徳川幕府は東海道をはじめとする諸街道の整備に着手し、東京の日本橋を基点として1里ごとに榎などを植えた塚を築きました。これは現在のキロポスト(鉄道や高速道路に見られる1km毎の標識)に当たり、旅をする人馬が休憩をとる目安にしたり、道中の距離を計算するのに利用したりしておりました。現代の交通事情では必要なくなり、その殆どが撤去されてしまい、現存しているのは全国的にも珍しくなってきております。そのため、これは京都市の史跡として登録されております。
「20. 一里塚(山科発見)」へのトラックバックURL(0)
http://www.kyoto-chintai.com/mt/tb-mt.cgi/334
京都賃貸ショップ ルームズ