは、四人いっしょだよ」 お父さんもお母さんも、すっかりやせこけていました。 すててきた子どもたちのことが悲しくて、あれからひとかけらのパンも、のどを通らなかったのです。「お父さんも、お母さんも、やせたねえ」 ヘンゼルはそういって、グレーテルに目で合図をしました。 そして二人はポケットに入れていた物を取り出して、ニッコリほほえみました。「でもだいじょうぶ。これで、すぐに太れるよ」 お父さんもお母さんも、二人が取り出した宝物を見てビックリ。 それから四人は、しあわせにくらしました。
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