1883(明治16)年、明治政府が14万5000円をかけて建設した迎賓館「鹿鳴館」が、この日にオープンしました。 煉瓦造りの2階建ての美しい建物は、英国人ジョサイア・コンドルの建設によるもので、外国貴賓の接待や社交の場として毎夜のごとく舞踏会が開催されました。
おどりに関する昔話
むかしむかし、あるところに、ほっぺたに大きなこぶのあるおじいさんがすんでいました。 おじいさんがまきをわるたびに、ほっぺたのこぶが、ブルルン、ブルルン。 それはそれは、とてもじゃまなこぶでした。 でも、このおじいさん、そんなことは、ちっとも気にしない、のんきなおじいさんです。 おなじ村に、もう一人、ほっペたにこぶのあるおじいさんが、すんでいました。 こっちのおじいさんは、このじゃまなこぶが気になってか、いつもイライラおこってばかり。 ある日、のんきなおじいさんは、森のおくで木を切っていました。 すると、いつのまにやら、ポツリ、ポツリとふりだした雨が、とうとうどしゃ降りになってしまいました。。 おじいさんは、大きな木のうろにとびこんで、雨やどりをしました。 そのうち、このおじいさん、ウトウトとねむりこんでしまったのです。 雨がやんでも、月が出ても、グーグー、グーグー、高いびき。 いつのまにやら、日もとっぷりとくれて、真夜中になってしまいました。 すると、どこからか、にぎやかなおはやしの音が聞こえてきたではありませんか。「おや、どこからじゃろ?」 目をさましたおじいさんは、その音のするほうへ近づいていって、それはもうビックリ。 この森のおくにすむ鬼たちが、歌いおどっていたのです。♪ピーヒャラ、ドンドン。♪ピーヒャラ、ドンドン。 赤い鬼、青い鬼、大きい鬼、ちっこい鬼。 みんな、飲んで歌っての大にぎわい。 見ていたおじいさんは、こわさをわすれて、おもわずおどりだしてしまいました。 おどろいたのは、鬼のほうです。「あんれ、おもしれえおどりじゃ」 おじいさんのおどりが、あまり楽しいので、こんどは鬼のほうがおじいさんといっしょに、おどりはじめました。 そしてとうとう、鬼のおかしらが立あがって、おじいさんと手をとりあっておどります。 のんきなおじいさんと陽気な鬼たちは、時がたつのもわすれておどりつづけました。 そのうちに、東の空が明るくなってきました。 もう、夜明けです。「コケコッコー」「ややっ、一番どりがないたぞ」 朝になると、鬼たちは自分のすみかに帰らなくてはならないのです。「おい、じいよ、今夜もおどりにこいよ。このこぶをあずかっておくからな。今夜きたら返してやる。えい!」 鬼のおかしらは、おじいさんのこぶをもぎとってしまいました。 おじいさんは、思わずほっペたをなでました。「おおっ、こぶがない」 きずものこさず、こぶはなくなっていたのです。 村へ帰ったおじいさんは、うれしさのあまり、もう一人のこぶのおじいさんに、ゆうべのことを話しました。「なに! 鬼がとってくれただと」 こっちのおじいさん、うらやましいやらくやしいやら。「よし! わしもとってもらおう」と、夜になると森のおくへ出かけていきました。 やがて、おはやしの音が聞こえてきました。 このおじいさん、心が暗い人でしたから、陽気な鬼のおどりを見ても、すこしも楽しくなれません。 おどる鬼たちを見て、ただ、ブルブルとふるえているだけでした。 でも、鬼のところへ出ていかないと、こぶはとってもらえません。 おじいさんは、思いきって鬼の前に出ていきました。「よっ、まってました!」 鬼たちは大よろこびです。 でも、おどりなんか大きらいなこのおじいさん。楽しいおどりなんかおどれるはずはありません。「・・・・・・!」 とてもへたなおどりに、鬼のおかしらは、だんだんきげんがわるくなってきました。「二度とくるな、こんなもの返してやる!」 ペタン! おじいさんは、ほっぺたにもう一つのこぶをつけられてしまいました。
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