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12月6日 音の日

2009年12月 6日(日) 08時31分15秒 スタッフブログ

発明家エジソンの「3大発明」の一つが蓄音機です。
 1877(明治10)年のこの日、エジソンは蓄音機による録音と再生に成功したことから、日本オーディオ協会が1994(平成6)年に記念日として制定しました。
 エジソンは自ら「メリーさんの羊・・・」と吹き込み、再生したそうです。

音に関する昔話

むかしむかし、下関(しものせき→山口県)に、阿弥陀寺(あみだじ→真言宗の寺)というお寺がありました。
 その寺に、芳一(ほういち)という、びわひきがいました。
 芳一は、おさないころから目が不自由だったために、びわのひき語りをしこまれて、まだほんの若者ながら、その芸は師匠の和尚(おしょう)さんをしのぐほどになっていました。
 阿弥陀寺の和尚さんは、そんな芳一の才能(さいのう)を見こんで、寺にひきとったのでした。
 芳一は、源平(げんぺい)の物語を語るのが得意で、とりわけ壇ノ浦(だんのうら)の合戦のくだりのところでは、その真にせまった語り口に、だれ一人、涙をさそわれない者はいなかったそうです。
 そのむかし、壇ノ浦で源氏と平家の長い争いの、最後の決戦がおこなわれ、戦いにやぶれた平家一門は、女や子どもにいたるまで、安徳天皇(あんとくてんのう)として知られている幼帝(ようてい)もろとも、ことごとく海の底にしずんでしまいました。
 この悲しい平家の最後の戦いを語ったものが、壇ノ浦の合戦のくだりなのです。
 ある、むしあつい夏の夜のことです。
 和尚さんが法事で出かけてしまったので、芳一は、一人でお寺にのこってびわのけいこをしていました。
 そのとき、庭の草がサワサワと波のようにゆれて、縁側(えんがわ)にすわっている芳一の前でとまりました。
 そして、声がしました。
「芳一! 芳一!」
「はっ、はい。どなたさまでしょうか。わたしは目が見えませんもので」
 すると、声の主は答えます。
「わしは、この近くにお住まいの、さる身分の高いお方の使いの者じゃ。殿が、そなたのびわと語りを聞いてみたいとお望みじゃ」
「えっ、わたしのびわを?」
「さよう、やかたへ案内するから、わしのあとについてまいれ」
 芳一は、身分の高いお方が、自分のびわを聞きたいと望んでおられると聞いて、すっかりうれしくなって、その使いの者についていきました。
 歩くたびに、ガシャッ、ガシャッと、音がして、使いの者は、よろいで身をかためている武者だとわかります。
 門をくぐり、広い庭を通ると、大きなやかたの中に通されました。
 そこは大広間で、大勢の人が集まっているらしく、サラサラときぬずれの音や、よろいのふれあう音が聞こえていました。
 一人の女官(じょかん→宮中に仕える女性)がいいました。
「芳一や、さっそく、そなたのびわにあわせて、平家の物語を語ってくだされ」
「はい。長い物語ゆえ、いずれのくだりをお聞かせしたらよろしいのでしょうか?」
「・・・壇ノ浦のくだりを」
「かしこまりました」
 芳一は、びわを鳴らして語りはじめました。
 ろをあやつる音。
 ふねにあたってくだける波。
 弓鳴りの音。
 兵士たちのおたけびの声。
 息たえた武者が、海に落ちる音。
 これらのようすを、しずかに、もの悲しく語りつづけます。
 大広間は、たちまちのうちに壇ノ浦の合戦場になってしまったかのようです。
 やがて平家の悲しい最後のくだりになると、広間のあちこちから、むせび泣きがおこり、芳一のびわが終わっても、しばらくはだれも口をきかず、シーンと、静まりかえっていました。
 やがて、さっきの女官がいいました。
「殿もたいそう喜んでおられます。よいものをお礼に下さるそうじゃ。されど、今夜より六日間、毎夜そなたのびわを聞きたいとおっしゃいます。明日の夜も、このやかたにまいられるように。それから寺へもどっても、このことはだれにも話してはならぬ、よろしいな」
