スポーツ用品のメーカー、ミズノの直営店・エスポートミズノが1994(平成6)年に制定しました。 1911(明治44)年のこの日、オーストリアのレルヒ少佐が、新潟県の高田陸軍歩兵連隊の青年将校にスキーの指導をとりました。 これが、日本人初のスキーとなりました。
雪に関する昔話
さむいさむい北の国に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。「おじいさん、たった、ふたりきりですと、さびしいですねえ」「そうだね。せめて、子どもでもいれば・・・」 おじいさんとおばあさんには、子どもがひとりもいなかったのです。「ほら、外を見てごらん。子どもたちが雪遊びをしているよ」 窓から外を見ると、外はまっ白。 雪が一面につもっていて、子どもたちが、大きな雪だるまをつくっていました。「おばあさん。わたしたちも雪だるまをつくろう」「そうですねえ。でも、おじいさん。それならば、帽子をかぶって、手ぶくろをはめて、長ぐつも、ちゃ一んとはいている、かわいい女の子をつくってみましょうよ」「うん、そうしよう」 おじいさんとおばあさんは、うれしそうに外へ出ると、庭のまん中に雪を集めて、それはかわいい、本物そっくりの雪の女の子をつくりました。「さあ、この子になんていう名まえをつけようか?」「そうですねえ」 おばあさんがいったときです。「わたしは、カーチャ」 突然、その雪の女の子が口をきいて、手をあげると、おじいさんとおばあさんに飛びついてきたのです。 白いほっペたは、みるみる桜色になり、炭でつくった黒髪と大きな黒い目は、本当の黒髪と目になりました。 おじいさんとおばあさんは大喜びです。 さっそく、女の子を家に連れてくると、「カーチャ、おまえは、うちの子だよ」 そういって、洋服をつくってやったり、リボンを結んでやったり、新しい長ぐつを買ってきて、はかせたりして、それはそれは、大事に育てることにしたのです。 ところが、どういうわけでしょうか。 冬が終わって、春がきて、雪がすっかりとけてしまうころになると、女の子は、なんだか元気がなくなって、家の中でジーッとすわっているのです。 やがて、北の国にも夏がやってきました。「カーチャ、森へ遊びにいきましょう」 近所の友だちが、女の子を呼びにきました。「いやよ。外は暑いんですもの」「まあ、カーチャ、森へいけば涼しいわ。小川の水は冷たくて、いい気持ちよ」 みんなが、いいました。「そうだよ、カーチャ。たまには外で遊んでおいで」 おじいさんもおばあさんも、いいました。 そこで女の子は、しぶしぶ、みんなと森へ出かけていきました。 でも、ほかの子は、お日さまの下で花をつんだり、走ったりしているのに、女の子は、たったひとり、一日じゅう小川で足をひやしていました。「カーチャったら、おかしな子ね」 タ方になって、森の向こうにお日さまが沈みました。「さあ、今度はたき火をして、みんなでたき火の飛びこえっこをしましょう」と、だれかが、いいました。「わたしが一番よ、ほら」「わたしが二番よ、ほら」 三番めが飛んで、四番めが飛んで、「あら、カーチャがまだね」 とうとう女の子の番になりました。「どうしたの、カーチャ、飛ばないの? 飛ベないの? こわいの?」 女の子が、いつまでたっても、ジーッと、たき火の火を見ているので、みんながいいました。「わかったわ。カ一チャは、たき火がこわいのよ。弱虫なのよ」「そうよ、そうよ。カーチャは弱虫よ」 女の子は悲しそうに、みんなを見ました。「・・・弱虫じゃないわ」 女の子は、とうとう決心をして、火の上を飛び越えました。 ピョーン。「ごらんなさい、飛んだでしょ。弱虫じゃないわ」 ところが、女の子は、たき火を飛び越したかと思うと、みるみる桜色のほっペたが白くなって、うすくなって、やがて手も足もからだも消えてしまいました。 寒い冬の雪から生まれた女の子は、ちょうど、雪がとけるように、消えてしまったのです。
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