1492(明応元)年のこの日、コロンブスがサンサルヴァドル島に上陸しました(アメリカ大陸発見)。 欧米ではコロンブスデーと呼ばれています。 コロンブスといえば、卵を潰して立てた逸話が有名。 そんなところから、いつしかたまごデーといわれるようになったようです。
タマゴに関する昔話
むかしむかし、行基(ぎょうき)というえらいお坊さんがいました。 行基は生まれ故郷である大阪やその近くで、弟子やたくさんの信者(しんじゃ)たちと一緒に橋や道などをなおしました。 また、まずしい人たちのために無料の宿泊所(しゅくはくじょ)をつくり、その数だけでも三十にのぼったといいます。 多くの人たちのしあわせと、世の中のためにつくした行基は、五十七歳になった天平十七年(七四五年)、お坊さんで一番高い位の大僧正(だいそうじょう)をさずけられました。 橋などがこわれて人々がこまっているときくと、すぐにそこへでかけていって修理をします。 行基がいくところ、いつも千人もの信者たちがあとにつづいて、工事を手伝っていたといわれています。 さて、行基がふるさとに帰ったときの事です。 池で魚をとって食べていた若者たちが、「お坊さんというのは生の魚を食べないものだというが、どうだ。ためしてみよう」と、イタズラを思いたちました。 そして行基に、魚をうすぎりにしてお酢につけたなますをつくってすすめました。 行基はいただいてお礼をいうと、そのなますを口にいれてかんでから、すぐにかたわらの池へいってはきだしました。 するとなますは、たくさんの小さな魚になって水の中を泳ぎだしたのです。 ビックリした若者たちは、自分たちがしたイタズラをはずかしく思い、行基に心からあやまったのでした。 さて、この行基というお坊さんは、ふつうの赤ちゃんよりも二か月も長く、お母さんのおなかにいて、やっと生まれたといわれます。 それと不思議な事に、生まれるときにお母さんのおなかの中からでてきたのは、なんと丸いタマゴだったのです。 両親はおどろきましたが、かといって、そのタマゴをすてるわけにもいかず、鉢(はち)にいれて家の門の前にあるエノキの木の枝につるしておきました。 そして夕方になると、そのタマゴから赤ちゃんの泣き声がきこえてきたのです。 両親が赤ちゃんを家の前にすてていった人がいるのかと思って、いそいでいってみると、木の枝につるした鉢の中の卵がわれて、男の赤ちゃんが生まれていたという事です。
「10月12日 たまごデー」へのトラックバックURL(0)
http://www.kyoto-chintai.com/mt/tb-mt.cgi/333
京都賃貸ショップ ルームズ