「はい」
 次の日も、芳一はむかえにきた武者について、やかたにむかいました。
 しかし、昨日とおなじようにびわをひいて寺にもどってきたところを、和尚さんに見つかってしまいました。
「芳一、いまごろまで、どこでなにをしていたんだね?」
「・・・・・・」
「芳一」
「・・・・・・」
 和尚さんがいくらたずねても、芳一は約束を守って、ひとことも話しませんでした。
 和尚さんは、芳一がなにもいわないのは、なにか深いわけがあるにちがいないと思いました。
 そこで寺男(てらおとこ→寺の雑用係)たちに、芳一が出かけるようなことがあったら、そっとあとをつけるようにいっておいたのです。
 そして、また夜になりました。
 雨がはげしくふっています。
 それでも芳一は、寺を出ていきます。
 寺男たちは、そっと芳一のあとを追いかけました。
 ところが、目が見えないはずの芳一の足は意外にはやく、やみ夜にかき消されるように、姿が見えなくなってしまったのです。
「どこへいったんだ?」
と、あちこちさがしまわった寺男たちは、墓地へやってきました。
 ビカッ!
 いなびかりで、雨にぬれた墓石がうかびあがります。
「あっ、あそこに!」
 寺男たちは、おどろきのあまり立ちすくみました。
 雨でずぶぬれになった芳一が、安徳天皇の墓の前でびわをひいているのです。
 その芳一のまわりを、無数の鬼火がとりかこんでいます。
 寺男たちは、芳一が亡霊(ぼうれい)にとりつかれているにちがいないと、力まかせに寺へつれもどしました。
 その出来事を聞いた和尚さんは、芳一を亡霊から守るために、魔除けのまじないをすることにしました。
 その魔除けとは、芳一の体中に経文(きょうもん)をかきつけるのです。
「芳一、おまえの人なみはずれた芸が、亡霊をよぶことになってしまったようじゃ。無念の涙をのんで海にしずんでいった平家一族のな。よく聞け。今夜はだれ かがよびにきても、けっして口をきいてはならんぞ。亡霊にしたがった者は命をとられる。しっかり座禅(ざぜん)を組んで、身じろぎひとつせぬことじゃ。も し返事をしたり声をだせば、おまえはこんどこそ、殺されてしまうじゃろう。わかったな」
 和尚さんはそういって、村のお通夜に出かけてしまいました。
 さて、芳一が座禅をしていると、いつものように亡霊の声がよびかけます。
「芳一、芳一、むかえにまいったぞ」
 でも、芳一の声も姿もありません。
 亡霊は、寺の中へ入ってきました。
「ふむ。・・・びわはあるが、ひき手はおらんな」
 あたりを見まわした亡霊は、空中に浮いている二つの耳を見つけました。
「なるほど、和尚のしわざだな。さすがのわしでも、これでは手が出せぬ。しかたない、せめてこの耳を持ち帰って、芳一をよびにいったあかしとせねばなるまい」
 亡霊は芳一の耳に、冷たい手をかけると、
 バリッ!
 その耳をもぎとって、帰っていきました。
 そのあいだ、芳一はジッと座禅を組んだままでした。
 寺にもどった和尚さんは、芳一のようすを見ようと、大いそぎで芳一のいる座敷へかけこみました。
「芳一! 無事だったか!」
 じっと座禅を組んだままの芳一でしたが、その両の耳はなく、耳のあったところからは血が流れています。
「お、おまえ、その耳は・・・」
 和尚さんには、すべてのことがわかりました。
「そうであったか。耳に経文を書きわすれたとは、気がつかなかった。なんと、かわいそうなことをしたものよ。よしよし、よい医者をたのんで、すぐにもきずの手当てをしてもらうとしよう」
 芳一は両耳をとられてしまいましたが、それからはもう、亡霊につきまとわれることもなく、医者の手当てのおかげで、きずもなおっていきました。
 やがて、この話は口から口へとつたわり、芳一のびわはますます評判になっていきました。
 びわ法師の芳一は、いつしか『耳なし芳一』とよばれるようになり、その名を知らない人はいないほど、有名になったということです。





