日ノ岡峠は道の勾配が長く続くため古くから東海道の難所とされ旅人や牛馬を苦しめてきました。それを解決するため江戸時代に牛馬のわだちに合わせて溝を刻んだ石畳が敷設されてました。それを今に残すため道路沿いの壁に再現されております。
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