この塚は別名「胴塚」と言われ光秀の胴体が埋められた所とされており、小栗栖街道の脇を入った所に寂しくあります。明智光秀は信長から備中高松城の毛利攻めの援軍を命じられたが、反旗をひるがえし、京都・本能寺の信長を急襲しました。信長は明智光秀の一万余の軍勢に敗れ、寺に火を放ち自刃し、それを知った羽柴秀吉(豊臣秀吉)は光秀の討伐に向かい、京都山崎街道で合戦となります(山崎の合戦)。羽柴勢に大敗した光秀は近江に敗走する途上、この山科の小栗栖村の竹やぶで、落ち武者狩り農民の竹槍に刺されて深手を負い、自刃したと言われています。
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