12月4日 破傷風血清療法の日

2009年12月 4日(金) 08時23分49秒 スタッフブログ

1890(明治23)年この日、エミール・ベーリングと北里柴三郎が、血清療法開発につながる破傷風免疫体を発見したことから、記念日とされています。
 血清療法とは、抗体のある血清を患者に注射し、体内に入った毒素を中和して無力化する治療法です。

病気に関する昔話

むかしむかし、あるところに、たのきゅうという旅の役者がいました。
 おかあさんが病気だという手紙がきたので、大急ぎでもどってきました。
 ところが、ある山のふもとまでくると、日が暮れてしまいました。
 でも、たのきゅうは親孝行者だったので、早くおかあさんに会いたいと、そのまま山を登りかけました。
 すると、茶店のおばあさんがたのきゅうに、いいました。
「およしなさい。この山には、大きなヘビがいるから、夜はあぶないよ」
 でも、たのきゅうは、病気のおかあさんが心配なので、山へ登っていきました。
 そして、峠でひと休みしていると、しらがのおじいさんが出てきていいました。
「おまえさんは、だれだ?」
「わしは、たのきゅうというもんじゃ」
と、たのきゅうは、答えました。
 だけど、おじいさんは「たのきゅう」を「たぬき」と、聞きまちがえました。
「たぬきか。たぬきなら、化けるのがうまいだろ。さあ、化けてみろ。わしは大ヘビだ。わしも化けているんだ」
 大ヘビと聞いて、たのきゅうはビックリ。
「さあ、はやく化けてみろ。それとも、化けるのがへたなのか?」
 ブルブルとふるえていた、たのきゅうですが、大ヘビにへたと言われて、役者だましいに火がつきました。
「まっていろ、いま、人間の女に化けてやる」
 たのきゅうは、にもつの中から取り出した女のかつらと着物を着て、おどって見せました。
「ほほう、思ったよりじょうずじゃ」
と、おじいさんは、感心しました。
 そして、
「ときに、おまえのきらいな物は、なんじゃ?」
と、聞きました。
「わしのきらいなのは、お金だ。あんたのきらいな物は、なんだね?」
 たのきゅうも、たずねました。
「わしのきらいな物は、たばこのヤニと、かきのシブだ。これをからだにつけられたら、しびれてしまう。おまえは、たぬきだからたすけてやるが、このことはけっして、人間にいってはならんぞ。じゃ、今夜はこれで別れよう」
 そういったかと思うと、おじいさんの姿は、見えなくなってしまいました。
 たのきゅうは、ホッとして山をおりました。
 ふもとに着くと、ちょうど夜が明けました。
 たのきゅうは、村の人たちに、タベ、大ヘビから聞いた話をしました。
「と、いうわけだから、たばこのヤニと、かきのシブを集めて、大ヘビのほら穴に投げ込むといい。そうすれば、大ヘビを退治できて、安心して暮らせるというもんじゃ」
 それを聞いて、村の人たちは大喜びです。
 たばこのヤニと、かきのシブを、できるだけたくさん集めて、大ヘビのほら穴に投げこみました。
「うひゃーあ、こりゃあ、たまらねえ!」
 大ヘビは死にものぐるいで、となりの山に逃げ出して、なんとか命だけは助かりました。
「こりゃあ、きっと、あのたぬきのやつが、わしのきらいな物を人間どもにしゃベったにちがいない。おのれ、たぬきめ! どうするか覚えてろ!」
 大ヘビは、かんかんになっておこりました。
 そして、たのきゅうが、いちばんきらいな物は、お金だということを思い出しました。
 そこで、大ヘビは、できるだけたくさんのお金を集めて、たのきゅうの家をさがして歩きました。
 そして、やっと、たのきゅうの家をさがしあてましたが、戸がピッタリしまっていて、中にはいれません。
「さて、どうやってはいろうか? ・・・うん?」
 そのとき、大ヘビは、屋根にあるけむり出し口を見つけました。
「それえっ、たぬきめ、思い知れっ!」
 大ヘビは、けむり出し口からお金を投げこんでいきました。
 おかげで、たのきゅうは、大金持ちになり、おかあさんの病気もなおって、しあわせに暮らしましたとさ。





12月3日 奇術の日

2009年12月 3日(木) 08時47分53秒 スタッフブログ

「よーく見てください。1(ワン)2(ツー)3(スリー)、はい消えました!」
 という奇術の定番のかけ声から、日本奇術協会が1990(平成2)年に12月3日を記念日としました。
 「ワン・ツー・スリー」という機関誌も発行しています。

奇術・魔法に関する昔話

むかしむかし、あるところに、ジャックという男の子が、おかあさんと一頭のウシを飼ってくらしていました。
 ジャックはまいあさ、ウシのミルクをしぼると、町へ売りに行っては、そのお金で暮らしを助けていました。
 けれど、そのウシも年を取ったので、とうとうミルクを出さなくなってしまいました。
「しかたないわね。このウシを売って、お金にかえましょう」
 おかあさんにたのまれたジャックは、町までウシを引いていくことにしました。
 すると途中で、一人のおじさんがジャックに声をかけてきました。
「ぼうや、そのウシとこの豆をとりかえっこしないかい? これはね、魔法のまめなんだよ」
「魔法の豆だって! すごいや。うん、とりかえてもいいよ」
 ジャックは豆を受け取ると、よろこんで家に戻りました。
その話しをきいたおかあさんは、ジャックをしかりました。
「まったく、こんな豆つぶとウシを取り替えてくるなんて、あんたはどうかしてるよ」
「でも、魔法のまめなんだよ」
「魔法だなんて、うそに決まっているじゃないの!」
 おかあさんは豆を取りあげると、ポイッと、窓の外に捨ててしまいました。
 ところが次の朝、ジャックが目を覚ましてみると、おかあさんの捨てた豆が、てっぺんが見えないほどの大きな木になっていたのです。
「ほら、やっぱり魔法の豆だったんだ。・・・よし、上へのぼってみよう」
 ジャックは、豆の木をどんどんのぼりました。
 くもをこえても、まだまだつづきます。
 そしてとうとう、ジャックはてっぺんに着きました。
 そこには、大きなお城がありました。
 ジャックがそのお城をたずねてみますと、中から、おかみさんが出てきました。
「まあ、あなた、どうやってこんなところまできたの? ここはおそろしい人食い大男の家よ。はやくお家に帰りなさい」
 その時、大男の足音が聞こえてきました。
「しかたがないわ、こっちにいらっしゃい」
 おかみさんは、ジャックを台所のかまどに隠してくれました。
 そこに、大男が帰ってきました。
 ものすごい大男で、手には三頭のウシをぶら下げています。
「クンクン、おや? 人間のにおいだ。人間の子どものにおいがするぞ」
「あら、そんなことありませんよ。人間の子どもは、おととい食べたばっかりではありませんか」
おかみさんに言われて、大男はとなりのへやに行きました。
 大男は金貨の入った袋を2つ取り出すと、中の金貨を数え始めましたが、そのうちにねむってしまいました。
「あの金貨があれば、おかあさんがよろこぶぞ!」
 ジャックはかまどを出ると、大男の金貨の袋を1つかついで、いそいで家に帰りました。
 金貨の袋を見て、おかあさんは大よろこびです。
 しばらくたって、ジャックはまた、豆の木をのぼって、大男の家にやってきました。
 ジャックがかまどに隠れていますと、大男はおかみさんに言いました。
「金の卵を産むメンドリをつれてこい」
 おかみさんがメンドリを連れてくると、大男はテーブルの上で金の卵をうませました。
 それをみると、大男はまた、ねむってしまいました。
「いまだ!」
 ジャックはメンドリを抱えると、そのまま家に帰りました。
 金の卵を産むメンドリのおかげで、ジャックはたちまちお金持ちになりました。
 でも、ジャックはまだ、まんぞくしていません。
 ほかにも宝物があると思って、またまた大男の家にやってきました。
 ジャックがかまどに隠れていますと、大男は金のたてごとを持ってきました。
 そのたてごとは、大男が命令すると、ひとりでに音楽をかなでます。
 大男はそのたてごとの音色を聞きながら、またねむってしまいました。
「よし、今度はあのたてごとだ!」
 ジャックはたてごとをつかむと、いちもくさんに逃げました。
 その時です。
「だんな様、どろぼうですよ!」
 おどろいたことに、たてごとが大声でしゃべったのです。
「なに! こぞう、きさまだな。金貨とメンドリをぬすんだのは! そして今度は、大切なたてごとをぬすむというのか。ゆるさん、食ってやる!」
 大男はジャックを追いかけてきました。

 

 ジャックは大急ぎで豆の木をおりると、おかあさんに言いました。
「はやく、はやく! オノを持ってきて!」
 ジャックはおかあさんからオノを受け取ると、豆の木を切りたおしました。
「あーーーーっ!」
 豆の木からおりようとしていた大男は、高い空の上から落ちてしまい、そのままどこかへ消えてしまいました。
 それからジャックは、かわいいお嫁さんをもらって、おかあさんと三人で、いつまでも幸せにくらしました。





12月2日 原子炉の日

2009年12月 2日(水) 08時22分28秒 スタッフブログ

1942(昭和17)年のこの日、アメリカのシカゴ大学に設置された実験用小型原子炉で、ウランの核分裂の持続的な連鎖反応に成功。
 イタリア人のノーベル物理学者エンリコ・フェルミらによって、世界で初めて原子炉が誕生しました。
 最大出力は0.5ワットでした。

(他の記念日)

日本人宇宙飛行記念日
1990(平成2)年、TBSの秋山豊寛記者(当時)を載せたソ連のソユーズTM11号が打ち上げられ、日本人初の宇宙飛行に成功しました。

安全カミソリの日
1901(明治34)年、アメリカ人のジレットが替え刃式の安全カミソリを考案し、特許をとりました。

日本アルゼンチン修好記念日
1898(明治31)年、日本とアルゼンチンとの間に修好通商航海条約が結ばれました。

奴隷制度廃止国際デー
国際デーの一つ。
1949(昭和24)年、国連総会で「人身売買および他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」が採択されました。





12月1日 映画の日

2009年12月 1日(火) 08時25分19秒 スタッフブログ

映画産業団体連合会が1956(昭和31)年に制定した記念日です。
 1896(明治29)年11月25日、神戸で日本初の映画の一般公開が開始され、この会期中のきりのいい日を記念日としました。
 エジソンが発明したキネトスコープを使って映写されました。

(他の記念日)

鉄の記念日
日本鉄鋼連盟が1958(昭和33)年に制定。
1857(安政4)年、岩手県の釜石高炉(現在の新日鉄釜石製鉄所)が操業を開始し、日本の近代製鉄の幕開けとなりました。

世界エイズデー
世界保健機関(WHO)が1988(昭和63)年に制定。国際デーの一つ。
エイズ問題への人々の意識を高めることを目的として制定されました。

冬の省エネ総点検の日
資源エネルギー庁が実施。
1980(昭和55)年10月24日の総合エネルギー対策推進閣僚会議で制定が決定されました。
毎月1日が「省エネの日」、2月が「省エネ月間」になっています。

防災用品点検の日
防災アドバイザーの山村武彦氏が提唱。
関東大震災の起きた9月1日のほか、3月1日・6月1日・12月1日の年4回。

 





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